学問の社会進化論 前編
世の事柄に絶対や永遠はありません。
同様に学問にも流行り廃りがあります。
西洋科学の源流は神学です。
元々大学は修道士養成所でした。ローマ大学、オックスフォード大学、パリ大学、ケンブリッジ大学。18世紀に建国されたアメリカでさえそうです。ハーバード大学は元々牧師養成所でした。
そんなキリスト教神学の牙城であった大学に、科学がずかずかと踏み込んできます。自然科学者や法学者、哲学者です。
彼らは神学者のポストを次々と奪っていきます。実は自然科学者らは、各地の王権とも同盟的な関係にありました。
というのは、各国の王様達は、カトリックの教皇がイギリスやフランス、ドイツの政治に口を挟んでくるのが煙たかった。その口実は、「聖書の教えと違うから」。教皇ウゼー、という雰囲気が充満していたわけです。かといって、さすがに王様達もそれを公然とは言えません。
そんな中、大学は教皇の手先で見張り番みたいになっていた。今風に言うと抵抗勢力。そこに新興勢力の科学者らを参戦させて、自分に都合のいい連中を大学に送り込んじゃおうぜ、という思惑が王様達にはありました。
ひと昔前だと異端と言われて処刑されていたような学者を、王様がバックアップ。ニュートンだとかカントだとか、マキャベリだとかアダム・スミスだとか。
「地球は丸いんだ~」といって処刑されたガリレオは時期も早かったし、ローマに近すぎた。イギリスやドイツの辺境にいたニュートンだとかカントは、そういうローマからのプレッシャーから自由だったんです。もちろんローマから遠いので、王様も好き放題できたわけです。
神学のポストを法学者が奪っていった、という話はアメリカのプラグマティック法学者のロスコー・パウンド(1870-1964)が指摘しています。確か「法律と道徳」(1928年)。
近代に続きます。いつアップするかは未定ですが、元気なときに^^;
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