中国から帰ってきて1年が経った

こんにちは。Kohei(@ko_shanghai)です。

私は2018年6月〜2019年10月まで私は中国・上海で生活しておりました。
Twitterも「せっかくの海外生活出し、記録にでもなればいいや」ぐらいの気持ちで始めており、「○○クラスタ」、「キラキラ/ダサダサ中国」という存在も特に知らずにスタートしておりました。そんなTwitter経由で知り合った方も多く、本当に感謝です。

中国生活の方が刺激が多い日々だった

上記の牛乳屋さんのnoteでも書かれている通り、中国で生活している時は刺激的な日々を過ごしていたと思います。中国の方々にとっては当たり前な日常なのかもしれませんが、人生の大部分の時間を日本で過ごしていた私にとっては非日常の繰り返しでした。

アイロンを使ったらブレーカーが落ちる脆弱な家
ジョギングしていたら散水車が追いかけてくる
いきなり閉鎖するトレーニングジム
美味しい中料理
やはり便利な中国IT
オープンして数ヶ月で閉店するバー
いきなり喧嘩を始めるおっさん達
おばあさんの道路横断を補助する警察官達
・・・etc

ギャグような場面でも真面目な場面でも刺激はたくさんありました。

変化の激しい社会状況の中でも感じていたのは中国人の「人と人との繋がり」です。言葉としてはありきたりな表現かもしれませんが、日本、特に東京での生活で感じることのなかった近所同士の繋がりなどがまだ濃く残っているのは私にとっては衝撃でした。

もしかしたら、人によっては多少面倒臭いことなのかもしれませんが、そういう繋がりが結果的に自分の助けになったりしたことも事実です。

家の水道管がつまった時に業者を呼んでくれたとなりのおばさん、日本人(というか外国人)一人の僕がポツンと飲んでる時に輪に招き入れてくれたローカルバーの若者たち

コロナの影響で容易に中国に行くことはできなくなってしまいました。
変化が激しいゆえに彼らと会える「場」がなくなる可能性もゼロではありません。

また彼らに会える日がくることを信じて、今日も日本で私は空を見上げます。

Kohei



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