二十二話

そろそろ本格的に受験勉強に力を入れようと考え出した時期の頃、いつものように真人の教室は賑わっていた。

まだ3時限目という短い休憩時間だが隣のクラスから生徒はやってきている。

真人も教科書を開いたまま友人たちとの喋りに夢中になっていた。

そんなときだった。

教室のドアが開き、キム・ジョンスが現れたのだ。

彼は同じ屋根の下に住む真人がいるにも関わらず、目もくれなかった。

ジョンスはゆっくりとだが確かな足取りである人を目指していく。

どうしたことかと思い見入る生徒たちはジョンスの先にいる女生徒も目に入れる。

「ねぇ、あれってジョンスだよね、真人の家の」

「あ、ああ」

仲のいい女生徒がこっそり声をかけてくる。

真人も喋りをやめてジョンスを見る。

「あいつ・・・なにやってるんだ・・・」

「さぁ、でも春歌のところに行ってるよ」

「そう・・・みたいだな・・・」

誰もが声をひそめてジョンスを見る。

ジョンスは周りの反応を気にもせず、春歌の前に行くとぴたりと止まって膝を折った。

まるで西洋映画でも見ているかのようだった。

ジョンスは片膝を立てて座ると春歌の手を取る。

「春歌、好きだ。俺と付き合ってくれ」

どよめきが教室内にあふれだす。

無理もない、誰もが春歌は真人と付き合っていることを知っている。

二人の仲に口出しするものはいない。

なのに真人と家族柄となったジョンスが春歌に告白したのだ。

「・・・え、えと・・・」

春歌は困ったように言葉を詰まらせる。

真人は断るものだと思っていた。

ほかの生徒も同じように断るのだと思っていた。

誰も何も言わなかった。

ざわめく教室のなか春歌は席を立ち、教室から出ていく。

ジョンスは落ち着いたまま立ち上がると春歌を追うように教室を出ていく。

「真人、いいの?」

「いいって・・・春歌があんなの受けるわけないだろ。俺がいるんだから」

「でも」

「だ、だいたいジョンスだってなんでこんな」

席に座ったままの真人を見ているのは一人や二人ではない。

「追いかけてやるのが彼氏じゃない?」

男子からの視線はたいしたことはなかったが女子からの視線は針で刺してくるように痛い。

「あぁ・・・行くわ。やっぱり彼氏としては気になるし・・・」

「それがいいよ」

諭されてようやく席を立つと教室を出ていく。

冷やかな視線が背中に刺さっていた。

「まったく・・・ジョンスも何考えてんだよ・・・」

廊下を歩き二人の姿を探す。

「春歌も断れよな・・・俺の目の前で・・・えっ・・・」

廊下の窓ガラスから見える木の陰にジョンスがいた。

ジョンスだけでなく、春歌もそこにいる。

「そんな・・・ウソだろ・・・」

しばらく状況を認められなかった。

木の陰でジョンスが春歌の唇を奪っていた。

「あのふたり・・・」

怒りなどわかなかった。

絶望というほかなかった。

春歌とジョンスのキスを遠くから眺める。

ほどなくして状況が飲み込めてくるとようやく怒りが込み上げてきた。

拳を握り走り出す。

そう距離があるわけではない。

走り出した真人はすぐにジョンスの名前を叫んで拳を振りかぶった。

「ジョンス! 離れろ!」

「ふんっ」

彼女の唇を奪った男を倒すため拳を突き出した。

「だめっ! 真人さんっ!」

春歌の叫びは聴こえていなかった。

真人の拳はジョンスにかすることなく空を切る。

一瞬にして視界は逆転した。

「ぐあっ!」

わけもわからず転んでいた。

「よう真人。悪いな、お前には先に言っておくべきだったかもしれないけど、春歌は俺のモノになったからな」

「なにいってんだよ!」

「ごめんなさい、真人さん」

「春歌? はぁ? なにいってるかわからないんだけど・・・」

「私・・・ジョンスくんと付き合うことにしたの。真人さんとはもう終わりにしたいの」

「え?」

「もう一回いうよ。春歌は俺のモノになったからもう関わらないでくれ」

「なっ・・・」

「大人しくしてくれるなら何もしないから」

「ふざけんなっ! お前自分が何してるかわかってるのかよ」

