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2005年国立大学独立行政法人化の衝撃の記録:2年目の状況

(はじめに)


 
 大多数の日本の一般国民の皆様はあまり意識されていないでしょうが、日本の全ての国立大学は、平成16年(2004年)4月から法人化し、文部科学省が設置する国の行政機関から、各大学が独立した法人格をもつ「国立大学法人」となりました。皆さん、実感されないかもしてませんが、国立大学は、独立行政法人化の前と後では、似て非なるものとなりました。その衝撃と影響は、教官(法人化後は教員と呼ばれる)と学生の両方に、信じられないすざまじいものがありました。しかしながら、当時、現役の教官は、もし、政府や監督官庁の文科省に、法人化にそぐわない意見を述べることは、その後自分たちの地位や研究費に悪い影響があるのではないかとおびえて、なにもまとまった運動や国民への主張はありませんでした。現在令和5年(2023年)ですので、あれから20年近くたち、私自身もその間に定年退職して、今は、現役の国立大学の教授ではありません。そのため、もうおびえる必要もないので、あの時、どのような衝撃的なことが起こったのか、法人化2年目当時の状況の記録を、ここで述べたいと思います。いまだに、誰も平成16年(2004年)4月の国立大学法人化の総括や検証をしていないようですので、この実録が、国民の皆様に、その一資料となれば幸いです。
 

1. 出入りの業者から聞かされた研究費激減の衝撃


 
 今年(平成17年(2005年))6月頃、まだ○○大学のほとんどの教員が知らないのに、いち早く、出入りの業者が私のところに駆けつけて、衝撃的なことを言いました。
 
「先生どうするの?R学部に行っても、K学部に行っても、S学部に来ても、○○大学はどこも、今年教官1人当たりの校費が、年間5万円というじゃないですか。先生、そんなんじゃ理系の研究室みんなつぶれるよ。」
 
「えっ、ほんと?校費が5万円じゃ、何も買えないよ。私は、11人の学生・院生がいるから、学生1人当たり研究費がだいたい30万円はかかる。だから、年間約300万円は研究費としてどうしてもいる。校費が5万円じゃ、研究できないよ。それ全部外部資金でやれいうこと?私みたいに外部資金を稼ぐほうでも、そりゃ、大変だ。外部資金だけだとあと1年間しか持たない。学外の会社もそうそう毎年お金はくれないからねぇ・・・。校費1人5万円じゃ、みんな近いうちに研究室つぶれるね。」
 
「先生は学外の会社から沢山稼いでるの知ってるから、まだ先生のところへは、薬品や物品を持ってくるけど、稼げない先生のところには、私達業者は、持ってこないよ。こっちも商売だから、代金払えない先生方には、もの持ってこない。赤字で持って来ても、後で払ってもらえる見込みが、全くないような先生のところには、危なくて持ってこられないよ。○○大学、どうするの。つぶれるよ。」
 
「そうだよね。校費が5万円で誰も御満悦の教員はいないよね。」
 
「先生、うまい事言うね。でも来年もこんなふうに私と冗談言えるように、稼いでね。」
 
「金の切れ目が、縁の切れ目か?」
 
「そうですよ!こっちも商売だからね。」
 
「国立大学は、国の費用で全部やっているなんて、もううそだね。先生がそとから外部資金を稼がないと、研究室の研究はもう出来ないということだね。学生や院生がかわいそうだ。国がもうほとんど学生の研究教育費出さないんだから。校費が学生1人当たり5千円足らずなんて信じられないよね。国民は皆んな国立大学は全部国の費用でやっていると思っているだろうけどね。独立行政法人化されてから、ますます研究費ひどくなるね。有名私立大学の方がいいね。立命館の理工学部の先生に聞いたら、研究室に25人学生院生がいて、年間600万円研究費として来るって言っていた。うちの2倍人数がいるから600万円って、だいたい年間必要な消耗品代だよね。」
 
「先生、ここやめて他所に行ったら。」
 
「・・・・」
 

2. 法人化後の学部長や学科長は単なるメッセンジャーボーイ化してしまった


 
 そして、一月ほどした7月12日には正式に、学科の会議で学科長から今年の校費、つまり教員研究費と学生実験実習費の合計は、1人当たり(1研究室当たり)年間約5万円になると発表されました。そこで聞いていた教員は、そんなのでは、理科系の研究室の運営が出来ないと口々に文句が出ました。どうして、5万円になるのか、その根拠を学科長に問いただしました。しかし、学科長も、困った顔して、
 
