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リチャード・ドーキンス「神は妄想である」(2006)



宗教の掲げる「神」とは幻想、それどころか妄想である、とあらゆる観点から神の実在を反証する一冊。本の紹介の前に、ドーキンスの人となりについて記そう。

イギリスの進化生物学者・動物行動学者である。The Selfish Gene(『利己的な遺伝子』)をはじめとする一般向けの著作を多く発表している。存命の一般向け科学書の著者としてはかなり知名度の高い一人(ウィキペディア)

この本は、ドーキンスの全精力を注ぎこんだに違いない大分量。

2006年(65歳)の著書『神は妄想である』は2007年11月の時点で英語版の売り上げが150万冊に達し、31言語に翻訳された。今日、彼の著書の中で最も有名な一冊となった。

しかしネットの文章に慣れてしまった私は、最近は2000字さえも読むのがつらい。ドーキンス氏には申し訳ないが、目次を見て拾い読み。

前半は総論的な内容で、後半はドーキンスの専門の進化生物学からの論証が多く示されている。とはいえ、科学を「する」以上、どこかで神学との境界線を引かねばならない。

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皮肉なことにドーキンスが神の不在を語れば語るほど、「神」や「神学」の輪郭が多面的に浮き彫りにされていく。同時に近代科学の根幹にキリスト教神学が根深く横たわっているかが明らかになる。前半は極めて優れた科学概論の趣さえある。

例えば、今機械学習やAIでしばしば参照される「ベイズ推定」。
ほとんどの人がテック用語と疑わないだろうが、これは元々ベイズという牧師が神の実在を証明するために考え出したアイデアだという。

そしてドーキンスは、ベイズの編み出した「尤度」(もっともらしさ)による神の証明を、馬鹿げたものの最たる例と嘲るのだ。

こんな感じでドーキンスは、近代科学のあらゆるところに顔を出す神の痕跡を、もぐら叩きのように執拗に潰していく。

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筆致は逞しくファシネイトに近いくらい情熱的だが、数千年と続いてきた「神学論争」に終止符を打つ、とはやはりいかない。

後半に自身の専門の進化生物学の事例を挙げていくが、段々スコープが近視的になっていく。最後の方は聞いたこともない鳥の利他心だとか、生物学を専門にしている人しか興味がないような些末なことを語っているように映る。

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結局、科学は個別・具体的なことしか明証的に語ることはできず、それをいくら積み上げても総合・普遍的な世界把握には至ることがないのだろう。

私には、ドーキンスの主張は人類につきまとう不安に科学は十分な回答を与えられない、ということの再確認でしかなかった。

この本は、イスラム原理主義者によるNYの9・11テロ間もない頃に上梓された。イスラム原理主義者への反論以上に、英米のキリスト教原理主義者に対する牽制の意図が強かったと思われる。

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「神」という壮大な詐欺を信じて飛んでいる気になるか、「科学」というエンドレスな問いの地べたに這いつくばるか。

この二択に正解はなく、存在するのは決断と参加のみなのではないかと思う。サルトルの語ったアンガージュマン(Engagement)。ガジュマルではない。


頂けるなら音楽ストリーミングサービスの費用に充てたいと思います。