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歴史を学ぶ意義

さっそく引用です。

「人間は、一秒たりとも未来を先に知ることはできず、常に闇の中に未来のヴィジョンを見据えて踏み出してきたのであり、そのことは現代でも中世でも変わらない。…人間は未来に背中を向けて後ずさりで進んでいくことしかできない存在で、未来を知りたければ過去を基準として推測するしかないならば、遠い過去まで見通せる視座を持つことで、より柔軟な展望と対応力が獲得されるだろう。そのために、時間的にも空間的にも隔たった異質な世界を具体的に描き出すことが、人文学の役割と言えるのではないだろうか。」(松田隆美『煉獄と地獄』)

この著者は自分が教わっている教授の恩師(つまり先生の先生)です。本書のあとがきからの引用ですが、自分が取り組んでいる中世イングランドの歴史研究を後押ししてくださる言葉でもあります。

未来に進むということは、後ずさりしながら暗中模索するといった営みで、足がすくむのは当然です。その進む先が遠ければ遠いほど、他人と異なれば異なるほど、なおさら足がすくみます。前に何があるのかも、そばに誰かがいるのかも全くわからない中で、唯一確かなことは、自分が進んできた道だけは確実に存在する、ということです。しかし、後戻りはできないようです。

すこし余談ですが、「空間」の対義語は「時間」だということをご存じでしょうか?それぞれが抽象概念であるだけに、どこがどう対をなしているのかよくわかりませんが、どうやら両者は対をなす言葉のようです。

空間と時間によって自分たちは隔たっている一方で、空間と時間によって自分たちは繋がっているともいえるのではないでしょうか。

自分自身、忘れたくないのは、自分が進んできた道は、一時であっても誰かとともに歩んできた道だということです。

そしていまは歩みをともにしていなくても、その人もまたどこかで歩みを進めているということです。

最後に、将来自分が書きたいなと思っている物語の冒頭を書いて終わろうと思います。まあ、引用なんですけどね。

「我々はここかしこと通りゆく巡礼者なのだ」(チョーサー『カンタベリー物語』)

ではでは。

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