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『夕方がいちばんいい時間』

 日々の忙殺に流されてしまいついぞ1日が終わってしまうというのは今に始まったことではありません。中学を過ぎたころ、それは少し言いすぎでしょうが、高校生になったころにはそういう感覚が少しづつ芽生えてきたように思えます。気づいたら夜なんていう日が増え、大人の言ってる時間にまつわるあっという間とはこれのことかと妙に納得している自分に背筋がひやりとして、そんなことかと思えばもう大学3年生です。とはいっても20代までは、このあっという間がこれ以上は進行しないとも聞きます。実際のところは知りませんが、子を持つことが進行の引き金になるなんて言うのも耳にします。

 毎日結構な量の文字に目を通し、結構な量の文字を書いている気がします。少なくともここ半年はそんな気がします。読む論文の対象は個人的興味のものから仕事に関わるものまで。記事の編集もあれば、自分のためにしこしこ書くこともあります。手の内を見せられるものから、憚られるものまで、いずれにしても自分が漕いだ水の量は少しずつではあっても増えてきているように思えます。そのことをここに書く意味がどれほどあるのか。そんなことはよく分からないけれど、ここに書くことで少なくとも自分のご機嫌はとれそうだし、明日からまた頑張れそうだし。自分で自分のこと野暮に言っても埒が明かないですから。

 さて少し話を戻して。気を抜いたら時間が経っていること。よく読みよく書いていること。つまり、読んだり書いたりしてたら1日が終わっていることに多少なりとも不安を感じるけれども今はそれで問題ないということを自分に言い聞かせてやりたいわけです。

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 最近読んだカズオ・イシグロの『日の名残り』で印象的なやりとりがあります。

日の名残り (ハヤカワepi文庫) | カズオ・イシグロ, 土屋 政雄, 政雄, 土屋 | 英米の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

「なあ、あんた、わしはあんたの言うことが全部理解できているかどうかはわからん。だが、わしに言わせれば、あんたの態度は間違っとるよ。いいかい、いつも後ろを振り向いていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。何だって?昔ほどうまく仕事ができない?みんな同じさ。いつかは休むときが来るんだよ。わしを見てごらん。隠退してから、楽しくて仕方がない。そりゃ、あんたもわしも、必ずしももう若いとは言えんが、それでも前を向きつづけなくちゃいかん」そして、そのときだったと存じます。男がこう言ったのはーー「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方が一日でいちばんいい時間だっていうよ」

カズオ・イシグロ『日の名残り』より

 物語の流れ的にも印象に残りやすい箇所ではありますが、私にとっての時期も重要だったように思えます。読むことはそうでもありませんが、書くことは常に過去が残り、場合によっては振り返ることが何よりも重要な作業になります。自分の残した拙い過去を修復する作業が大切なのも分かっていますが、嫌気が差すこともそりゃあります。そんなときにこの文を読み、しみじみ入ってくる感じがしました。過去を振り返るなというありきたりな文句が日の名残りの物語を通して、説得力をもって私に示してくれるものがあったように思えます。

 それから『夕方がいちばんいい時間』というの表現が気に入りました。あくまでも個人的な解釈に過ぎないのですが、平仮名で書かれるやわらかい『いちばん』。それは相対的に何かと比較された一番ではなく、比較しようのない絶対的に価値を変えない『いちばん』のように感じられます。朝から文字を探し、文をこしらえ、文章を練る中で、いい日もあれば悪い日もある。だけども、『夕方がいちばんいい時間』。短く平易ではあるが、励みになるフレーズだと私は思ってます。

 作中のスティーブンスにしてみれば、夕方は晩年の比喩という側面もあるんでしょうけど、ともかく私としては、これを非常に短いスケールで額面通りに『夕方がいちばんいい時間』と受け取りたいように思えます。


 この辺で心境も落ち着き満足したので。

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