「上で決まったことなので、私は皆さんに伝えているだけです。」
 
と言うばかりでした。
 
 実際、平成16年(2004年)4月1日より○○大学が、独立行政法人国立大学となってからは、学科長も又その上の学部長も全て権限が無くなり、運営上の重要な決定は全て学長と一握りの理事によって行われる事になりました。それで、どうしてそのような決定がされたのか上から説明がないと、詳しい経緯とか根拠とかは判らないことになってしまいましった。○○大学は、御存知のように広い○○県に5つのキャンパスに分散するタコ足大学なので、S学部は凹田市に孤立している。凸本市で本部の学長と理事の間で行われる会議には、S学部出身の理事としてS教授一人だけしか出ていないのです。しかしS理事は、S学部の教員会議にも学科会議にも、理事になってから全然出席されないので、詳しいことがS学部の教員にはわかりません。独立行政法人化後の新しい制度でまだよくわからないのですが、理事になると、S学部の教授の籍があっても、所属の学科会議や学部の教員会議に出なくても良いのでしょうか?凹田キャンパスではS教授以外、詳しいことを知らないので、学科長も学部長も上で決まったからと、教員に一方的に言うばかりなのです。それで、この科内会議ではそれ以上聞いても、学科長も気の毒だという雰囲気で、科内会議は終りました。独立行政法人化後はもう学科長も学部長も単なるメッセンジャーボーイとなっていることを思い知らされました。
 
 独法化前の教官会議(=教授会)では、教授会が小田原評定をして何事も足の引っ張り合いになり改革が進行しない、学長に権限がないからだという世間一般の批判はその通りでした。そこで国立大学の改革は強大な外圧があってからでないと、ほとんど抜本的な自己改革が出来ないでいました。なので小泉内閣の決定という外圧から、全国の国立大学は2004年4月1日から独法化されました。学長が、教授会に遠慮することなく大きな権力を掌握して力を発揮できるようにするため、制度が大きく改革されました。これは時代の流れに沿った良いことだと私も思います。しかし、上の例から判るように、独法化後は、教官から教員という名前になった一般の教員や学科長、はては各学部のいわゆる重役の評議員や学部長にさえ、全く何も説明がないまま一方的に重要な決定が告げられるのだです。教員1人当たり、1年間の校費が5万円などという重要決定が、僅かの一握りの学長と理事だけで決められてしまうのです。このような死活問題を全く詳しい説明なしに告知するやり方になっているのです。また、学科長や学部長がそのような理事会の決定に対して意見を言う場も設定されていません。それで学科長も、困った顔して、「上で決まったことなので、私は皆さんに伝えているだけです。」と言うばかりでなのです。これでは、あまりにも行きすぎた制度になってしまったと思いますが、皆さんはどう思うでしょうか。
 
 ここ数年、国立大学では法人化前からも、このように、研究費(=校費)はどんどん下げおいて、必要なら外部から稼いで来いという風潮になっていました。そして、論文よりも特許を書けという。つまり金になる仕事をしろ、そして自分で稼げというのです。国に金がなく時代の流れただから、仕方がないのかも知れません。しかし、法人化後の新しい制度には、多くの矛盾があります。例えばその特許取得奨励です。
 

