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「どうにもならなさ」を感じる家族の問題

「あれ、今日の夕飯は何を食べるんだっけ?」

消費期限切れで全く手付かずの廃棄弁当3つをゴミ袋に入れながら、おばあちゃんは僕に尋ねた。

「天丼だよ」

「ああ、そっか。ありがとね〜」

母に頼まれて買った2日分のお弁当をおばあちゃんの部屋の冷蔵庫に入れようとドアを開ける。

「あれ?天丼、あるじゃん」

消費期限は昨日。
どうやら従兄弟からも天丼をもらっていたらしい。
手をつけていない弁当がまだあったのか。

「あら〜食べなかったんだ」

まるで他人事のように言う。
おばあちゃんはいわゆる認知症だ。
だけど、僕はその原因がわかっていた。

「またアンタのママに怒られちゃうわ」

現在僕と僕の母親は、おばあちゃんと一緒に住んではいない。
おばあちゃんの面倒は母の妹(僕からすると叔母)がみているのだが、その2人の仲は悪く、ほとんど口を聞いていなかった。
忙しい叔母は朝仕事に行く前に手作りのご飯をおばあちゃんの部屋へと運び、特に会話をすることもなく、帰ってきたら回収する。
叔母の息子2人(僕からすると従兄弟)も一緒に住んではいるが、特にコミュニケーションはしないと言う。

「『一緒に食べよう?』の一言でもありゃかわいいもんだけどさ、2階に上がったって相手してくれないんだもん。本当、死にたい」

そんなおばあちゃんも日中家から出て散歩するわけでもなく、家事をするわけでもなく、1日中部屋でテレビをみている。
動かないから腹は減らず、間食ばかりで特に食事を取らない。
自分で生活リズムを管理できる能力をあまり持っていないので、叔母が作ってくれた料理や、僕の母が買ってきた弁当に手をつけず、冷蔵庫で腐らせる。
それを見た母は「クソ忙しい中買ってきたのに!」と憤慨し、ますますおばあちゃんは萎縮する。

それだけ怒鳴れば認知症は加速してしまうと思うのだが、怒りの感情はどうにもならないらしい。

ではそんな家族の問題を他人事のように眺めている僕はどうなのか。

できることはしているつもりだった。
週に1度ぐらいは自転車を走らせ何かしら差し入れに行くし、時間がある時は一緒に散歩にも行く。
その度に「死にたい」と言うおばあちゃんの愚痴に耳を傾けてあげてもいる。

だけど、どこかでわかっていた。
このまま環境が変わらずに色々な問題を先送りにしていれば、きっとおばあちゃんの認知症は加速して、いずれは......。
その瞬間まで、僕は変わらず同じ差し入れを持って、同じルートを一緒に散歩して、同じ愚痴を聞いてあげて、母は同じ弁当を買って行って、それを食べないおばあちゃんにキレて、叔母はコミュニケーションを全く取らずに、ただ残飯となって返ってくるご飯を無言で運び続けるのか。

何かが変わらないといけない。
誰かが変えないといけない。

みんなそう思いながら、「忙しさ」を理由にそれを避ける。
臭い物にフタをするかのように。

それで時が来たら言うのだ。

「あの時もっとおばあちゃんと向き合っていればよかった」と。

人には「ライフロール」と呼ばれる人生の役割があるらしい。

・子ども
・学生
・余暇人(趣味)
・市民(地域活動など)
・労働者
・配偶者
・家庭人
・親
・年金生活者

大人になるに連れ、演じなければならない役割が増える。
会社に行けば「労働者」として、休みになれば「余暇人」として、又は自己研鑽のために「学生」として、或いは「市民」として。
家庭に帰れば「配偶者」として、又は「親」として、実家に帰れば「子ども」として、24時間しかない1日の時間を、それぞれ何%かずつそれらの役割に使う。

現代人は忙しい。
忙しすぎて、「親」や「家族」とちゃんと向き合う時間をおろそかにしてしまう。

「スーパー」や「コンビニ」という便利なお店が至る所にあるから、「お金」と引き換えについついそれらに頼ってしまう。

「家が狭いから一緒に住めない」
「お金がなくて働かなくちゃいけないから、今はそんなこと考えている余裕なんかない」
「昔は私が虐げられたんだ。今更になってしおらしくなったって同情の余地なんかない」
「家族の面倒をみている時間があれば、他のことに時間を使いたい」

色々な理由で、おばあちゃんは独りぼっちになっている。

僕はその事実に気付いている。

なんだか、無情だ。

おじいちゃんは亡くなる前、僕に最後の言葉を遺した。

「家を頼む」

僕はおじいちゃんの手を力強く握って、頷いた。

みんなそれぞれ、色々な問題を抱えている。
自分のこと、仕事のこと、家族のこと、生活のこと、考えなくちゃいけない問題は山ほどある。

どうしてそんなに大変なんだろう?

なんでみんな、そんなに身を削って生きているのだろう?

僕らが住んでいるこの世界で、日本で何が起きているか。
考える余裕もないから、日本中の問題が、同じように積み上げられている。
その問題が、さらに僕たちを苦しめる。
僕たちの気付かないところで。
その事実と向き合う前に、目の前の問題に忙殺される。

この負のスパイラルはどうしようもない?

違う。

1つずつ、クリアするしかない。
言い訳せずに、向き合うしかない。

「どうせ」とか、「だって」とか、そんな言葉を言う前に、ただ真摯に目の前の人と、事象と向き合うほかない。

福祉の仕事で沢山の人たちの支援をしておきながら、自分の家族の問題はままならない。

そんな僕だけど、それを認めて向き合うしかない。

あなたはどうですか?
きっと、みんな大変な思いをされていると思います。

自分を責めることも、言い訳することもせず、ただ向き合う。

そういう生き方をしようと思った日でした。

今日も読んでいただきありがとうございました!

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