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さぬき昔話4:乱婚の日

明治の昔、讃岐の国の三豊郡大野村の話です。大野村には、祇園祭を夏に盛大に行う須賀神社があります。この神社のことを地元の人は大野のぎょんさん(祇園さん)と通称しています。私が子供のころの昭和30年代には、宵祭りの夕方には、大人も子供もみんな近隣の村々から大勢歩いてこのぎょんさんにお参りに行くのが楽しみでした。その夜は、花火も上がり、須賀神社までの長い参道にはたくさんの夜店が並びました。子供たちは小銭を握って、ぎょんさんの宵祭りに行って金魚すくいなどをやるのが恒例でした。


ところが、明治生まれのお祖父さんから私の母親経由で伝え聞いた話によると、明治の初めまでは、この祇園祭の宵祭りの日は、「乱婚の日」だったのだというのです。「乱婚の日」とは現代風にいうとフリーセックスの日という意味です。お互いに合意があれば、だれとでもその夜だけはセックスをしてよい日だったとのことです。明治の初めまではそういう風習があったということですが、文明開化して、西洋から笑われるからと、明治政府から「乱婚」の風習は全国的に禁止になったとのことです。


明治の昔、隣村の河内(こうち)村には○○○家と言って、金毘羅さんまで自分の土地だけを歩いて行けると言われた大地主がいました。取れ高2000石と言われ、そこの娘さんは「おひいさま(姫様)」と呼ばれていました。○○○家は「せめてなりたや殿様に」という名家でした。おひいさまは、乳母や下男を連れて、宵祭りの日には河内村から歩いて、この須賀神社にお参りに行っていました。村の若い衆には、あこがれの人でした。身分の差もあり威厳もあるので、ほとんど雲の上の人です。ところが、誰であろうとその日は合意さえあれば、いいことになっているので、あるさいあがりのわかいし(=ふざけて調子に乗る若者)が、おひいさま一行の前に出て、その夜の合意を求めました。ところが、一瞬のうちに、「無礼者、下がれ。」と言われ、その若者は権威に圧倒されて道端の草むらに退いてひざまずいたといます。明治の昔、まだ江戸時代の乱婚の風習や侍や大地主の権威が残っていたことを今に伝える話です。


この地方では「乱婚」の風習は明治時代の初めころになくなってしまったそうです。そして、そんな風習が祇園祭のときにあったことなど、今はだれも知りません。ところが、日本各地では大正時代や昭和初期まで、この「乱婚」の風習が続いた地方がまだあったようです。鈴木清純監督が撮った映画「悪太郎」、1963年封切に、大正の初めのころの淡路島で、祭りの夜、乱婚の様子が描かれています。この映画は、作家今東光さんの自伝的小説「悪太郎」を映画化したもので、今さんが、旧制中学生のころ素行不良で転校させられた淡路島で、この風習に遭遇したことが描かれています。もしご興味のある方は、この映画をご覧ください。

*なお、冒頭の写真は、須賀神社(祇園さん)の写真です。三豊市のホームページから引用させていただきました。
https://www.city.mitoyo.lg.jp/kakuka/seisaku/sangyo/14_1/4/2505.html


平成28年(2016年)11月20日随筆
令和4年(2022年)4月9日加筆

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