3. 独立行政法人化前の大学からの特許出願は、ほとんどが会社を経由していた理由


 
 先ず、比較のため二三年前の法律改正までの実情を述べてみます。それまで大学では特許はほとんどが教員個人で申請するように言われていました。しかし、一件当たり二三十万円の申請費用や約三百万円もかかる特許維持費用がない教員は、個人で特許申請して維持することはまず不可能でした。そこで、知り合いの外部の会社に、その申請費用と特許維持費用を全額持ってもらって特許申請していました。御存知と思いますが、特許は、発明者にはほとんど権利はなく、申請者が権利保有者となります。ここでは教員は発明者として名を連ねるだけで、権利者はその会社がなっていました。権利者の会社は、将来その特許から得られるであろう収入がメリットとして残ります。ここで注意したいのは、特許は千に三つか百に一つくらいしか本当は儲かるものではなく、一つ出せば儲かるというものではありません。しかし、特許は、将来何が本当に当たるかわからないので、当面儲からない特許も維持していく必要があります。そのためは、大資本が必要で個人には無理です。だからそのリスクを資本のある会社の方に負ってもらっていたのです。教員の方は、儲かるかも知れない特許をただであげるようなデメリットがあっても、その代償として会社から特許一件当たり平均100万円ほどの奨学寄付金を研究室に入れてもらえるというメリットがありました。因みに、私は○○大学在職中40件ほどの特許を、学外の会社経由で出しました。少ない研究費を補えるということで大変助かっていました。大学と会社はこのようにお互いに持ちつ持たれつの関係であったのです。このようなことが、全国的に行われていました。全国の国立大学で、奨学寄付金の総額が、法律改正前には年間300億円くらいありました。その奨学寄付金の全てが特許の見返りとしてもらっていたとは考えられませんが、単純に計算してもこの300億円割る100万円/件で3万件、つまり3万件くらいの数の特許が、1年間に国立大学から会社に渡っていたと考えられるのです。一方、それまで全国の国立大学が大学独自で申請した国有特許が年間合計でわずか4件ほどしかありませんでした。それで、この極端に少ない特許数を攻撃対象にして、マスコミから、日本の平成の大不況はこのような日本の国立大学の創造性のなさから来ていると大いに当時たたかれていました。しかし、それは実情の知らない人の言う事でした。上に述べたような会社から申請してもらった特許には、教員の氏名は発明者として載りますが、発明者は現住所しか書かれず大学名は載りません。そのかわり、申請者つまり権利者の会社名とその住所しか載らないのです。それで、実情を知らない人には、権利者の記載されている会社名と住所から、発明者の教員が丸で会社の社員のように映ってしまうのです。このような関係は教員にも会社にも少し後ろめたいものがあり、「年間合計でわずか4件しかない」という批判に対し、「裏で3万件は出ている」とは誰もマスコミに面と向かって反論した人はいませんでした。自分が発明していないのに特許に名を連ねて申請することは、冒認という不正行為なのです。しかし、良い悪いは別にして、二十世紀末までの日本の国立大学と会社の関係はこのようなものであったのです。
 

4.  研究費は国から支給されるのは子供の小遣い程度、必要なら全て外部から稼いで来いという方針に転換


 
 次に、二三年前の法律改正後の実情を述べます。○○大学の教員の給料は、ここ2年毎年年間二三十万円ずつ下げられています。これも詳しいことはわからないのですが、どうも○○大学では後三年すると退職金が払えなくなるので、現在の給料を下げざるを得ないらしいです。給料も毎年下げ、研究費(=校費)も子供の小遣くらいしか渡さずに、研究費は全て外部から稼いで来いという方針に転換されました。そして、良い研究をして、論文よりも特許を書けというのです。つまり金になる仕事をしろ、そして自分で稼げというのです。国に金がなく時代の流れただから、仕方がないのかも知れません。
 

