アフリカ・ロシア比較論

私は、一時期アフリカ人の集まるキリスト教会に出入りしており、そこで貿易に携わっている人たちと交流があった。

その流れで日本政府が主催していたアフリカ開発会議(TICAD:Tokyo International Conference on African Development)にも連いていった。横浜で第7回が行われたときに、コート・ジ・ボワールやザンビア、カメルーン、ガーナ、コンゴの大統領や大臣の講演を聞くことができた。

そこでパワーポイントで見せられた資料から思ったのは、一次産品の輸出で国家財政が成り立っているということ。例えば、石油や天然ガス、金にダイヤモンド、あるいは銅などの鉱物資源、それにコバルトなどのレアメタル。これらが輸出額の50%以上を占めている。他にはカカオやコーヒー、ゴムや綿花などが10%~20%くらいだろうか。

あとは先進国の人が希少な動物を見に来たりといった観光業。世界最大の湖、ヴィクトリア湖とか雄大な自然を堪能しに来たりする。いわゆるサービス産業といわれる第三次産業。

第一次産業と第三次産業があって、この中間である第二次産業がほぼ皆無と言っていい状況。

第二次産業とは、基本的には自然界から産出した原材料を使って製品を製造・加工します。 なかでも製造業は対象となる製品の幅が広いことが特徴。 食料品や衣服、化粧品といった生活に密着している製品はもちろん、業務用の機械や航空機なども対象

また、食料を輸出していながら、その国で飢餓が起きていたりもする。

他方でロシアって国は、資源もあれば技術もある。第一次、第二次、第三次と一国で経済を回せる凄い恵まれた国なんだなとも思う。アメリカも同様だ。

それだけの強みがあってこそ、鎖国的な政策ができる。共産主義革命の際に、一国社会主義と国際主義の対立があった。聞いた当時は特に関心も湧かなかったが、改めて考えるとロシアという孤絶しうる国だからこそ、一国社会主義の主張が採用されたんだろう。


ところで古典派経済学を語る上で外せない、リカードという有名な経済学者がいる。「比較優位」というアイデアで、国際分業こそが我々の栄える道だと証明した。彼は自国が得意なことを追求して、苦手なことはそれを得意とする他国にやってもらいましょう、と考えた。僕らウィンウィンだよね。

ところがこういう思想というのは、アフリカ諸国にとっては、欧州の先進国が自己正当化をしているだけ、とも映る。

なぜなら、比較優位の思想に従えば、イギリスやフランス、ドイツは工業が得意だから工業製品(第二次産業)を作る。アフリカ人は資源を沢山売ってそれで国を回す、となる。

ここで首を傾げるのが「『資源を売るのが得意』ってどういう意味だよ!」ということ。そんなの誰でもできるだろ、ってこと。金や銅を掘るなんてことは、2000年前の人間だって既にやっていた。この場合「比較優位」という思想は、つまるところアフリカ人は何にもできない、と暗に言っているに等しい。


実際には欧州はアフリカ人技術者を育てる気もなく、工場を作るなど資本投資をする気もない。だから、アフリカは工業の盛んな国に下手に出て、資源を安値で売らなければならない。金が無いから、エンジニアの教育も出来ない。

欧州人はアフリカの慈善事業には積極的だが、自分たちの市場の競争相手となるような産業を本気で起こす気はない。アフリカ人にとって「比較優位」や「国際分業」というのは、諸手で賛成できるような思想ではないだろう。(実際アフリカ人はマネジメントの能力なんて皆無なんだよと言われれば、今のところ反証することは難しい。)

そして旧ソ連が東西冷戦を曲がりなりにも50年続けてこられたのは、自国完結型の(最近の言葉でいえば「確立されたサプライチェーン」)を確保していたからなんだなぁと改めて知ったのだった。「比較優位なんて関係ねぇ」「下手でもやるんだ」というのが、ソ連の考えだったわけだ。そして、そういう考え方は経済構造が同じロシアも、やはり引き継いでいるのだと思う。

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