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メンタリストDaiGoの動画を見ないことで得られたもの

今回初めて筆をとりました。書きたいことがあります。私はそこらへんにいる学生です。学生風情がなにを言っているのかと思うでしょうがどうかご容赦ください。

DaiGoは登録者数は198万人を越える大人気YouTuberである。メインの内容は心理学だけでなく恋愛、人間関係、お金の話など勉強になり興味をそそるものが多い。

私が警鐘を鳴らしたいことは、動画を見て何かを学んだ気になっていいのかということだ。たしかにYouTubeの動画は無料であり、ちょっとした時間でも見ることができる。DaiGo(彼の名前は大文字と小文字が混ざっている)が動画で紹介する知識は有益で、実際に使おうと思えば即使えるものが多い。そのため動画向きであり人気がでるのもうなずける。私も以前はよくよく視聴していた。DaiGoのアドバイスに従って話し方を落ち着いてゆっくりめにするなど。それだけで相手に与える印象がよくなるらしい。かなり有能なアドバイスだ。ありがたいことこの上ない。

しかしながら隙間時間を使って動画を見ただけで学べる程度のものは、自分にとって本当に有意義なものであるのだろうか。

私は彼の動画からこんなメッセージを感じた。

「本も読めない人たちがこんなにも群がっている。そんな人たちにちょっとした情報を与えただけで視聴者数も増えてお金も入る。なんて楽な仕事なんだ。」

彼の動画は視聴者が多いのもわかるが、群がっているのは本も読めない人たちばかりである。本も読めず、その時間を限定的な情報しか得られないたかがYouTubeの動画に使い、何かを学んだ気になっている。

それでいいのか?

本来ならば知識は無償で得られるものではない。たしかに動画をみるという時間的コストを支払っていると言われればそれもそうだが。同じ時間のコストを払うならば、本に出す金も一緒に払えばいいのにと思う。社会人は月に数冊の新書に出すお金も無いのかと思うと嘆かわしい。本に出すお金をケチって何になるのか。

知識は無償では手に入らない。

金を払い、時間を使い得るものである。そして自分にとって本当に有益な知識を得るべきである。

私自身DaiGoの動画は好きである。彼の飲むワインは美味そうだし、ネコも可愛い。しかし、彼らから知識を与えられている感はどうしても拭えなかった。

与えられている、自分から学んだものでは無い...

そう感じた。自分から学んだものだけが自分自身を作っていくのだ。何事も自分から行動すべきである。学んでいけるという考えをすることに自身へ許可を与えよう。精力的に行動し、まずは読書から、次は〇〇へと出来ることを増やしていこうと思えるようになった。

最後に一言、彼の動画には感謝している。

#メンタリスト
#Daigo
#YouTube

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