5.  独立法人化後の国立大学の学長は、教員の給与を毎年下げ、研究設備費も研究費も教員自身で外部から調達して来いと言い、特許で儲かったら学長のものというひどい話


 
 しかし、その特許取得奨励ですが、法律改正後の新しい制度に多くの矛盾があります。法律改正後の国立大学では、特許は教員の発明であっても全て学長が権利者となることになったのです。私のように会社で研究職を経験している人はわかるとおもいますが、特許は、発明者にはほとんど権利はなく、申請者が権利保有者となるのです。なので、現在の状況を端的に言えば、学長は教員に研究費はほとんど渡さないのに、特許で儲かったらそれは学長のものと言っているのに等しいのです。昨今、特許で多の会社が社員から訴えられています。それは、会社が社員の研究員に給料も十分渡し、研究設備も整え、研究費を十分注ぎ込んでいても、訴えられているのです。自分のアイデアがなければこの特許は成立していないという主張が昨今裁判で多く認められています。一方、独立法人化後の国立大学では、教員の給与も毎年下げ、研究設備費も研究費も自分で外部から調達して来いと言い、特許で儲かったら学長のものと言う。その根拠は、独立法人化後は、全ての教員は事業者たる学長に雇われた研究員であり、研究は学長による業務命令により行われているという原則になったからです。したがって、業務命令で行われた成果は当然事業主の学長のものであるからという理屈です。しかし、その前提になる研究費も設備費も自分で稼いで来いというのは、会社と比べておかしいのではないでしょうか。また、会社では社長はやらせているので当然社員の研究テーマを知っていますが、大学では学長は個々の教員の研究テーマをほとんど場合全く知りません。それでも業務命令だといえるのでしょうか。このように、雇用者である教員を、学長が給料や研究費で十分養わないでその儲けだけを頂くなどと言っていて、その大学が存続できるでしょうか。研究のアイデアも研究費も教員の稼ぎでまかない、儲かったら学長や大学のものだという。ひどい話です。会社なら遅かれ早かれ社員が逃げ出してしまうでしょう。
 また、今年4月からは、教員が学外の会社と自由に研究の情報交換やサンプルの交換をしてはいけないと通達されました。学部長や学長の許可なく、学外に個人的に研究情報を漏らせば処罰するというのです。全て事前に学部長か学長を通して行えとのこと。国立大学も儲けないと生きていけないので、今までのように会社の人が菓子折一箱持って来て、話を聞いて帰るというのは、原則禁止ということになりまし。このような情報交換の禁止や、上に述べた特許の大学法人への全面帰属は、今までの教員の研究活動を不自由なものにし、会社から大学研究者への奨学寄付金の激減を招いています。そのため会社から研究費を稼ぎにくくしており、研究を熱心にやっている教員をますます苦しめる結果となっています。今までの独立行政法人化前の国立大学の教官は国家公務員で、会社の研究者から研究上の質問を受けたら、できる限り相談に乗ってあげ親切に質問に答えていました。まるでお巡りさんが道を聞かれたら親切に答えるように答えていました。しかし、独立行政法人化後の国立大学の教員は非公務員となり、研究上の質問をされたとき、学部長や学長の許可なく、学外に個人的に研究情報を漏らせば処罰されてしまいます。これは、大学自身が儲けるための、自己防衛ということからでしょう。会社間なら当然と言えますが、そんなことを厳密にやっていては、本来の大学の存在意義にはそぐわないと思いますが、皆さんはどう考えるでしょうか。国立大学の存在意義である公共性を捨てるのでしょうか。このため教員も会社の研究者も非常に情報交換しにくくなっています。その結果、教員は会社から研究費を稼ぐことが大変難しくなって来ています。
 

6. 2,006年、学生へ研究費激減を話したところ、学生の反応と質問が出た:授業料の何パーセントくらい僕たちの研究費として使えるのですか?


 
 それでも、私は一生懸命何とか学外の会社から研究費を稼ぎ、研究室に11人いる学生・院生の研究教育を維持していこうとしています。教官研究費という名前で配分される校費や、学外の会社からの奨学寄付金は、実際は、研究室で教官が使っているのではなく主に学生・院生が実験したり文献を収集する費用にほとんど全て使われています。一般の多くの国民が、教官研究費は教育の合間に教員の趣味で研究している研究の費用だと、思っているらしいですが、実際は、学生や院生の研究指導のためにほぼ100%使われているのです。それなのに研究室に学生・院生が11人もいる教員1人に5万円しか配らないという。ほとんどゼロになったと言っていいです。因にこの教官研究費は、3〜4年前(1999~2002年)までは(当時)助教授の私一人年間、約120万円、2年前(2003年)は90万円、1年前(2004年)は63万円、今年(2005年) 5万円と急激に下ってきました。この5万円は学長と理事が決めたことで、反論すべき手段もないので決定を受け入れて、自分1人で何とか11人の学生院生の研究教育費300万円を稼がなければなりません。しかし苦労して教員個人が学外から稼いできた研究資金を、学生や院生に野放図に無駄遣いされてはたまりません。学生院生には研究費で苦労させたくないので、今までは一切お金のことは学生に言いませんでした。しかし、いくら私のように稼ぐ教員でも、校費として配分額が5万円ではさすがに、学生全員に、
「今年大学からこの研究室に配分される研究費は、僅か5万円となった。研究室で一年間どれくらい、薬品やガラス器具などの消耗品代がいるかというと、だいたい年間学生1人に30万円はかかるので、うちの研究室は11人いるから、300万円はいる。今、その300万円くらいは今までに私が稼いだ外部資金の残金があるので、この1年は何とかなる。私は今後も何とか頑張って学外から研究費を稼いでくるから、君たちも、出来るだけ無駄遣いはしてくれるなよ。」
 
