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心と言葉の不均衡


ありのままに言葉にしたい、といつも思っている。


だから、心の熱量と言葉の熱量のバランスがとれなくてよく悩む。


心で感じていること、たとえば「悲しさ」を言葉にしようとしたときに、心で感じている量、質、痛みをきちんと分量通り調合して言葉にするのって難しい、というか不可能だよね、という話。


そもそもその「悲しさ」がどんな分量、材料、味なのか自分でもはっきりとわからないし、それらにどの言葉が対応するのかわからない。


自分の心で感じていることを、言葉にするなんて不可能。


それはずっと知っているしとっくに絶望している。


自分で自分の言葉の表現に納得するしかない。


昔の人はいかに自分の感性に忠実な表現をするかと考えていたから「胸を切り裂くような」とか「冷たい雨のような」とかいろんな表現で悲しさを言葉にしようとしたのかな。


でも、自分のことは自分がいちばんわかっているはずなのに、自分の言葉に納得ができないなんて不思議だね。


他人の言葉には共感するのにね。




それから、心と言葉の不均衡は、時間によって変化する。


それは不均衡がさらに強くなったり、時間が立つことによって逆にぴったり共感できるようになる。

一度打ち込んだ言葉はそのまま変わらないけど、その言葉を選んだときの心は時間とともに移り変わっていくから。


きっと一生言葉に絶望して、だけどそのおかげで言葉に希望を感じていくんだろうと思っているよ。

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