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郵便屋さん

幼い頃に見ていた未来は
大人になると日々忘れていく。

幼い頃の私はとても無口で夢見がちな少女だった。
いつかの絵本で読んだ隣国の友達話し。
【空瓶に手紙を入れて海に投げると隣の国まで届けてくれる】
この物語が大好きで、どこかにコルクキャップ付きの洒落た瓶はないかと探し回ったほどである。

結局、洒落た瓶は見つからずペットボトルかなにかに手紙を入れて川に流した。近所に海がなかったので川にしたのだ。
しかし、なぜか当時の私は自信があった。川を辿ればいつか大海原へ出て隣国まで届くはずだと信じていたのだ。

結果は何度やってもダメだった。
そこは生活排水が流れる川で、道ゆく人がゴミを投げ捨てて行くため空き缶やらビニール袋やらが堆く手紙の行方を阻んだ。

どうしても手紙を届けたかった私は
そうだ郵便屋さんに頼もう と閃いた。

さすがにペットボトルを届けるのは無理だと悟ったのか、私は自由帳を1枚破いて手作りの封筒を作った。

いつもアパートで会う、メガネのふくよかな40代ぐらいの男性。当時は名前も知っていたが、もう忘れた。


私はアパートの階段に座り、蟻と団子虫を戦わせながら、おじちゃんが来るのを長いこと待った。

やっと来た

戦わせていた蟻と団子虫を放り投げ、声をかけるタイミングを見量って、おじちゃんが郵便物を配り終えた後に、今だ と意を決して言った。

「隣の国まで届けてくれませんか?」

蚊の鳴くような声だったと思う。
ただでさえ人見知りだった私は、切手も貼ってない、宛名もない封筒を遠くまで届けてくれと言えば怒られるのではないかとビクビクしていたからだ。

「かしこまりました」

おじちゃんはにしゃっと笑って、何処まで届けたいのか誰に届けたいのか、優しく私に訊いてくれた。

物語のように本当は海に流したかったこと。
可愛い瓶が見つからなかったこと。
誰でも良いから誰か隣国の人に届けて欲しいこと。

ゆっくり絞り出すように話す私を急かす事なく
おじちゃんは優しく頷いていた。
要望を話し終えると

「がってん承知の助」

おじちゃんはまた笑って私の頭をポンポンと撫でてくれた。


それから返事が来るまでの間ウキウキして眠れなかったのを覚えている。

手紙の内容は確か
友達になってください だったと思う。


数日後には返事が来た(笑)
私の手紙は韓国のキムくんという6年生の男の子に渡ったらしく、隣国が韓国だと思わなかった私は肩を落とした。
想像ではアメリカの白人の男の子に届く予定だったのである。

キムくんは暫く文通を続けてくれた。確か1年ほどだったと思う。
夕暮れ時、おじちゃんに手紙を渡すのが楽しみで楽しみで仕方なかった。切手なし、宛名なしの手紙をいつもおじちゃんは迅速にキムくんに届けてくれる。

暗くて友達が居なかった私には、家に出入りしていた半野良猫とキムくんだけが友達だった。



学校で意地悪を言われたこと。
家がゴミ屋敷で電気も水道も止まってること。
食べるものがないこと。

口に出すと涙が出そうな事も、キムくんには何でも話せた。不思議なことにキムくんの家も水道は止まっており、友達は一度もできたことがないらしかった。私にとってキムくんは唯一の友達であり、唯一の逃げ場となった。不幸を背負っているのは自分だけじゃない。この事は私にとって一種の希望だった。


おじちゃんは途中から、私から手紙を受け取る時にパンをくれるようになった。ふわふわの大きな白と黒糖の蒸しパン。おじちゃん曰く、キムくんから頼まれた韓国のお土産らしかった。


そんなやり取りが暫く続いて、私は三年生になり初めて仲の良い友達ができた。クラス替えで一緒になった翔子ちゃん。翔子ちゃんとは毎日遊んだ。登下校も学校も放課後も。そうすると翔子ちゃんと仲良かった他のクラスの子とも遊ぶようになり、自然と友達の輪は広がっていった。

その頃からキムくんとのやり取りは少しずつ減っていった。


おじちゃんはある日、最後のお土産だと言ってお菓子を沢山渡してくれた。
キムくんは引越しするらしく、そこは遠すぎておじちゃんでも手紙を届けられないという話しだった。
泣きじゃくる私の頭をおじちゃんはポンポンと優しく撫でた。また会えるさ そう言った。

それから数日後だったと思う。
気付いた頃には、郵便の配達員がおじちゃんからおじいちゃんに変わっていた。
届けられない理由がわかった気がした。

あの時のおじちゃんは今どうしてるだろうか。
ありがとう。本当にありがとう。

眠れない夜はキムくんを思い出す。

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