と言いました。すると、学生の中から、質問が出ました。
 
「先生、僕たちは年間授業料を53万円払っています。学生が11人もいる研究室に総額で5万円じゃあ、1人当たり5千円にも満たない額ですよ。授業料53万円のうち、僕たちが使える研究費が1人5千円足らずということはないでしょう。1年生から3年生までだったら、主に授業を受けているので納得が行きますが、理系の研究室では4年生や院生は授業はほとんど受けずに、一日中、研究室で卒業研究や大学院の研究をしています。4年生以上は授業に授業料を支払っているのではなく、研究室で研究教育を受けるために授業料を払っているはずです。授業料53万円のうち半分が人件費に消えるとしても、残りの半分の26万円くらいは僕たちの研究費として使えるのではないですか?授業料の何パーセントくらい僕たちの研究費として使えるのですか?」
 
学生のこの質問は当然です。全くその通りです。学生やその保護者が払っている授業料の使い道に対して、説明責任があるはずです。しかし、私には授業料の何パーセントが研究費として使えるのか、答えられませんでした。文部科学省や大学本部からそのようなことを一度も聞いたことがなかったからです。のちに文部科学省から出向してきている○○大学の財務部長に聞いてみましたが、知らないとそっけない回答でした。独立行政法人化前の、今から4年ほど前には、博士課程を持つ講座では、確か教授1人に240万円、助教授に120万円、助手に40万円が、教官研究費いわゆる校費として配分されていました。従って1講座当たり400万円くらいはあったのです。1講座当たり学生・院生が25人くらいいて、年間研究費として例年800万円から1000万円くらいかかっていました。ほぼ半分の400万円を、国からのこの校費で賄い、残りの半分400万円を学外の会社などからの奨学寄付金や科研費で賄っていたのです。したがって、4〜5年くらい前の西暦2000年あたりまでは、必要研究費の50%を外部から稼げばよかったことになります。その頃でも、国の費用は必要な研究費の半分しか来てなかったのです。今年西暦2005年は、研究費の98%を外部から稼がなければならなくなりました。つまり国からは2%としか来ないということになったのです。今まで国立大学の先生はのほほんとしていても、国から研究費が来ていたというイメージを多くの国民が持っていたでしょうが、そんなことは理科系のまともに研究をしている研究室の先生には当てはまりません。しかし、このイメージが独り歩きし、国立大学を外の冷たい風に遭わせて、自分で研究費を稼がせろということになったのが、独立行政法人化の趣旨なのでしょう。しかし、国からは2%しか来ないというのは極端ではないでしょうか。早晩つぶれてしまう研究室が出てきておかしくない状況です。独立行政法人化前、国立大学が99校もあるのは多すぎるから、独立行政法人化後60校くらいまで減らすのだというのが、国の本音だという噂です。国策という大きな流れに教員一人でいつまで耐えられるかとも思います。
 

7. 学生からの次の質問:何故こんなに研究費が減ったのですか?


