隣人愛について3
個人的な体験
かつてタイランドに行ったとき、富の意味について自問した。大学の同級生でタイ語の出来る友人がいて、私は彼と一緒にタイへ行った。
彼は現地の屋台のシェフ兼経営者と仲が良く、配膳などを手伝って回っていた。立地も良く繁盛していたが、パッタイなど言っては悪いが現地ではありふれたメニューだ。
20年前日本人バックパッカーがカオサンロードに沢山いた頃。当時のタイの物価は日本の5分の1くらいだったと思う。
毎日飛び回るように働いて、屋台の経営者は一日いくら稼いでいたのだろう。日本円で少ない日で三千円、多い日で1万円程度じゃないかと思う。
日本で同じことをやれば、日商5万円くらいは行くだろう。
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儚い富
ここ数週間、為替は円安に流れているという。
円高だった九〇年頃のバブル絶頂期には、「日本の全国土を売った金で、アメリカの全国土が買える」という説があった。金額換算したら、理論上は事実だったのだろう。
飲食店など世界中で大差のない職業だ。パリでもバンコクでも東京でも。ところが為替によってその金銭的評価は乱高下する。
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円安によって日本の一人当たりGDPが急落している。
G7ではイタリアに抜かれ最下位。台湾はもちろん韓国にも抜かれるようだ。
これもしょせんドルベースの換算で、ドルに対して相対的に日本円が弱くなれば下がるし、強くなれば上がる代物。逆に言えば、ユーロ圏で一人当たりGDPが高いのは、強い通貨のおかげだ。
先進国でも後進国でも、一部の花形産業の従事者を除いて、ほとんどの国民の活動は似たようなものだ。富とは、それほど儚い物、形のないものなのだ。
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デフォルトやインフレに見舞われると貨幣の価値は急落する。
アジア通貨危機の際の韓国、EU崩壊の直前まで行ったギリシャ、デフォルトを何回も起こしているアルゼンチン。強烈なインフレに見舞われているジンバブエ。そして経済制裁が続いているロシア。
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信用の生ずる所
しかし国民経済の活動実態は、そんな中でも常に続いている。貨幣がその意味をなくすとき、我々は何を指標に生き、働くべきなのか。
貨幣は信用だと言われる。確かに貨幣は不特定多数に向けた債権で、その通りだろう。では、信用とはなんなのか。どうやってそれは生ずるのか。
遠回りしてきたが、もうお分かりだろう。
隣人愛こそがその答えだ、と私は考えている。
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