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弘法大師1_信州上田市内に残る「弘法大師」ゆかりの地

(はじめに)

弘法大師「空海」は、1200年ほど前の讃岐(現在の香川県)の出身で、子供のころの名前は、佐伯眞魚(さえき の まお)でした。子供のころから大変な秀才で讃岐国内の高等教育機関の国学でも出色であったので、讃岐国から推薦されて、さらに中央の奈良の大学に入学しました。将来は国を担う高級官僚となる出世コースが用意されていました。しかしながら、どういう訳か、学業の途中で奈良の大学からいなくなり、2年ほどの間全国を放浪した後、奈良の大学に復学して、学業を再び続けて卒業しました。卒業論文は、仏教、儒教、道教の3つの宗教の優劣を、中国語で戯曲風に論じたもので、「三教指帰(さんごうしいき)」として有名です。今も読むことができます。しかしながら、なぜ途中で出奔・復学したのか、その理由は伝わっておらずよくわかっていません。これまでは全国放浪は、修行のためだと言われてきましたが、司馬遼太郎は、「空海の風景」という小説の中で、「人生の迷いを解決するための悟りの旅だったようだ」との見解を述べています。大学生が入学した後、何のために勉強するのか、自分はいったい何者かなどと考え込んでしまう時期が、今の大学生にもありますが、これは現代では、青年期に起こりがちな「アイデンティティ・クライシス」と呼ばれています。

さて、私も讃岐の出身ですが、ご縁があって今信州上田市に約40年間住んでいます。20年ほど前から、上田市内のすべての神社仏閣を回っていて、上田市内にはたくさんの「弘法大師」ゆかりの地があることに気が付きました。これは、弘法大師が、奈良の大学の学生のころ、大学を途中で出奔して全国を放浪した時、この信州にも来たということでしょう。

以下は、私が見て回って気づいた信州上田市内にある「弘法大師ゆかりの地」をまとめたものです。皆様の、ご興味を喚起できれば大変嬉しいです。

(1)独鈷山(弘法山)

弘法山という別名があることから、調べてみました。「塩田平とその周辺」という郷土史の本には、「昔、弘法大師が全国を行脚して、修行の場所を探していた。独鈷山は、非常に修行に良いと思われたが、谷が100に一つ足りない99であったので、ここをあきらめ、和歌山県の高野山になったという。(p18)」という、大変興味深い言い伝えが書かれています。

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写真1:独鈷山(弘法山)の遠景

(2)「元木の地蔵」(無量寺)と末木の薬師(旧中野公民館横)

弘法大師が、若いころに独鈷山で、柳の大木を見つけ霊木だとして、これで仏像を彫ったという言い伝えがあります。
(参考)
http://db.umic.ueda.nagano.jp/data/johogura/shioda2/kaisetsu/0668049/0668049.html

(3)前山寺

このお寺の縁起には、「弘法大師が開基したといわれている。その後無人となり荒れ果てていたが、何百年か後に、それを伝え聞いた讃岐の僧侶が復興し、今の前山寺となった。」と書かれています。
(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E5%B1%B1%E5%AF%BA

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写真2:前山寺山門前

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写真3:前山寺縁起

(4)手洗池

市内古安曽地区の柳沢公民館近くに、手洗池というのがあります。言い伝えによると、弘法大師が、讃岐から前山寺にみえたとき、きれいな水の小さな水溜まりを見つけて、ここで手を洗い、その後この場所にため池を築造したため「手洗池」と命名されたということです。

(5)別所温泉内にある小さなお堂

私が神社仏閣を訪ね歩いていた時、この小さなお堂には、「弘法大師が、この小さなお堂に籠って1か月ほど教を唱えた。」という説明書きがありました。この説明書きの写真を撮ったはずですが、この写真を見つけ出せず、また、現在、正確な場所を思い出せないです。どなたか、お気づきの方は正確な場所をお教えください。

(6)帰り石

信州大学繊維学部(長野県上田市常田3-15-1)の正門前の小路はおよそ千二百年以上も前からある古道です。実はこの古道を古代に空海が若いころ歩いていました。そんなことがなぜわかるかというと、この正門前の道を少し北のほうにたどっていくと「帰り石」という地名の小字が、今のスーパー西友に出る直前にあります。西友横の大きな祢津街道に出る直前の小路右側の脇に、大きな岩が2つ並んであります。それは、現在はある人の家(常田3-10-3:児玉家)の庭の中にあります。この家の人は、この2つの岩の横に小さな板に「帰り石」と墨書して表示しています。小さいので見落としがちなのですが、ここは大昔に空海が旅の途中に休んだところと言い伝えられています。2つの並んだ大きな岩は、一つは高くもう一つは低くてちょうど腰掛くらいの高さです。両方とも頂上が平らかになっており、黒っぽくて火山岩のようです。(参照:note記事:https://note.com/ko52517/n/ncd34c99b3f54 )

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写真4:空海が旅の途中で休んだ岩、「帰り石」:上田市常田3-10-3

(7)科野大宮の中の小さな池

この池で、弘法大師が旅の途中に手を洗ったと言い伝えられています。しかし、この1,2年間の道路拡張工事に伴い、この池がつぶされてなくなっています。

(おわりに)

もっとあるかもしれませんが、私が、上田市内を歩いて見出した「弘法大師ゆかりの地」は以上の7か所です。これらの言い伝えが本当なら、このように弘法大師は、大学を出奔していた期間に、この信州上田にも来ていたということです。まことに驚きです。


*冒頭の写真は、上田市前山寺の境内にある、弘法大師像と石碑です。

平成31年(2019年)4月10日随筆
令和3年(2021年)12月19日加筆

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