 
 研究室の学生から、次の質問として「何故こんなに研究費が減ったのか」と聞かれました。私が聞いた範囲で、以下のように説明しました。
 
「文部科学省は、今まで、理系の学部では実験などで余計にお金がかかるから、理系と文系の校費を別々の基準で計算をしていたが、ひどいことに4〜5年前から理系を文系と同じ算定基準に引き下げた。したがって、理系の研究室は急激な校費の減少が起こった。しかし○○大学では前学長が、それでは理系の研究室がつぶれてしまうからと、独自に、今まで建設費として来ていた予算を取り崩して、理系の研究室に配布していた。ところが、今度の学長は今年からそれをやめて、文部科学省の計算通りに配布することにしたという。この建設費であるが、国立大学は独立行政法人化されれば、安全上の問題は企業と同じく労働基準監督署の指導の範囲となり、理系の研究室は従来のままでだと、労働現場としては危険で安全基準違反となる。そのため基準に合うよう改修を早急にしないと、法令違反となり早晩実験が出来なくなる。そのために、建設費は建設費として使わざるを得ないということになった。建設費を取り崩して研究費として配ることはもう出来ないところまで、今年は来てしまった。したがって、急激な研究費の低下は、文部科学省の実態を無視した算定基準の変更、および、○○大学では前学長の「建設費取り崩し」のつけが今年一挙に回ってきたことに原因があるらしい。今、S学部内は、改修工事が大規模に行われている。これから数年間次々と建物を耐震構造にして安全基準に合うように改修していくという。そのため、大きな改修費がいるし、学科全部を空っぽにして中の研究設備全部を引越するための引越費用もばかにならない。噂によると、改修費は国から来ているが、引越費用は来ていないらしい。その引越費用が2500万円もかかるため、これを全部研究費を取り崩して当てているという。これで研究費がゼロに限りなく近くなっているのだという話である。」
 
このように、上の質問に答えたところ、
 
「先生、建物を建てて、○○大学が倒れたら、しゃれになりませんよ。改修工事やめられないんですか。」
 

8. 理系では研究と教育は一つのもです


 
 学生が言うのはもっともだと思います。建物だけが立派になっても、研究費がなくなり学生や院生が研究できなければ、何をしているのだということです。大学の基本は教育と研究です。理系で、研究費が枯渇して、研究室の研究教育が出来なくなったら、終りです。理系学部の存在の意味がありません。理系は、研究室中心で、研究室で学生や院生が、研究指導を受けて初めて、理系の卒業生として使い物になっていくのです。理系の研究室で、研究費がなくなって実験や論文の指導が受けられなくなったら、お終いです。よく教育と研究を別もののように言う人がいますが、理系に限ってそれは、現場を知らない人の言う事です。理系の学生は研究室に入って、卒業研究や大学院の研究をしながら、担当教員から教育を受けるのです。研究をしていないと理系では教育は出来ないのです。理系の大学院教育を受けた人ならわかってもらえると思いますが、理系の大学の教員で研究をしていない人には教育は出来ないのす。皆さん、理系の英語で書かれた研究論文を読んだことがあるでしょうか。このような研究論文を英語で書けるように大学院生に教育指導できるのは、博士の学位を持ち自ら研究をしている教員だからこそ、実験遂行や論文作成の教育指導が出来るのです。これが理系の教育です。理系では研究と教育は一つのもです。研究する教員と教育だけする教員とに分けてしまおう、あるいは研究だけする大学と教育だけする大学に分けてしまうという政策は、理系の学部に深刻な研究教育上の問題を今後残すでしょう。理容師養成に本だけで教えて実技を教えないのに等しいです。今の政策を見ていると、地方大学には教育だけを、旧制帝大のようなところだけで研究をすればよいというように、見えますが如何なものでしょうか。地方の理系の学部に研究費がなくなって倒れてしまえば、その地方の産業に大きな影響が出てくると思います。教育だけをやる地方大学に研究費を渡す必要はないという考えをもし推し進めたら、上に述べたように理系の学部の研究室はつぶれてしまいます。そして、地方の衰退を招きます。このことを、為政者や国民の多くの人に認識して欲しいです。
 

9.  院生協議会からの公開質問状4項が提出された


 
 7月12日の学科の会議(ご参照上記第2項)の後、研究費激減の話が伝わりで、教員や研究室の4年生や院生に大きな衝撃が走りました。
 そこで、その説明のため、8月の初めにS学部に学長が来て、S学部の教員と懇談会を持つということになりました。多くの教員が、懇談というより、この急激な研究費の低下の理由を聞きたいということになったのです。また、S学部には約400人の大学院生がいますが、わずか1週間で約200人の院生が参加する院生協議会が急遽出来上がり、その学長懇談会に出席して直接学長から、大学院生諸君もその激減の理由を聞きたいということになりました。そこで、院生協議会の代表が、S学部長に面会してこの旨申し入れましたが、出席は拒否されました。しかしS学部長は、院生協議会からの公開質問状4項を預かり、責任をもって学長から答えてもらうことを約束されました。
 しかしながら、当日肝心の財政問題に入ったところで、学長はS学部からE学部へ行く時間だといって退席されました。代わりに、財務部長を連れてきているので、この財務部長をS学部に残していくから、この財務部長から、答えてもらうと言って会場をあとにされました。その財務部長に、S学部長が院生協議会からの公開質問状を手渡し、まずこれに答えてもらう形で後半の懇談会は始まりました。そのあとは、S学部の先生方の個々の質問に答える形で行われました。 
 