起き上がって叫ぶもジョンスは冷たく接するばかり。

「わかってるよ。好きな女をモノにした。その元彼氏が吠えてる・・・それだけだろ」

まるで別人のようにみえた。

「春歌・・・くぅ・・・ああっ!」

止められるわけがなかった。

真人はまた拳を振りかぶって立ち向かう。

拳はまた何にも触れず、真人は倒れた。



気が付いたときそこは保健室だった。

誰もいない、ひとりきり。

なにがどうなってこうなったのか、わけがわからない。

春歌がジョンスに取られたということだけ頭に残っていた。

ジョンスとキスを交わす春歌の姿がこびりついている。

ジョンスに勝てなかったことを痛感すると涙がこぼれてくる。

しばらく真人は泣き崩れたが保健室には誰も来なかった。

呆然としたまま教室へ行くとすでに自分以外が帰った後であった。

春歌の荷物もない。

ひとりで家に帰ろうにもそこにはジョンスがいる。

どんな顔して帰ればいいのかと思うも坂道を上るしかない。

家につくといつもの通りドアを開く。

誰もいなかった。

静かな家の中、夕飯が用意されていた。

レンジで温めて食べても美味いはずもない。

真人は自室でぼうっとしながら時間がたつのを待った。

深夜1時を超えた頃、ようやく家に人の声がした。

第一の帰宅人は母親の理恵と夫のキム・ジフン。

2人は流れるように部屋へと向かっていく。

壁越しにかすかに聴こえてくる母親の嬌声に苛立つも動けない。

第二の帰宅人は奈々。

階段を上る足音は聴こえているはずなのに、部屋のドアを開く音も聞こえている。

こんな夜更けに帰ってきても親はなにもいわない。

ドアが閉まる音がしたあと、奈々は気配を消したように動かなくなった。

最後の帰宅人はジョンス。

真人は立ちふさがろうとドアノブに手をかけたが昼間のことがよぎった。

「大人しくしてくれるなら何もしないから」という言葉と倒された自分。

気づけば膝が震えていた。

やがて足音は消えた。

静かな家の中、ベッドに戻り携帯電話を取り出す。

夜中の3時になっていた。

寝ようと携帯電話を閉じたとき、呼び出し音が鳴った。

見たことのない番号が表示されている。

「はい・・・一之瀬ですけど・・・」

「あの・・・私、です。春歌・・・です」

「春歌!? えっ!?」

「今から会えますか?」

「あ、ああ!」

「では私の家の桜の下に来てください」

携帯電話を持っていない春歌がなぜ電話をかけてこれたのか細かいことは気にならない。

ただ会いたくて走り出した。

家にジョンスがいることだけは確認していた。

坂道を上り、京極家の門を通る。

いつもは鍵が閉まっているはずが開いていた。

庭にある桜にたどり着くと月の光の下に春歌がいた。

「春歌・・・」

「真人さん、昼間のこと、きちんとお話します」

「・・・ああ・・・」

「私はジョンスと結婚することにしました。私なりに真剣に考えた結果です」

「本気なの?」

「はい。彼のほうが私を好きでいてくれる」

「そんなの! そんなの・・・なんで・・・」

「どうやって比べたか、ですか? 私を抱くときの態度でよくわかりますよ」

「抱くとき・・・ジョンスとしたってこと・・・」

「・・・はい」

真人は言葉を失った。

「どう思っていただいてもかまいません・・・でも・・・私がほかの男に抱かれても気づかない真人さんも・・・いいえ、すみません。でも私はジョンスを選びます」

「なんで」

「彼のほうが私を愛してくれているからです・・・」

「それって、あいつのほうが・・・」

「そんなこと言わせるんですか?」

「うっ・・・」

「はっきりいいましょうか? 真人さんよりジョンスのほうが好きです」

「・・・わかったよ」

「真人さん、ごめんなさい」

もうそれ以上、言葉を交わす必要がなかった。

真人は桜の下から立ち去り、坂道を下っていく。

家に戻ると自分の部屋でもう一度泣いた。

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