書くうえで私の決めたこと
ネットで誰かの書いた文章を読むようになって、傷つくことがちょっと増えた。
紙の本では不用意に傷つくことはないのにな。
本屋さんでは好きなものだけを選んでるのもあるだろうし、公のものは最初から、編集でそういうのはシャットアウトされるからかもしれない。
だから私も、誰かを傷つけるものは書かないように気をつけたいと思った。
だけど、気をつけているうちに、誰もが傷つかないようになんて、出来ないって分かってしまった。
自分のいいと思うものを打ち立てれば、別の嗜好の人は傷ついている可能性はいつだってある。どれだけ気をつけても。
傷つけないように、と言うこと自体、傲慢な気もしてきた。
誰かが何かを感じても、それはその人の自由だから、私たちがどうこうできない。
傷つけない、というのが出来ない代わりに、一つだけ決めた。
見下さない。
短編サイトで、「あ、見下してるんだな」という小説を何個か読んで結構長くモヤモヤしてしまった。
作者の人は、いわゆる普通、じゃない主人公を描いて、それを自業自得って言っていた。
主人公のような人は、一番そんな自分を責めて、苦しんでるって知ってる。し、想像くらいできる。
近しい人にいるから、その人を思ってとても悲しくなったし、そういう風に捉える人がやっぱりいるんだなって。
傷つくと同時に、怒りがわいたのは、作者はそういう人たちをただ見下してるんだなってことしか伝わらなかったから。ラストまで。
対等に見てたら、ただ批判だけの物語にはならないと思う。自分と違う人を見下した押さえつける小説は何のために書くんだろう。
だから、同じテーマで私も、私なりに書いた。
主人公の状況は変えたけど、大丈夫っていうメッセージと、そのままの自分でもいいっていう希望を込めたつもり。
嘘のお話である小説であったとしても、絶対に希望がないといけない、と思う。
誰かを見下してる、そういうのは書く意味がない。
小説が明るくても暗くても、ハッピーエンドでもバッドエンドでもどっちでもいいけど、そこに住む人たちを対等に見て、そして何かしらの希望を入れないといけない。
それが私の決めたこと。
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