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どうしてサンゴを研究しているのか?

どうも、Kohseiです。今回は、サンゴについて書いてみたいと思います。今、この記事を台湾で書いているのですが、その辺の経緯を説明するためにも一旦、過去2年間の話をしたいと思います。いつか書こうと思っていましたが、ここらで区切りもよく過去2年くらいについては書きやすいというのが大きな理由です。

2022.5~ 

私がサンゴを研究してみようと思った最初のきっかけはイノカでバイトを始めたことにあります。当時、イノカは虎ノ門の神谷町付近にオフィスがありました。ちょうどJTのデカいビルの足元です。福岡から上京して大学に通っていた私は新橋も虎ノ門ヒルズも縁もゆかりもなく足を運んだこともありませんでした。それもあって、大きなビルの立ち並ぶ神谷町はとても新鮮でした。それからの1年半の間、新橋駅から飲み屋街を抜け、森ビルを過ぎ、オフィスに通いました。

面接を兼ねた初日にはORIONビールをのTシャツを着ていったことは今でも社員の方は覚えているみたいです。面接の服装が濡れていい格好だったので、そのTシャツを着て行った気がします。普通のバイトでは(そして、今のイノカのバイトの基準でこれがOKなのかは果たして知りませんが)、NGだと思いますが、そのときは逆にそれで顔を覚えてもらえたこともあり、よかったのかなと思っています。

バイトの最初の頃は、水槽の設置や水質検査、教育イベントの補助を行っていました。当時のイノカは社員が5人ということもあり、何となく水槽を見にオフィスに行ったりすると、あれをやってみるか、これをやってみるか、と色々なプロジェクトに参加させてもらいました。一応、大学では海洋環境学をメインに学んでいたので、そういった知識がどういったところで求められているのか実学的な視点で経験できたの貴重な経験になったと思います。

2022.10~

研究のサポートやアシストで関わることが増えたのはちょうどバイトを初めて4カ月が経った頃だと思います。このころは、研究計画書や報告書などを周囲の人に聞きながら試行錯誤していたと思います。慣れない作業も多く、手探りな部分ばかりだったので体感的には楽しみよりも、苦労の方が多かった気がします。ニュアンスが伝わると幸いですが、地図の作り方を知らないので、地図が手元にないという感じでした。一旦、地図が作れるとそれをベースに先へも進めますし、そこで地図の作り方を改良したりもできます。ただ、最初の最初は地図を作るための最低限のノウハウがありませんでした。地図のための地図とでもいうのでしょうか、それがなかったわけです。最初の地図のできは散々なものでしたが、それができてからは苦労の質も少し変わり、精神的な負担も減った気がします。

それから、主任研究員のPTさんが来たのも大きかったと思います。タイ出身のPTさんと英語でコミュニケーションをとりながら、色々な話をしました。研究全般の指示とアドバイス、ディスカッションは非常に貴重でした。なかなかそういう機会を得るのは大変だと今でも思っています。学部1-3年でそういう充実した機会に恵まれたことは本当に良かったですし、本当に感謝しています。

2022.3~

イノカで働きながら、一貫として、科学と社会との関わり、いわゆるサイエンスコミュニケーションについては考えさせられることが多かったです。具体的なプロジェクトを用いて話すことは差し控えますが、当然立場や社会的属性によってあらゆる現象の捉え方は変わってきます。それを科学を使って、丸く収められるかというと必ずしもそうではないということをこの頃に実感し始めました。人が、社会が、何によって動いているのか、それが科学以外の何かの場合も多分にあるわけです。あらゆる属性の人が、自分の受け止めやすい納得感を元に動いているわけです。そして、科学というのもその一材料に過ぎないと思っています。では、私にとって最も納得感があり、かつ社会にアクセスするにはどうしたらいいのか。これの完全な答えは今でもわかりません。少しずつしか、分からないような気もしてます。いずれにしても、これはちゃんと考えないとダメなんだろうとは思っています。こういった意識の下に、リバネス奨学金のゼミに参加して活動をしたりもしました。

2023.5~ 

さて、2023年の前半はいろんな場所に行って、社会と科学の関わり方について無意識に考えていました(今になって振り返ると、という感じです)。それから、大学の実習で船に乗ったりしていることも多かったです。ただ、このときに色々なことをしながら考えていたのは、自分がどのような立場で何を軸にして社会に関わるのか、ということでした。そして、その軸をまずは見つけないといけないのかもしれないと感じることが増えてきました。

立場が変われば現象の捉え方も変わるのであれば、いくつかの立場でものが見られるようにすればいいと最初は考えていましたが、それでは見方が毎回微妙に変化し見方が定まりません。もちろん、色々な見方に立つというやり方があるのでしょうけど、それにしたって自分の軸ありきでそれも成り立つわけです。

2023.9~

この頃、ちょうど現在に近い方向に転換していきました。まず、久しぶりにイノカの環境教育イベントであるサンゴ礁ラボにメインキャストとして参加し、今までとイベントへの意気込みが変わったと大きく感じました。目の前のイベントに参加している子どもが将来研究をして、もしそのきっかけのひとつにこのイベントがあると嬉しいな、と思えました。そして、これが科学が社会と関わる方法の一つなのかもしれないとも思えました。それまでは、そんなことを考えていませんでしたので、大きな変化でした。

それから、大学の研究室訪問の中で、「だったら、サンゴの研究をすればいいのに」と言われたことも大きかったです。この頃になるまで、サンゴを研究しようとは思っていませんでした。サンゴはあくまでも、その時期に関わっている生物に過ぎないと思っていました。しかし、気づけばサンゴに関わる実験を行い、サンゴに関わる人々と話し、サンゴの魅力を子どもたちに話していました。こんなことを言うと、少し美談にしすぎているかもしれませんが、サンゴ礁ラボに最も感化された一人になりつつありました。子どもたちに、どうやったらサンゴの魅力が伝わるだろうかと考え、試行錯誤するうちに自分自身が最もサンゴに魅了されていました。ミイラ取りがミイラにというのは、こういうときに使うんですかね。

結局、その先生との会話を境に私はサンゴの研究を本格的にするべく動き始めます。残念ながら、所属する大学にサンゴをメインで扱っている先生はいませんでした。そこで大学院の研究室を探し始めました。少し、この時期に始めるのは早いのですが結果的にはこれが大きなきっかけとなりました。

この辺も詳細を省きますが、このときに訪問した先生の一人が台湾の研究先を紹介してくださり、結果的に学部でサンゴの研究ができるようになりました。紹介の紹介で繋がったという具合です。この辺は本当にミラクルが続いたなと今でも感じています。ご縁と先生方のご支援には感謝してもしきれません。

2024.6~ 

台湾に来るまでの準備もそれなりには大変でしたが、ただ希望がある中で物事を進めれれるのは素直にうれしかったです。今、台湾に来てみて、研究を始められること、新しいことを始められることに胸がときめいています。台湾での話をするのは少し先になるかもしれませんが、そのときに振り返って充実していたと思えるようにまずはこの半年を走り抜けたいと思います。

さいごに

人生何があるか分からないといいますが、まさにその通りでした。2年前はサンゴの研究をするために台湾に訪れるとは思ってもいませんでした。サンゴに触れ、サンゴが面白いと子どもたちに伝えていたら、自分が一番面白いと感じるようになっていました。これはまた別の記事で書こうと思いますが、ある種の強制や思い込みというのは、当人を思い込ませる力があるのかもしれないと思っています。振る舞いが思考を形成するというのを実感しました。

何にしても、充実した2年間でした。イノカ、ありがとうございました。

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