 しかしながら、この財務部長は、学長懇談会が始まったとき、学長も理事も、S学部の先生方も集まっているに、なかなか会場に来ませんでした。それで、学長が、携帯電話で呼び出したら、まだそば屋でいるというのです。それで学長が、笑いながら、「皆さん、財務部長はまだそば屋でいるようですので、少し遅れて来ます。」と言われました。それで、S学部の先生方は、真剣に本学の将来を心配して集まっているのに、本部の学長にも理事にも財務部長にも、全く危機感が感じられませんでした。こんなので○○大学大丈夫なのだろうかと多くの先生方が思ったことでした。
 
 学長が退席された後の財務部長との「学長懇談会」では、多くの先生方から年間5万円の研究費ではやっていけない、つぶれてしまうとの、悲痛な声が上がりました。しかし、この財務部長の答弁は、極めて要領を得ず、肝心な点は、「私が決めたのではない、その点は学長と理事に伝えます。」と言って逃げてしまう態度に終始していました。そこで、約1時間の質問時間の最後に、今年4月に会社の重役を退職して、S学部の教授になった先生が、強烈な指摘をしました。「会社では、財務部長といえば、会社の命運を決める重役の一人だ。なのに、貴方の答えは全く無責任だ。何故そこに座っていらっしゃるのか。」とパンチを浴びせられました。いやぁ、この先生だから言えることです。心の中で拍手をしました、「よく言ってくれた!」。この財務部長は、文部科学省からの出向者で三年程したら、また別の大学に移っていくのです。異動官職と呼ばれるキャリアたちです。このように独立行政法人化しても、国立大学は昔のまま、文部科学省のキャリア組に支配を受けているのです。しかし、制度上は、独立行政法人化後は全ての決定は学長と理事が行っていることになっています。建前はそうでも、財政上の予算の方針や計算は、文部科学省の意向を受けて財務部長が予算案を作って、理事会に提出していることは皆知っています。出向者とは言え、独立行政法人○○大学の重役である。責任を追及されたら、私が決めたのではないという言い逃れは、○○大学がつぶれてもそんなことおれは知らないよ、つぶれても別の大学に転職できるから痛くもかゆくもないと、言われているように、S学部の先生方には、大変よそよそしくうつったのです。独立法人になったら、会社と同じように企業会計になりました。しかし、文部科学省の支配はまだ受けており、旧態依然とした仕組みが残っています。財務部長の答弁は、官僚そのもので、痛みを共有する○○大学の一員とは思われませんでした。
 
 しかしながら、院生協議会の公開質問状は、少しは効果がありました。院生協議会の公開質問状には学生実験実習費が昨年の10分の1になるのは、授業料を払っているのにおかしいではないかとの指摘がありました。それでこの学長懇談会の後、先の予算案が少し見直されて、学生実験実習費がほぼ前年並の額が確保されました。なので、私の所では、校費(=教員研究費+学生実験実習費など)が、27万円になりました。学生院生への説明責任を果たすのを優先した結果である。しかしやはり教員研究費はほとんどゼロであり、今年の校費は数年前の120万円から比べれば100万円近くも減少しており、苦しいことに変わりはありません。
 

10. このような緊縮校費がずっと続くのだろうか?


