【note】20日目 インプットとアウトプットのバランスが分からず初心に帰るその3【垂れ流し】

ーまとまらない考えとランダムに浮かんだ考えをそのまま垂れ流している怪文書です。特に意味はありません。
ー自分が大切にしたいことの解像度が上がって突然色々なものが見え方を変えてきて、その時観ていたもの、読んでいたものが脈絡なく繋がるカオス状態に陥ってしまいひとまず書き残しています。

ーーー


 解像度が上がり、ぼやけた雲が点の集合だったと気づき、今点と点がめちゃくちゃに繋がりあって考えがまとまらない。雲の中で氷の粒がぶつかり合って静電気が溜まり、雷が迸る様に。点と点が突然繋がり直感では似ていると感じるが認識が追いつかない。なんだこれは。

ちょうどラギット・ガールを読んでいて

「ひとのあらゆる個性は、生まれ落ちたときの初期条件と、五官をとおしてストリーミングされてくる環境情報、極端にいえばただその二つだけから作り出される。常人の場合、環境情報の履歴は大半が廃棄されるが、その上で残るものがあなたをかたちづくる。」

—『ラギッド・ガール 廃園の天使Ⅱ』飛 浩隆著https://a.co/hHzxfPf


また理研では意思決定についての研究があり

行動の個性は神経活動の外的擾乱(じょうらん)に対する感受性(安定性)によって決まる

https://www.riken.jp/press/2018/20181114_1/index.html


外的擾乱に対する感受性とは気持ちとか感情と呼んでいたもので、赤ちゃんからこれまで快不快から枝分かれしたいくつもの感情(評価軸)におけるあらゆる外的擾乱への安定性、この感受性の変化が私をカタチ作る。

生まれた時は快と不快しか持たなかった。そこからどんどん次元が増えていくとどうなるか。一見表現力が上がった様に見えるだろう。しかし、次元の呪いによって外的擾乱への安定性は固定されていく。そしていわゆる「頭の固い」変化のない人間となり、そもそも五感が衰える事で外的擾乱そのものも小さく、ダイナミックレンジが狭くなり、最後には外的擾乱がゼロになり死ぬ。いや、安定性が固定された時点が死ぬということかもしれない。

君の膵臓を食べたいで桜良は生きることは他の人との関わり合いだと言った。揺れ幅の大きい“不安定な“他者を外的擾乱として受け入れまだ見ぬインプットで安定性のテストとアップデートを行うという事ではないだろうか。彼女は春樹からいなくならないでほしいと言われ、私個人というアイデンティティがあるのだと認識する。アイデンティティとは他のもので代替できないということ。『私』個人が逆に他者への唯一の外的擾乱となり他者も私にとっての唯一の外的擾乱である。そこに至るまでに受け取り、捨ててきた全てのものが互いにとってかけがいのないもの。本を読み、他者と関わらなかったことと、真実と、かりそめの日常がそのためにあった。そう教えてくれていたのだ。


次元の呪いとは、データの次元数が大きくなり過ぎると、そのデータで表現できる組み合わせが飛躍的に多くなってしまい、その結果、手元にある有限なサンプルデータでは十分な学習結果が得られなくなることを指しています。

年を取ることとは外的擾乱をいかに多様な次元で感受するかと言えるかもしれない。次元の呪いは次元が多様性を増すほど学習効率が下がる。という話だ。ちょっとやそっとの外乱には動じなくなるし変化もしなくなる。そうした事を回避するには、次元の削減ーーようするにシンプルに世界をとらまえるよう感受性を削ることが新たな変化を自分にもたらしてくれるのではないだろうか。むしろ変化したいのならば感受性を削らなければいけないのかも。それは増やすのよりもしかすると難しいかもしれない。安定した環境にいるならば逆に多様な外乱に触れることで感受性を増やす事が必要なのだろう。その感受性の取捨選択と安定性、これらの組み合わせで個性が決まる。取捨選択というより……増えたり減ったりするもの、選んで増やせはしないが、削ることは努力すればできる様なもの……言葉が見つからないがそういったもので私が、今の私ができる。

ミームはどうだろうか?

説明ミームとは、脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報である。例えば習慣や技能、物語といった社会的、文化的な情報である。 文化的な情報は会話、人々の振る舞い、本、儀式、教育、マスメディア等によって脳から脳へとコピーされていくが、そのプロセスを進化のアルゴリズムという観点で分析するための概念である。 ウィキペディア

これは個人の感受性影響を受けない範囲での情報か。

他者を想像するということは、感受性のマッピングと感度を理解するということだろうか。自分のものですらわからないのにそれは不可能だ。他者理解は不可能なもので、むしろそうあるべきだとわかる。なぜなら他者が完全に予測可能ならば外乱にならず関わり合う合わないに関係なく私が作られる。いなくてもいいのだ、そんなものは。


はやてクロスブレードやん。削りにこいってこういうことですやん!!!「バカ」っていうのが感受性を削るってことですやん!!!変化したければバカになれ。私を削りにこい。え、まんまやん。凄すぎない?そしていっちばん予測不可能な他者が刃友ですやん!!!自分に変化を与えてくれるものなんですよ!!!はーやば。なんか俺までバカになってない?まあいいか。バカ、ばんざい。みんなバカになろう。変化を求められる時こそバカになること、バカにならせてくれる他者の存在が大事ですねー。うんうん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?