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#45 盲腸

-45-

確か3歳の頃、虫垂炎。いわゆる盲腸になった。

って言ってもほとんど記憶ない。
あるわけない。
だって3歳。

今日は小さな体で頑張った(らしい)お話。



20年前のちょうど今ぐらいの温かくなってきたころだったはず、
今回はほとんど聞いた話。

初めは頭が痛いと言い出したらしい。
そうか今のまなとより小さい。いろんな言葉を覚えて一番落ち着きのないころのはず。(人によるだろ)

3歳であったため、最初はおなかが痛いとわからなかったらしい。
でも自分で異変には気づいたんだろうな。
何かがおかしい。
でも自分の症状の伝え方が分からなかったんだろう。


母親は俺を子ども病院に連れて行った。

色んな検査をしても何も病状が分からない。
苦しむ俺は体力をどんどん消耗していき衰弱していった。
母親によるとぐったりしていたらしく
もうこの子はだめだろうって本気で思っちゃったってさ。

すると突然俺はお腹を押さえだしたらしい。
さっきまで頭が痛いと言っていたが急におなかが痛いと言い始めたらしい。
急遽別の検査をするドクターたち。
そこで盲腸の可能性が出てきた。
だが可能性としては薄かった。

基本的に盲腸は10歳~20歳の人がなることが多い。
先生たちもまさか3歳の男の子が盲腸であるとは思わず、しかも頭が痛いとか違うことを言っていたため発見が遅れた。

盲腸の検査は大分県立病院、通称  ”県病” でないとできなかったため、移動する必要があった。
でも俺の意識がほぼなかったらしい。
急遽、救急車に乗ることになった。

母親も俺も初救急車。
しかしここで一つ問題が。

母曰く、救急車の中がものでいっぱいで横になるスペースがなかったらしい。
これ結構大問題ですよね。笑
でももうそんな気にしてられないくらい急いでたので
母は俺を抱っこして救急車に乗った。

ここだけ。
ここだけ記憶がある。

ほんとにワンシーンだけ。
きつくてずっと目をつぶっていたが
一瞬だけ目を開けた。

理解できたのは、
①救急車の中で抱っこされながら運ばれている。
②ぼろ泣きの母親。
③あと窓の外にゴリラが見える。

①②は事実だからいいけど、
ゴリラが見えるはおかしかった。
大分県民しかわからないかもしれないが、こども病院は羽屋にあり、
県病に行くまでの間にゴリラはいない。
俺の言ってるゴリラというのは住んでるわさだにあるゴリラの看板のことである。
どう考えてもそこを通ることはない。
けど、はっきり覚えている。

大人になって母親と話しているときに気づいた。
見えるはずないよな。って。
何か別のものを見間違えたのか。
あるいは意識が飛び過ぎて幻覚でも見始めていたか。
見たことのあるものに置き換えていたんだろうな。



病院についてからの記憶は全くない。
あの後どうしたんだろう。
分かるのは検査をして盲腸だとわかりその日から入院生活が始まったことくらい。

目を開けると病室だった。みたいな記憶もない。

それでも多分緊急手術だったはず。
話を聞くたび母親から「アンタ死にかけちょったんで」と言われていた。

大分県内で盲腸になった人の中で最年少だったらしい。
今は記録抜かれてるかもわからない。



入院生活は、所々記憶がある。
まずごはん。
全然食べれなかった。
母親に無理せんでいいよ。って言われてたから結構残してた。
術後って多分体力すごい奪われてるんでしょうね。
ほんとはしっかり食べた方がいいんだろうけど、もともとあまり食べない子だったし、食べることにも体力を使うため残していた。


次は病室。
病室は相室だった。
同じくらいの年の男の子がいた。
その子は盲腸ではなく別の病だったが、母曰く、どうやら長いこと入院生活をしているようだったらしい。
でもその子は俺の大好きな戦隊ものフィギアをいくつか持っていた。
しかもそれを貸してくれた。
めちゃくちゃ覚えてる。
名前も顔も何も覚えてないけど、すごく優しい子だったのは覚えてる。


