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自分の死を見つめて

今日は静かに雪が舞うようにフワフワ降っている
せっかく北海道に住んでいるんだからこんな綺麗な雪の日に死にたいな
と思った。

年末に夫と人生会議をした。
人生会議といってもお互い書いたエンディングノートを読み合わせた程度
それでもお互いの生き方や死への考え方はは少しだけど分かり合えたと
思っている。今まで全く話したことがなかったからよかった。
どう生きたいのか、人生で何が重要なのかそんな話を珈琲を飲みながら
してみた。
結婚して15年経つけど初めて聞いた話もあったので新鮮だった。

私たちは40代なので死は普通に考えるとまだちょっと先の話
でも、私の父が去年他界したことによって
私にとっては死はとても身近にかんじられるようになった。
祖母も父も同じくらいの年齢で病死している。
世間でいうと早すぎると言われる年齢の死。

父は余命宣告を受けた時点で、母と毎日のように死に関わる話しを
していたらしい。
どういう死に方をしたいのか、どういう状態になったら病院へ
はいるのか。それこそどんなお葬式がしたいのかまで話していたらしい。
父が亡くなった後の母の年金の金額まで調べていたのには驚いた。
生きているうちに値打ちのあるものは殆ど友人に渡して整理していた
のは死への覚悟ができていたのだと思う。
そのおかげで、母は父が望むような死を受け入れて
最後は父の望む死を納得してお別れができた様子。
後悔がないとはいわないわないけれど父の為に母ができる事は
やりつくしたという感じがした。
「お父さんも最後まで頑張ってくれたんだ」と話していた。
そんな母でも、今は父のいない部屋で毎日泣いている。

家族みんなが納得できる死なんて存在しないのかもしれない。
であれば、最低限本人の希望を叶えるのが、その人にとっての幸せ
なのではないかと感じた。
だからこそ、生きているうちに家族と話し合って理解してもらう
というのは大切な事なんだと改めて感じた。

もしかしたら私も父と同じくらいの年齢で夫と子供にお別れを
するかもしれない。
その時に後悔しないように生きていたい、そう強く願うようになった。
でも私、もうけっこう幸せだと思う。
彼と結婚した事が一番の幸せ。
何があっても動じない夫。ポジティブだし、穏やかだし私の心のオアシス。
そしてかわいい娘いる。
私よりしっかりしていて絵のじょうずな素直ないい子。
人生においてこれ以上望むものってない気がする。
大切な家族がいれば十分って感じもする。

でも私には私なりの目標がある。
自分の人生を楽しんで生きる事。
今まではトラウマがあってそれができなかった。
死ぬことばかり考えて、でも死にきれなくて生きてきた。
無理を重ねて、自分自身を大切にする事ができなくて、結局体調を崩して
しまった。でも去年、良い出会いがあってトラウマを解消できそうな予感。
カウンセラーに救われた自分がいる。
生まれてはじめて死にたいって気持ちがなくなってきた。

トラウマに邪魔されて自分の楽しい生き方なんて考えた事もなかった。
ずっと死にたがってた自分がいたのはもう過去の事になりつつある。
自分の楽しい人生というものを味わってみたいって欲がでてきた。
夫は
「好きな事を好きなようにやってみたらいいんだよ」
とさも簡単そうに言ってのける。けっこう腹立たしい。
でも、その通りなんだろうなとも思うから何も言えない。
夫を見てると毎日楽しそうだ。
悩みがなさそうによく小躍りしてる。
そういえば結婚したのは、この人といると人生楽しそうだと思ったからだ
という事を今思い出した。

毎年、年末に夫とエンディングノートを見ながら人生会議をしようと
約束した。今年の年末にはたくさんの私の好きな事を話しあえるよう
精一杯生きようと思う。


自分の好きをたくさん見つけて、それをnoteにたくさんのせるために大切に使わせてもらいます