 
 そのため、教員も院生協議会も今後の事が大変不安です。このような緊縮校費が二三年続けば研究室倒産は遅かれ早かれ現実のものとなってきます。学長は、このような教員や院生の不安を解消するために、早く学長自身で、将来の財政ビジョンを語る必要があります。
 さもないと、大学院生が夏休みに全国の実家に帰り、郷里の弟や妹あるいは母校の高校の先生方に、「○○大学は、研究費がほとんどないから、あんなところに行ってもだめだ。」と噂が広がりかねません。大学としては受験生が集まらなくなるのが一番怖いです。定員割れが三年続けば、その学科、学部、大学をスクラップにしてよいという法律があると聞いています。
 大学院生からも、「先生、今年は大学院入試の前にこんなに研究費がないなって知らなかったので、皆大学院を受験しましたが、来年もこんな研究費だったら、誰も受験しませんよ。皆よそに行ってしまいますよ。」と言われました。その通りです。私だってこんな大学逃げ出したくなるでしょう。また、研究費がなくて外部から稼げない研究室は、秋口になって、卒業研究や大学院の研究の実験がたけなわになったとき、「先生、あの薬品や物品買ってくれないと、卒業研究が出来ません。早く買って下さい。」といわれても、「おお、そうだがなぁ、業者が持って来ないんだ。」となり、業者からも赤字で納入することは出来ないと言われ、現場の教員は大変な板挟みになりかねなません。いわゆる信用不安というものが先に広がって、○○大学が倒れるかもしれない。大学というところは銀行と同じで、実際に金が無くなるよりも先に、信用不安が広がって倒産する可能性が大きいです。私は、このことが心配です。学生や院生が、インターネットの「2チャンネル」や「〇大チャンネル」に、もし現在の研究費激減の事実を書き込まれたら、一瞬のうちに全国に広がってしまいます。学長や理事はこのようなインターネット時代の怖さを認識してもらいたいと思います。したがって、学長は教職員と学生全員に、早く「今年はこのような研究費になってしまったが、今後、以下のような財政再建策を講じるので、皆さんここ二三年だけ我慢してくれ。きっと良くなるから。」というような、財政ビジョンをアナウンスすべきであると思います。皆さんは如何でしょうか。皆が逃げ出したいと思うような事態になったら倒産はすぐ起こってしまうでしょう。
 
 以上、第1項から第10項まで縷々述べた様子が、独立行政法人化2年目の○○大学、今年(平成17年(2005年))の状況です。事態は深刻であると思います。そこで、我が○○大学を愛する教職員および学生・院生全員が、一致団結して財政問題に対処することが必要です。
 

(おわりに)


 
 最後に、このような校費の急激な低下の本質的な原因が、文科省のホームページに平成17年8月29日に発表された「国立大学法人の平成16事業年度財務諸表の概要(説明本文)」から、最近ようやくうかがい知ることが出来ました。それは、国立大学法人は2兆8千億円もの負債を抱えていることになっており、債務償還金、つまり、借金の大きい国立大学ほど、教育研究費が大幅に削減されているらしいということがわかりました。
 独立行政法人化された時の小泉内閣は、国立大学が、独立行政法人化されると、「国が財政的に責任を持ちながら、自主・自立という大学の特性を活かした運営ができる新しいスタイルになる。そして、一種の会社のように、自分たちで自由に運営が可能になる。」とそのメリットを大いに喧伝して居りました。私も、会社から国立大学に転職したので、国立大学の運営の仕方のデメリットが改善するのではと、大いに期待して居りましたが、結局、それは絵に描いた餅で、財政的な予算の逼迫からは逃れられずに、国立大学は、ここ20年間(2004年度~2023年度)一貫して衰退していって居り、研究レベルが諸外国に比べて大いに低下してしまっています。私自身は、国立大学の行政法人化は理念はよかったが、実際は、財政的な裏付けがなく緊縮財政が続いて、国立大学は、特に地方の国立大学は、研究教育環境はボロボロになってきてしまっています。多くの国立大学で、平成16年(2004年)4月の法人化以降の国立大学の実情と問題点を、総括検証すべき時期だと私は思います。そして、総括検証された問題点を、一般の日本国民の皆様や為政者の方々にも、広く知って頂き、何とかにこれを解決したいと願っております。そして、日本の国立大学の学術レベルを取り戻して世界に冠たるものにし、今後も日本の国立大学からたくさんの優秀な研究成果や人材が出るようにと願っております。
 
 
平成17年(2005年)9月23-25日 随筆
令和5年(2023年)10月4日 加筆
 
 
*なお、冒頭の国立大学のイラストは、下記のURLからフリー画像を使用させて頂きました。
https://www.ac-illust.com/main/search_result.php?word=%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%A4%A7%E5%AD%A6
 
 

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