あとはお見舞いかな。
他にも来てくれたかもしれないけど、3人覚えてる。

1人は母の妹。叔母。
「こうしん大丈夫な~ん!心配したわ~!」
って言われたのを覚えている。
自分の子じゃないのにこんなに心配してくれるんだ。って3歳ながらに思ったのを覚えてる。
叔母は子どもが3人いる。
みんな俺より年下で、俺の1個下、3個下、6個下。
当時俺は3歳なのでまだ2人目すら生まれてなかったが、自分の子と同じくらいの甥っ子がそうなっていたらそりゃ心配するかって今は思う。


次は親戚のおばさん。
ええと今度は母親の叔母かな。
うーんよくわかんねえけど、小6まで習ってた書き方の先生のお母さん。
よくうちにきてうちのばあちゃんと話してた。
よくきてたから覚えてた。
お見舞いの品にはぬいぐるみをもらった。
身体を押すと、モ~って鳴くウシのぬいぐるみ。
多分、名前が こ”うし”ん だからだと思う。笑
こいつの肌触りがいいのと、鳴くのが可愛くて圧倒的俺のおもちゃの一軍だった。
お気に入りのぬいぐるみ。
母曰く、それを抱いて寝るもんだからかわいかったらしい。
しかも寝返りを打つたび、モ~!って病室中に響き渡るから相室の子とお母さんに申し訳ないし恥ずかしいって言ってた。笑
でも大好きだった。


最後はもちろんパパ。
すでに離婚していたけど、まだ再婚はしていなかった。
再婚してても来てくれただろうけど、来てくれた時はうれしかったなあ。
パパ大好きだったから、いや今でもすきだけどね、なかなか会えなかったから会えると嬉しかったんだよ~
何話したかは覚えてないけど、お見舞いの品はあまり覚えてないけど
たしか絵本だった。

なんだかんだ母親が一番大変だったんだろうな。

3歳の息子が意識ないぐらいぐったりしてたら精神的にくるよな。
しかも夜はまじでずっと一緒におってくれた。
もちろん親のベッドはない。椅子に座ってベッドにうつぶせるだけ。
それを1週間はきつい。

数日に一回お風呂に入るために家に帰る。
その間は叔母など他の人に来てもらったりしていたらしい。
その帰れたタイミングでご飯も食べていたらしいが、その入院生活中に10kg以上瘦せたらしい。
今でもあのころが一番痩せてたという。
そして夜はぐずる俺を寝かしつける。

やってもらっといてあれですけど、激務ですよね。
その間上の子二人にも会えないわけだし、家の事なんか気にしてられんかったって。
体力的にも精神的にも限界だったはず。
どうもありがとうございます。


「でもかわいかった頃のアンタと一緒に過ごすのたのしかったんで~」
今はかわいくないみたいな言い方されてますけど

元々一人でトイレにも行けるようになってたから入院中も一人で行ってたって。
行くときに点滴のやつ、わかるかなあのマイクスタンドみたいな
下に車輪がついててコロコロ転がせるやつ。
トイレに行きたくなる度、教えてもらった方法でパチパチとクリップを付け替え、点滴を転がしながら病院内を3歳が歩き回ってる図。
俺じゃなくてもかわいすぎる。
トイレに行く後姿が大好きやったって。

長い長い入院生活も終わって退院の日。
5月8日。
こうしん4歳の誕生日の日に退院しました。

腹下にはでかでかと盲腸の傷が。
もちろん今でも残ってるし、消えることはない。
全然グロくないし、この話をしたら見せてと言われるからみんなに見せてる。
盲腸あるあるかな。
見せてほしい人は言ってください。おもろいです。

そんな傷を残して数週間ぶりに我が家に帰ると、これも覚えてる、姉がケーキを作ってた。
うちは貧乏だったからケーキは買わずに作る派。
その代わりに何ケーキにするかは誕生日の人が決めてよかった。

あとはもう言わずもがな、楽しい誕生日を過ごしたんやろうね。
なんも覚えてないけど。


そっから大きな病にはかかってません。
健康が一番。
早期発見が大事。

ちょうど会社の健康診断の紙が届きましたんで、皆さんもちゃんと行ってくださいね。

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