過去の私、今の私

 過去の私

実は私は今まで私自身のことが好きではありませんでした。中学校時代私はいじめを受けていました。そのトラウマから他人は攻撃してくるもの、できるだけ目立ってはいけないと心を凍らせて毎日を過ごしていました。いじめのターゲットが変われば、中学を卒業すればと、この問題は時間が解決してくれるものだと考えていました。
 しかし、高校に上がってからもそれは深く心に突き刺さったままでした。家族ではない他人が途方もなく怖かったのです。そして自分に自信がなかったのです。そんな自分が嫌で嫌で仕方なかったのです。私という人間はどうしようもないほどに臆病になっていました。
 私には兄がいます。勉強ができ、私とうってかわって人とよく関わる人でした。俗にいう良くできる兄ってやつです。ある日兄は鬱になってしまいました。詳細は省きますが、この事から私がしっかりしなくてはいけないと考えるようになります。
 大学に入ってからなんとか人と関わろうとしますが、なかなかうまくいきませんでした。正直今まで人と関わることを避けてきた人間がいきなり友達を作るなんて無謀にもほどがあります。しかし、そんな私にも友達ができました。彼は人生において1.2位を争うほどコミュニケーション力が高い人でした。彼から人との関わり方を学び、友人を増やしていきました。
 そして大学四年就職時期、父が他界しました。私が幼少の頃母と離婚しており、父の顔すら覚えていませんでした。そんな父の葬式に出席しました。ここが私の転機になります。なんと葬式に来たのはほとんどが遺族の会社関係の人々であり、友人として来ていた人は一人もいなかったのです。父は孤独な人生を送っていたのだとそのときはじめて知りました。それと同時に私は怖くなりました。誰にも誰にも悲しまれない葬式をこれから私がするかもしれないのだと思うとこれまでの比ではないほどの恐怖感に教われました。なぜならこれから就職するであろう会社は私が関わりたい業界とは正反対であり、私にとってやりがいを一切感じない職業だったからです。、働く姿が想像できず、誰からも愛されないまま死ぬそんな未来に恐怖したのです。
 そして思いきって就職ではなく進学を選ぶことを相談するとみんなこぞって安心したと言ってくれたのです。今の私は見るに耐えないほど疲れきっており、痛々しかったそうです。何より本当にしたいことを見つけれたのならそれが一番いいと応援していれました。この事が私には泣くほど嬉しかったのです。人との関わりが私を救ってくれたのです。本当の意味は私は孤独ではなくなりました。

今の私

 今はまだ私のことが心のそこから好きかと聞かれれば正直まだわかりません。しかし、私を応援してくれる人がいる、助けてくれる人がいる、そんな私を救ってくれた人たちに胸を張れる人でありたいと考えています。
 そのため今は必死に目標のため勉強をしています。その目標とは人を安心させることができる建築家になること、そして私のように自分に自信が持てなかったり、好きになれない人に向けて何ができることを見つけることです。
 人と関わることを何より恐れていた私が人との関わったことにより救われました。
 今私が通う学校でも何か問題を抱えている人がいます。そういった人たちを勉強しやすいように手伝いすることが私を救ってくれた人たちへのお返しかなって考えています。

以上、私の半生を書いてみました。
読んでくださりありがとうございました。
これから週に一度を目安に投稿できたらと考えております。
駄文ではありますが、こちらを読んでいいなと思ってくれた方がいましたら引き続き御愛読いただけると幸いです。

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