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安倍元首相狙撃事件の意味


この痛ましい事件から1週間が経過した。献花する方々は絶えない。人の死を悼むというのは、高度に文化的かつ、人として自然な行為である。だから今回、体面を重んじる大国の指導者(陣営に関わらず)と、そして、最も近い国の、むしろ一般人の近い私達の心の方が、自然に動いたのだと思う。

安倍元首相は、今振り返って考えてみると「天然」の人だったと思う。政治家の家系に生まれ、自分を失わず、自らの素朴な情熱を、そのまま実行できた、稀有な人だと思う。戦後日本の政治家として、一心に日本の為と、国際平和の為に務めた。その純粋さが、他国の政治家を心を打ったのだと思う。

同時に、文化的に似ているが故に、政治的には度々衝突して来た中国、韓国、台湾の東アジアの幅広い人々からも、哀悼の声が相次いだという。これも、安倍元首相の政治にかける一途な思いが、感覚的に伝わったからだと思う。自らの信条に一途な著名人の、突然の不慮に死に対する、心からの追悼。私は、1997年に事故で亡くなったダイアナ妃との類似を覚えてならない。

一方、今回の犯人である41才の男性について。彼は、特定の政治組織や軍事組織に属している者でない。3年の海軍(と私は敢えて言う)経験があるにしても、別に軍支給の銃を持っていた訳ではない。彼は、自分にとって最も重要な人物(母親)を不当に自分から奪った者への復讐を、彼の持ち得る限りの知識と環境下で周到に計画し、実行した。結果として、この国の為、世界の為、まだまだ尽くしてくれたであろう素晴らしい人が、亡くなった。

「このような痛ましい事件が二度と起きないために」すべきことは、彼のような不幸な境遇の者を作らないことである。それが、政治家や、同じ国に生きる私達の目標である。だが、このような論調にはなかなかならない。彼の憎悪した宗教団体は、長年日本で、そして今でも、力を持っている団体の一つだからである。彼以外にも犠牲者はたくさんいる。それは皆知っている。ただ、そんな団体は、まだ世界中に多く存在し、弱者から財を吸い上げ、強者へ積極的な働きかけを行い、身の保全と勢力拡大を続けている。

41才の男性は、殺人犯として正当に裁かれるべきである。そして私達は、安倍元首相が国内外にどのようなことを行ってきたかを、今一度振り返り、彼の遺志を、国として文化として継承できるよう、それぞれ、できる行動をすべきである。それでも、人は正しく生きなければならないのだから。

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