「劇画ロードショーの舞台裏」聞き書き

筆者(編集長729号)が、劇画ロードショー及び映画コミカライズ作品の調査を始めて長くなりましたが、その製作の背景は知ることが出来ないでいました。
その理由は単純で、制作に携わった方々とお話しをする機会が得られなかったからです。
ですがついに、その背景を垣間見る機会が得られました。
「少年チャンピオン」の黄金時代を築いた伝説的な編集者、壁村耐三氏と共に、その黄金時代への道を築く一翼を担った編集者、大塚公平氏に話を聞く機会が得られたのです。

大塚公平氏は2021年夏に当時の思い出を綴った「漫曲グラフィティ(彩流社)」を発表されました。

「漫曲グラフィティ」の中で大塚氏は、別冊少年チャンピオンから月刊少年チャンピオン、そして週刊少年チャンピオンでの数多の仕事について、多くの漫画家の思い出も交えて当時の様子を生き生きと回想されています。

また大塚氏が映画好きでもあり、業務の一環として試写会にも頻繁に出かけていたことから「劇画ロードショー」の立ち上げにも関わった旨が書かれていました。

ただ「漫曲グラフィティ」ではその部分がごく簡単に紹介されているのみで、読み終わった筆者(編集長729号)はお会いして詳しく聞きたいという熱情が抑えられなくなりました。

そこで出版社に連絡を取り、大塚氏に手紙を転送していただくことで当方の願いを伝えたところ、面会を快諾していただき、都内某所の喫茶店で90分にわたってお話しさせていただくこととなったのです。

先ずは大塚公平氏に感謝の言葉を述べさせていただきます。

さて今回のテーマ「劇画ロードショーの舞台裏」についてです。

筆者(編集長729号)は記録をとる目的で誰かと話をするという経験が無く、事前にあれこれ考えて質問一覧も用意してありましたが、いざ、その時が来ると緊張してしまい、当時の思い出を話される大塚氏の言葉に相づちを打ちながら、言葉の切れ目に質問をはさむのがやっとでした。

また90分の会話を文章に再現する能力もないので、あらかじめ用意していた質問一覧にあてはまる部分を会話の記憶から抽出して整理することとしました。

■質問01■企画のスタートはどのようなものでしたか?

当時すでに邦画をそのまま漫画にした作品がいくつもあったので、懇意にしていた映画会社の担当者に「これこれの映画を漫画にして掲載したいのだけどどうかな」といった感じで打診したところ、あっさりOKがでました。企画を練り込んだとか会議を繰り返して煮詰めたというようなものではありませんでした

■質問02■各作品を担当する漫画家はどのようにして決めていたのですか?

編集会議でみんなから上がった推薦を参考にして決めました。誰かが独断で割り振ったというようなことではありませんでした。

■質問03■漫画家は映画会社から資料を貸与または与えられていましたか?

漫画家は試写を見ることが出来ましたが、特別な資料などは提供されませんでした。あれらの作品は全て漫画家各氏の記憶力とそれを補う想像力で出来上がったものです。

■質問04■映画会社から完成した漫画について何か意見や要望などはありましたか?

自分が記憶している限りでは、映画会社やその担当者から、劇画ロードショーに関して要望やクレームなどが来たことはありません。印刷前にも原稿のチェックなどはありませんでした。お互いの信頼によって出来上がったものなのでチェックなど必要なかったのです。

■質問05■劇画ロードショーの作品について編集部の中で話題になったようなタイトルはありましたか?

当時はあまりに忙しかったので終わった作品(発売された雑誌に掲載された作品)について考える余裕は全くありませんでした。

■質問06■秋田書店の様々な雑誌で劇画ロードショーが展開された理由は?

編集者は担当部署が変わることがままありました。新しい部署でページを埋める作品が必要となったとき、チャンピオンの時に扱ったタイアップ企画漫画を採用することは珍しいことでは無かったと思います。それが秋田書店の様々な雑誌で映画のコミカライズ作品が掲載された理由でしょう。

■質問07■コマ外のキャッチコピーは誰が作っていたのですが?

文面は編集部の担当者が書き、デザインや装飾は版下の職人が手がけました。

■質問08■劇画ロードショーの原稿は秋田書店が保管しているのでしょうか?

分かりません。漫画家へ返却された原稿もあったかもしれません。

■質問09■再録および単行本の企画は出ませんでしたか?

無かったと思います。自分は聞いたことがありません。権利関係が複雑ですから、今考えると当時でもよくあのような企画が実現したと思います。

■質問10■チャンピオン掲載作では田辺節雄氏と桜多吾作氏が目立ちますがその理由は?

漫画家には色々なタイプがいて、中でも「便利な作家」が重宝されました。この「便利」というのは「器用でどのような依頼でもそつなく描き上げる」という意味で、田辺節雄氏も桜多吾作氏もそういった意味から採用される機会が多かったのだと思います。

以上が90分の談話から記憶を頼りに抽出したものとなります。

大塚公平氏は言葉も力強く記憶もハッキリしていますが、氏にとって「劇画ロードショー」は日々の業務の極一部であり、少年チャンピオンが発行部数の頂点へ達しつつある激動の日々において特別に記憶するような作品群ではなかったので、筆者(編集長729号)の重箱の隅をつつくような質問に驚き呆れつつも真剣に考え記憶を遡り答えてくれました。しかしなんといっても40年以上前のこと。思い出すにも限界があって当然。それでも筆者(編集長729号)は多くの疑問に対する解答は得られたと実感しています。

大塚公平氏の言葉を借りれば
「劇画ロードショーが好きな人が居るんだね。驚いたよ。」
これが制作に携わった人の正直な感想だと思います。

「劇画ロードショーが」が送り手の印象であっても「劇画ロードショーだからこそ」と、こだわり続ける読者もいます。

1970年代だからこそ実現した「劇画ロードショー」が多くの人達に記憶され後世に語り継がれることを祈りつつ。

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