わたしはいろんなものでできている
自分が惹かれるひとりひとりを見ながら、
わたしはこの人にはなれない。
こういう存在にはなりきれない。
と思っていた。
それは身近なあの子であったり
遠くのあの人だったり
こうだったらいいのにと思うじぶんの姿だったり。
目の前にある存在を見て、そこに至らないじぶんに悲しささえあった。
だけど、ここ数日でちょっと気づいた。
自分が何に惹かれるか、だとか
惹かれるいくつもの在り方を選びとって
じぶんのものにして調和させたまるごとぜんぶで
わたしなんだ。
わたしにはなりたい姿がいくつもあって、
やりたいこともいくつもある。
それはときどき似かよっていたり、全く真逆のものだったりする。
だから、「なにものか」になりきれない。
わたしはわたしでしかないし、
でもわたしであるんだ。
いろんな肩書もあるけれど、
肩書は他人から見てわかりやすいけれど、
肩書はその人の要素であるだけ。
「じぶん」という人間は
じぶんしか定義できないものだ。
だからね、
わたしはわたしが惹かれるものを
受け入れて、選んで、自分のものにして、
「きのしたまい」を育てていくよ。
まだまだ未熟なわたし
へんに理想があるから、きっと一生未熟だろうな。
でもふと離れて自分を見たとき
ちゃんとわたしをやってこれたなって
思えればそれでいいかな。
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