なぜサッカー強豪校から柔道整復師を目指したのか?
おはようございます。
テナントの名前を何にしようかと考え中の則包(のりかね)です。
以前、資格についてインスタグラムで発信させて頂きました。
今日は、より深堀りした
柔道整復師を目指す前のお話をしようと思います。
#こんなん需要あるのか
私自身高校までサッカー漬けの毎日。
四六時中サッカーと隣合わせの生活をしていました。
小学生から本格的にサッカーを習い始め
地元長岡第四サッカーに入団。
中学では、FC長岡京という外部のサッカーチームに入団。
高校では、京都橘高校に進学し準優勝・3位・ベスト8。
心の中では、京都府でベスト4くらいを目指せるチームと思い入ったんですが、全国準優勝をしてしまいこれはどえらい高校に入学したな。と思っていました。。
もちろんプロサッカー選手を目指していた僕でしたが、中学で周りにうまい選手がいるわけで
高校にいけば県外からもっとうまい選手がくるわけで…
どんどん
「あ、自分には無理なんじゃないか?」と心の中で思いながらサッカーをしていました。
ただ中途半端に終わりたくないと思いで、どんな苦しい思いをしても試合に出たい。そう思いました。
当時の僕のプレーは今思えば本当に申し訳ないくらい荒っぽいプレーヤーだったな。と。
当時怪我した人はすいません。。
そんな中、サッカーをしていた訳ですが
誰かに直接ありがとうと言われることが嬉しいという感情が抱いてしまいました。
友人が疲れたと言われたので、自己流のマッサージをするとありがとうと言われた経験がありました。
なぜかこれまでにない感情が芽生えたのはこの時でした。
そこから進路を決めなきゃいけない夏頃
35名同じ学年でサッカーをしていた仲間がいるんですが、33名は大学進学予定。
大学は当たり前。というのがありました。
大学では、サッカーをするなら中途半端は嫌だな。という思いと、父親が建築士をしているので大学の建築学科に指定校を出しました。
そしたら落ちました。
そこですごく考えました。
残っていた指定校の大学に行くという選択肢もありました。
ただ、何か引っ掛かるようなことがあって
それを整骨院の先生に相談すると、専門学校というのがある。と言われました。
ただその整骨院の先生からは反対されて、学校の先生、監督、コーチ、親。もう反対、反対。
今思えば反対という理由もわからなくないですね。
その時1人だけ背中を押してくれた人がいました。
中学校の時のコーチです。
そこからプレーヤーではなく
支える側になろう。そう思いました。
そこから大阪中津にある平成医療学園へ入学を決意し、柔道整復師への道を歩き始めました。
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