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「倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史」渡邊大門

最近こういう本が出たらしく、レビューや関連記事が結構出てます。

「倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史」渡邊大門

著者の渡邊大門氏による記事から引用します。

倭寇が日本海域を席巻し、朝鮮半島や中国で人をさらっていったという事実だ。日本では農業従事者が慢性的に不足していたため、捕らえた人を売却し農作業に従事させていた。また売色にも従事させられた。捕らえられた人の多くは、九州地方に奴隷として供給され、売買には中国人も加わり、東アジア的な規模で行われていた。

戦場での奴隷売買の事例は、『妙法寺記』という史料でも確認できる。そこには、武田方の兵たちが城を攻め落とした際、男女を生け捕り、甲州で売買したと書かれている。

他のライターによる以下のような記事もあります。

こんな感じで鎌倉時代から室町時代まで、奴隷売買、人身売買が行われていたようです。

なぜ、こんなことにこだわるかというと、豊臣秀吉による伴天連追放令(キリスト教禁止令)と関わってくるのです。秀吉の伴天連追放令はキリスト教宣教師による日本人奴隷売買を禁止するためだと言われてきました。

こんな感じで、「イエズス会の宣教師は、5万人もの日本人を奴隷として海外に売り渡す最低の連中だ。それに引き換え、秀吉はなんて人道的で愛国者なんだ!」と持ち上げられてきたのです。

しかし、最近の記事からすると、どうもそんな簡単なことではないようです。宣教師が来る前から日本人は奴隷売買をしており、また、スペイン人やポルトガル人は大西洋でも奴隷貿易を行い、東アジアでも一般的に行われていることに従事したに過ぎない、と考えられます。

秀吉は、宣教師コエリョを呼びつけなぜそんなひどいこと(日本人を奴隷として海外に売り渡す)をするのかと詰問した。するとコエリョは、「売る人がいるから仕様が無い」そうケロッとして言い放ったといいます。

日本の奴隷売買の歴史を見ていくと、宣教師コエリョの回答も別に不思議な感じはしません。

日本の戦国大名がポルトガル商人などに売り渡しており、ポルトガル人宣教師はむしろポルトガル国王に日本人の人身売買禁止令を求めていたようです。

1560年代以降、イエズス会の宣教師たちは、ポルトガル商人による奴隷貿易が日本におけるキリスト教宣教の妨げになり、宣教師への誤解を招くものと考えるようになっていた。ポルトガル国王に日本での奴隷貿易禁止の法令の発布を度々求めており、1571年には当時の王セバスティアン1世から日本人貧民の海外売買禁止の勅令を発布させることに成功した。

実際に取引された奴隷数については議論の余地があるが、反ポルトガルのプロパガンダの一環として奴隷数を誇張する傾向があるとされている。
(実際に)ポルトガル人の奴隷貿易で売られた日本人の奴隷は数百人程度と考えられている。

豊臣秀吉は天正15年(1587)の伴天連追放令で奴隷貿易を禁じたとされるが、実際に発布された6月19日付けのバテレン追放令には人身売買を批判する文が(6月18日付けの覚書から)削除されていた。

なんか南京大虐殺のような様を呈してきましたが、東洋経済の記事では日本人5万人が奴隷として海外に売り渡された、とされていますが、ウィキペディアでは数百人とされています。

確かに秀吉は、ポルトガル人による奴隷売買も禁止しましたが、同時に奴隷売買が盛んにおこなわれていた東国(関東)でも禁止しました。つまり、上の記事にあるような戦場における「乱取り」(奴隷狩り)が、人々の戦争へのインセンティブ(誘因)になっていて、それを抑えようと思ったのではないでしょうか。

実際、秀吉は無茶ぶりの朝鮮出兵で間接的に戦国大名の力を失わせ、また刀狩や検地を実施したりして、それまでの「ガンガン行こうぜ」モードから「まったり行こうぜ」モードにペースダウンさせていきます。

しかも秀吉自身も朝鮮人を奴隷として日本に連れてきたり、耳や鼻を切って集めたりしているわけです。秀吉もイエズス会宣教師もどっちもどっちかな、という感じがします。

今の我々の行動も500年後くらいにはなんと言われているでしょうか。例えば「金で不本意な行動を強要する賃労働なんて、なんて野蛮で非人道的なのだろう」とかきっと言われているのでしょう。

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