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刻まれて夏

ガーベラが枯れてしまったのでバラを買った。

「自分のチャームポイントを探してもタトゥーくらいしかないから入れてよかったと思ってる。」という様なつぶやきをツイッターで見かけた。それほど自分のタトゥーに愛情を持っていると知ったら、施術した彫り師も誇らしいだろう。

もしこの人が自分と同じ柄のタトゥーを、自分と同じ位置に、同じ彫り師に入れてもらった他人を見ても、変わらず自分のタトゥーをチャームポイントと慈しめるのだろうか。彫り師の感覚や気持ちやその時のコンディションに変化がある場合、それは同じ柄のタトゥーであっても別のタトゥーなのではないか。そもそも別人に入っていることでそのタトゥーは個体差のあるタトゥーになりうるのではないか。
なんだかクオリアだとか哲学的ゾンビの様な言い回しになってしまったけれど、誰かの芸術がその人のチャームポイントになることはちょっと珍しいことだと思ったので、そのつぶやきが印象に残っていた。

ロンドンにいるととにかくタトゥーを入れている人が多い。電車の中やカフェで、入れてない人の方が少ないのでは?という状況になる事も良くある。ついどんなものが彫ってあるのか気になって見てしまう。文字を入れている人が多い印象。腕や足全体的に入っている人はオールドスクールタトゥーが多い傾向で、夏は肌が露出するので二の腕やデコルテにタトゥーを入れている女性も多く見かける様になった。漢字を入れてる人もたまに見かける。年齢は様々。人種も様々。良い印象を持っている人ばかりではないとは思うが、タトゥーへの感覚は日本と大きく違う様だ。
ロンドンで知り合った人に「自分の人生の節目に入れているんだ」とタトゥーを見せてもらった事もあった。いろんな国で彫ってもらう人もいれば、毎回同じ彫り師さんにお願いして彫ってもらっている人もいた。
昔フランスのイベントでお世話になったエージェントの女性は、手首に肉球のタトゥーをしていた。「可愛いね」と言ったら、「これは死んでしまった私の犬の肉球だよ」と教えてくれた。

彫られた文字や絵に、人それぞれの想いや意味が込められている。
冒頭で言ったタトゥーがチャームポイントの人も、きっとそのタトゥーそのものだけではなく、入れた想いや意味も含めて自分の魅力と思えているんだろう。想いはコピーできない、唯一無二のその人の感情だ。
目立つ様に記されているのに、そこには目に見えないものが刻まれている。
刻まれて、その人の一部になっていく。

もう夏のピークは過ぎた。寒くなる一方。上着が欲しい。
タトゥーといえば「メメント」という映画をこの前見たけど、なかなか切なかった。

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