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【#01】コバーニャ

はじめに

突如として始まった、『コバーニャのINNOCENTICA(イノセンティカ)』!

ここでは、毎回テーマをひとつ決めて、それについて僕(コバーニャ)が何を思い、何を感じているのかをつらつらと書き殴っていきたいと思います。なぜかというと、言いたいこともいえないこんな世の中だからです。ちなみにタイトルは年末になんとなく観ていた押井守の「イノセンス 」から着想を得ました。イノセンティカ、それは、いのち。

というわけで第一回のテーマは『コバーニャ』です。
なぜならば、文章の紡ぎ手がコバーニャである以上、まずはコバーニャという人間がどういう人生を過ごし、どういう人間であるのかを知ってもらう必要があると感じたからです。一回目のテーマにぴったりでしょう?

幼年期(0~4歳)

今からウン十年前、東北のとある田んぼの真ん中に立つ元地主の家にコバーニャは生まれました。
元地主といっても名ばかりで、祖父の代でお金はほとんど使い果たしてしまい(噂ではギャンブルらしい)、コバーニャが生まれた頃には両親は汗水垂らしながら農業でお金を稼いでいました。
三人兄弟の末っ子ということもあり、自由にのびのびと育ちました。

とにかく可愛く、まるで女の子のようで(あ、コバーニャは男の子です)、両親や近所の人達からたいそう可愛がられて育ちました。兄二人がケーキの取り合いをして激しい喧嘩をする中、横からコバーニャがやってきてパクッと食べてしまいみんな笑顔になって争いが終わった『漁夫の利事件』はあまりにも有名な話です。

少年期(5~14歳)

両親は農業をしているということもあり、日中はほとんど家にはいませんでした。
土日もどこか遠出するということはあまりなかったように思います。
近所には同い年の子供がおらず、誰かと遊ぶとなれば、年上か年下の子と遊ぶことが多かったので、自然と年上に媚びる能力とエセリーダーシップ能力を獲得しました。この能力のおかげで人間関係は大きなトラブルもなく、のびのびと育ちました。

休日は一人で過ごすことが多かったので、自然と空想(妄想)の世界に入り浸ることになります。
そのおかげか、孤独があまり苦にならない性格になりました。
人と同じことが嫌で、人と違うものを無理やり好きになろうとしていました。人と違うことがカッコいいと思っていたのです。今思うと非常に香ばしいですね。のびのびと育ちすぎました。

とにかく引っ込み思案だったので、一人でバスに乗るのも大冒険だったのを今でも覚えています(住んでいるところが超田舎だったのでバスはほとんど通っていませんでした)。

あるときから、自分は「吃音」持ちであることを知りました。当時は「吃音」という障害があるなんて知らなかったので、自分はなぜ吃(ども)ってしまうのだろうと真剣に悩んいました。とにかく国語の朗読の時間と電話が苦痛で苦痛で、、、。というか地獄でした。

自分にとって「吃(ども)り」は切ってもきれない呪いのようなもので、大人になった今でも当たり前のように生活に存在しています。あまりにも当たり前すぎて、吃音という言葉、そして障害として認知されていることを知ったのは社会人になってからでした。吃音が原因で自殺を選んでしまう人もいるということを知って、とても驚いたことを覚えています。僕がそういった選択を考えもしなかったのは、周りの人のサポートのおかげなんだなと感謝の気持ちに溢れました。

青年期(15~24歳)

高校時代はゲームと音楽鑑賞と映画鑑賞の毎日でした。もちろんこの趣味を持っている人は高確率でクラスのカーストは下の方なのですが、不良の友達がいたので意外と周りからは舐められず、不自由ない毎日を過ごしていました。もちろん部活は帰宅部です。学校の帰りは毎日のように友達の家に集まってゲームしたり麻雀したりしてました。けれでも、やはり今思うと高校は退屈でしたね。人と違うことを良しとしていた自分にとっては、正直馴染めない環境でした。友達と遊んでいても、どこか孤立感みたいなものを感じていた気がします。ちなみに小・中・高と彼女はいませんでした。もちろんドウのテイでした。コバーニャはキミたち一般人とは違いますからね。一緒の尺度で考えないでもらいたいです。ほんとやめてほしいです。

それとは逆に大学時代はとても楽しかったです。デザイン系の大学に行ったこともあり、周りは変人ばかりでした。大学で学んだ多くのことは、今でも本当に役に立っています。あ、でもそれ以上に役に立っていないこともあります。というか90%は役に立っていないかもですね。良い思い出もいっぱいありますし、同じくらい恥ずかしい思い出もいっぱいあります。というか90%は恥ずかしい思い出かもですね。

そういった経験を生かし、大学卒業後はデザイン系の職場で働き始めました。といってもジャンルは大学で学んだこととは違ったものだったので、本当に大変でした。まさに寝る間も惜しんで働いていた気がします。毎日のように失敗し、怒られ、色々と学ばさせていただきました。今思うと美談に思えますが、当時は本当に地獄のような日々だった気がします。

壮年期(25~)

とにかく仕事仕事の毎日でしたが、お金にも少し余裕ができたので、音楽フェスに行ったり旅行したりで楽しい日々でした。
社会人としていろいろな人と会うようになり、自分はとにかく「シャイ」で「人見知り」で「自意識過剰」の、とてつもなく面倒くさい性格なんだなと気がつきました。そして酒癖が悪いということを身に染みて実感しました。

そんなコバーニャは今では会社を辞めフリーランスのデザイナーとして働くようになり、ひとりで海外旅行にも行けるようになりました。そして結婚もして子供も授かりました。ゲーム機も買い放題ですし、好きな映画も見放題です。フリーランスなのでお昼寝だってできちゃいます。
けれども、ふと思ったのです。このままで良いのだろうか、と。

壮年期の終わりに向けて

コバーニャはこのまま毎日APEXやらモンハンやらをしながら老人になっていきます。けれども、そこに何が残るのでしょうか。
コバーニャはコバーニャとして、コバーニャであるが故にコバーニャの存在を一度見つめ直す時期なのではないでしょうか。

そこで僕はこう考えました。

これから少しづつ、思いを文章に込めてネットの海に解き放ちます。
何十年とこんがらがってそのままにしてきた経験の糸を、縦横無尽に引っ張り出します。
その紐解いた思考をもとに、コバーニャを再構築することがこのnoteの真の狙いなのです。
リユニオンの日は近い。

どうかその日まで、お付き合いくださいませ。

更新は週一くらいがベストですが、昼寝もしなければなので隔週とか月一になることもあるでしょう。
そしてそれらは誰にも見られることなく海底に沈んでいくことがほとんどでしょう。
でもいいんです。だって本当はただの暇つぶしだもの。


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