見出し画像

あごいが過ぎるという西讃岐弁

(はじめに)


 
高校の同級生へ、西讃岐弁の言い回しで、次のような質問しました。
-----------------------------------------------------------------------------
どなたかわかる人、おっせてつか。
  (標準語訳:どなたかかわかる人、教えて下さい。)
 

1.   質問


 
『あごいがすぎる』
   (標準語訳?:つけあがりすぎる???)
 
これ、こんまいころに、ははおやから、ようおんかれるときにいわれたんやけど、もういまんなったらようわからへんのんです。ほんだきん、どなたかしっとたら、おっせてつか。ははおやもすうねんまいにかぞえの90でしんでしもたし、ネットでしらべても、なんちゃのってないきん。
   (標準語訳:これ、小さいころに、母親から、良く怒られるときに言われたのですが、もう今になったら良くわからないのです。なので、どなたか知っていましたら、教えて下さい。母親も数年前に数えの90で死にましたし、ネットで調べても、何にも載っていませんので。)
 
どういうときにいわれよったか、おもいだしてみよっても、もういまではようわかりません。たしかに、たびたび、わるいこと、がいにして、いっちょもはんせいせんとき、ははおやから、「あごいがすぎる」ちゅうて、おんかれたのはおぼえとるんです。これ、ひょうじゅんごで、いいかえたらなんやろかなぁ。
   (標準語訳:どういうときに言われていたか、思い出してみようとしても、もう今ではよくわかりません。度々、悪い事を、いっぱいして、少しも反省しない時、母親から、「あごいがすぎる((標準語訳?:つけあがりすぎる???))」と言って、怒られたことは覚えているのです。これ標準語で、言い換えたらどうなるでしょうか。
 
ちなみに、「あご」とはなんちゃぁかんけぇせんきがします。あごは、みとよ・かんおんじでは、「あげと」ぉいいますきんな。ちなみに、「あげと」は、古語の「あぎと」がなまったもんじゃろぉおもいます。
    (標準語訳:因みに、「顎」とは何も関係しない気がします。顎は、三豊・観音寺(西讃岐、三観地区(最近こういうらしい))では、「あげと」と言いますからね。因みに、「あげと」は、古語の「あぎと」が訛ったものだろうと思います
 
どうきゅうせぇのみなはん、もし、「あごいがすぎる」のいみ、わかったらおっせてつか。たのしみにまっちょるきんな。
    (標準語訳:同級生の皆さん、もし、「あごいがすぎる」の意味が、わかったら教えて下さい。楽しみに待っていますからね。
-----------------------------------------------------------------------------

2. 私が調べた範囲でこうじゃないかという推測


 
ここまで書いて、香川県立観音寺第一高校卒業生ブログ、なかよし倶楽部に投稿しようと思ったのですが、ひょっとしてと思い家にある本棚に行って、進学した下の娘がのこしていった「完訳用例古語辞典」監修金田一春彦、学研の12ページを見ました。おお!これだと思うものがありました。多分、間違っていないと思います。この推論を、同級生の皆さんに紹介します。その辞書には、次のように書いてありました。
-----------------------------------------------------------------
あこぎ【阿漕】名詞(1)度重なること。隠れて行うことも、度重なると隠しきれないこと。(2)ずうずうしいこと。あつかましいこと。◆何度も禁を犯すことから。⇒阿漕が浦
 
阿漕が浦(地名)今の三重県津市阿漕町の海岸。伊勢神宮に供える魚介の漁場で、禁漁区であった。ある漁夫がたびたび密漁して捕らえられ、海に沈められたという伝説がある。
-----------------------------------------------------------------
 
おお、これじゃ!おかあちゃんにおんかれたじょうきょうとおなじじゃ!「あこぎがすぎる」ちゃぁ、「何度も禁を犯して、反省せん様子」のことやと、なっとくしました。でも、いまからかんがえると、ははおやに海に沈められんでよかった。こんまいときには、いみようしらんかったきん。
   (標準語訳:おお、これだ!母親におこられた状況と同じだ!「阿漕が過ぎる」と言えば、「何度も禁を犯して、反省しない様子」のことだと、納得しました。でも、今から考えると、母親に海に沈められなくてよかった。小さい時は、意味がよくわからなかったので…。
 
ほんだきんど、ながいことわからんかった言い回しなんで、本日長年の疑問が氷解して、ぼっきゃは、がいに感動しました。方言はおもっしょいなぁと思います。
   (標準語訳:でも、長いこと判らなかった言い回しなので、本日(平成23年(2011年) 2月6日)長年の疑問が氷解して、僕としては、大変感動しました。方言はおもしろいなぁとおもいます。)
 
 このように永年の疑問が氷解しましたが、でも、やっぱり、同級生の皆さんにも聞いてみようと思い、上の質問を、香川県立観音寺第一高校卒業生ブログ、なかよし倶楽部に投稿しました。
 

3. 同級生の皆さんは、「あごいがすぎる」と言われませんでしたか


 
 そしたら、多くの同級生から、お返事をたくさん頂きました。そして、みんな言われたことがないとのことでした。
 
皆はん、お返事おおきにありがと。やはり「あごいがすぎる」はぼくだけのようですな。ちょっとこば、さみしいです。ほんまに、同級生の皆はんで、だあれも言われたことないですか。この言い回し、三つ上の兄貴にも聞いてみよ思います、兄貴も覚えとるかって。僕の小さい時には、もうすでに死語にちかかったんかなあ?
   (標準語訳:皆さん、お返事誠に有難うございます。やはり「あごいがすぎる」は僕だけのようですね。ちょっとばかり、寂しいです。本当に、同級生に皆さんは誰も言われたことないですか。この言い回し、三つ上の兄貴にも聞いてみようと思います、兄貴も覚えているかいって。僕が小さい時には、もう死語に近かったのかなぁ?)
 
そうですか、どうきゅうせぇのみなはんは、「あごいがすぎる」ぅいわれませんでしたか。ぼくだけやろか。こんないいまあわしおぼいとるんは。もう死語でしょうかなぁ。
   (標準語訳:そうですか、同級生の皆さんは、「あごいがすぎる」と言われませんでしたか。僕だけかなぁ、こんな言い回しを覚えているのは。もう死語でしょうかね。)
 
 

4.   西讃岐弁で、死語になった「おしょしな」という言葉


 
「あごいがすぎる」も「おしょしな」とおなじように死語になったんでしょうかね。僕の母親の母親、つまり母方の祖母は、明治20年代生れの旧三豊郡豊田村の出身の人でしたが、母親が子供の頃の大正後期から昭和初期には、その祖母は「そんなこと、おしょしな(はずかしい)」と言っていたとのことです。でも、それは僕の母親の娘時代には既に死語に近かったといいます。しかし、新潟出身の兄嫁が、新潟では「しょうしい」は「はずかしい」という意味で、今も使っていると言っていました。
 

(おわりに)


 
西讃岐弁では「おしょしな」と同じ様に「あごいがすぎる」も、今は死語になったんでしょうね。これらの例から判ることは、場所により、昔の言葉や言い回しが残る所と、廃れてしまう所とがあるんですね。
 

平成23年(2011年) 2月6-7日 随筆
令和 5年(2023年)10月23日  加筆
 
 
*なお冒頭の写真は、下記のURLのフリー素材を使わせて頂きました。
https://www.photo-ac.com/main/detail/22460679
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?