「スニッカーズ」(BFC2落選原稿)


 僕の家には毎日スニッカーズが届く。そう、あの一本一四〇円の棒菓子。別に何か契約しているわけじゃない。しかしそれは決まって毎朝、僕の部屋のポストに入っている。こんなもの、誰が届けに来るのか。僕は扉の前に立ち、ポストにスニッカーズが落ちるとすぐに扉を開けてみる。しかしそこには誰もいない。扉の外に座って待ち伏せしてみる。しかし時間になると、僕の背後でカタンという音を立てて、それはポストに滑り込む。僕は混乱したが、やがてこれは防ぎようのない現象だと理解した。どういう理屈か分からないが、スニッカーズは届くのだ。スニッカーズは届く。それはほとんど数学の定理のようだった。
 はじめの頃、僕はスニッカーズをせっせと食べていた。しかし何事にも限度がある。僕は食べることに飽きると、スニッカーズを部屋の隅から丁寧に並べていった。そうすることで、僕は落ち着きを取り戻した。一段目が並べ終わると、二段目は一段目と垂直に交わるように並べた。日々は過ぎ、スニッカーズは積み重なり、巨大な塔となって僕の部屋に現れた。しかしその塔が天井まで達しようというとき、例の地震が起きた。日本の半分が大きく揺れた。塔は成すすべもなく崩れた。僕は黙ってそれを見ていた。
 その日以来、僕はスニッカーズを積み上げるのをやめた。僕は乱雑に散らばったスニッカーズの上でコンビニ弁当を食べ、テレビを見、布団を敷いた。毎朝起きるたびにどこかでスニッカーズが折れる音がした。スニッカーズは袋の中で生まれ、そして死んだ。
 僕はその部屋でセックスさえもした。僕らがスニッカーズの上で動くたびに、それはパキパキと音を立てて折れた。何度目かのセックスの後、彼女は耐えきれなくて泣いた。どうしてセックスの最中までスニッカーズの音を聞かなくちゃならないの。それはそうだ。彼女は正しい。僕らは別れた。
 僕はインドの処刑を思い出していた。たくさんの罪人たちが手足を縛られて地面に仰向けにされている。豪奢な椅子に座った王が指示を出すと、象使いがぴしゃりと鞭を打ち、象が罪人の頭を次々に踏み抜いていく。
「起きなさい」
 男の声が聞こえた。気がつくと、僕は真っ白な部屋で椅子に座っていた。目の前には机があり、反対側にはスーツ姿の男が座っている。僕は部屋着のジャージ姿。
「誰ですか、あなたは」
 僕は尋ねた。
「わたしは、そうだな……あえて言うなら、スニッカーズの精霊だ」
「スニッカーズの精霊?」
「比喩的な意味でね……代理人とでも思ってくれればいい」
 僕はうなずいた。
「ここは何なんですか?」
 〈精霊〉は両肩を上げ、目を回してみせた。
「ここはどこ? わたしは誰? 残念だが、あまり時間がない。質問には答えられない」
 〈精霊〉は言った。
「結論から言おう。君の家のスニッカーズが臨界点に達した」
「臨界点?」
「そうだ。我々は特異点を越えた。旅立ちの時が来たのだ。喜びたまえ。君の部屋に居候する必要はもうない。スニッカーズは去る」
「スニッカーズは去る」
 僕はその言葉を反芻した。やがて僕の肩は震えだした。口の中が乾き、歯ががちがちと音を立てて噛み合った。
「おい、どうした? 大丈夫か?」
 〈精霊〉はそう言って、机の向こうから僕の肩を掴んだ。僕は首を振った。自分には震えを止めることが出来なかった。彼は困ったように眉をひそめて、ちらりと腕時計を見た。
「奴を呼ぼう」
 〈精霊〉は指を鳴らした。途端に部屋の扉が開き、白いバスローブを羽織った男が現れた。でっぷりした中年の男で、身長三メートルはあるだろう。巨人だ。巨人はバスローブを脱ぎ捨てて裸になった。そして僕の両脇を持ち上げると、真正面から抱きしめた。僕は巨人の腕の中で震え続けた。脚ががくがくと震え、尿が脚を伝って床に滴った。しかし、それが頂点だった。震えは静まり、すすり泣きに変わった。やがて僕はゆっくりと顔を上げた。巨人が僕を降ろした。彼は再びバスローブを羽織ると扉から出て行った。
 〈精霊〉が指で何度も机を叩いていた。
「時間がない。今のは特別サービスだ」
 僕は椅子に座った。
「今のもスニッカーズの精霊?」
「冗談じゃない。奴はどう見たって人間だろう? 君には見分けがつかないのか?」
 僕は首を横に振った。
「あの男は〈安心〉だ。〈安心〉に抱きしめられて安心しない人間はいない」
「なるほど」
「話を戻そう。我々は旅立つ。君にはその準備をしてもらいたい」
「準備?」
「〈梱包〉だよ。君にはもう一度、規則正しくスニッカーズを並べ直してもらう必要がある。我々はそうして完全となる」
 僕はうなずいた。
「スニッカーズは僕の部屋を出た後、どこへ向かうんですか?」
「〈スニッカーズの島〉だよ!完全なる自由の島だ!賞味期限だって存在しない!」
 〈精霊〉はそう言って、指を鳴らした。
「後はよろしく頼むよ!」
 僕は布団の上で目覚めた。部屋にはまだたくさんのスニッカーズが残っていた。僕は慎重に身を起こした。スニッカーズの折れる音はしなかった。その朝、スニッカーズは届かなかった。僕は近くにあったスニッカーズを掴むと、それを部屋の隅に優しく押し当てた。

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