将来の夢は何ですか。幼稚園、小学校低学年で聞かれがちな質問。子供たちはキラキラした目で答えます。ケーキ屋さん、消防士さん、今ならYouTuberって答える子もいるのかな。さて、ここで大学生の皆さんに聞いてみましょう。おっと彼らの顔が少し曇りました。なかなか言葉が出てこない様子、しばしの沈黙です。「……とりあえず、教員っす。」
私は、小さい頃から夢がありました。明確に意識したのは小学5年生の時です。当時は周りに小説家になりたい子や、サッカー選手を目指す子が居ました。年を重ね、中高大と進学しました。するとどうでしょう。夢を持っている人がどんどんいなくなってきたのです。いったいいつから皆リアリストになったのでしょうか。
夢を持ち続けていることで、こういわれたことがあります。「ハルナはやりたいこと決まってるからいいよね、私は何にもできないしやりたいこともわからない。」かなり投げ捨てられた言葉でした。私はその子の口調で文句や妬みを言われたような気持ちでした。「あ、まだ目指してるんだ。まあ、頑張れ。」まだ、とか言っちゃうんだ。確かに宣言したのは中学生の時だったから、大学まで夢見すぎじゃんて思ったのかもしれないね。
こんなことがあって、一時期自分の夢を言うことが嫌でした。自分ならまだしも、何も知らない他人に夢を否定されたくなかったし、目線を変えてほしくなかったからです。
でも、私の周りにいたのは上記のような人ばかりではありませんでした。サークルが同じだっただけの子とご飯に行った時です。最初はたわいもない話をしていましたが、何かの拍子で将来の話になりました。すると、驚きました、彼女は夢の持ち主だったのです。そのあとはお互いの夢について夢中で話しました。充実した時間でした。深くふたりで話す時間がとれたからこそ、わかったことでした。
その後にもさまざまな人とご飯に行きましたが、正直、夢を持っている人は少ないです。だからこそ、何か未来を見つめている人に出会うと、話が盛り上がります。何かを目指している人は、輝いているし魅力的です。刺激を交換し合えるのも強みです。
一番夢を語り合ったのは、オーストラリア旅の時でした。一週間をメルボルンで共に過ごした仲間。私たちの班は男子三人女子二人でしたが、皆何か夢を持っていました。しっかり職業に定まっていなくても、興味ややりたいことがはっきりしていました。私たちはいつも五人でしゃべっていて、他の班が解散してもずっと、毎晩毎晩語り合いました。それぐらい皆考えていることがあって、しかも視点が違うから魅力的で自分の世界を可能性を夢見た時間でした。
実際に現地で働く方のお話を聞く機会もありました。その際に、日本でうまくいかなかったけど夢をあきらめず外国にきて夢を叶えた料理人の方がいました。その人の語る気持ち、苦労、悩みがなんだかわかるような気がして、簡単に共感するとかいう言葉では片づけたくないような、でも心にしみたその考えに思わず涙がでました。その想いを伝えたくて、講演後その方にお話に行きましたが、顔を合わせたときにはもう涙しか出てこなくて喋れないで泣き続けました。今まで夢を喋れなかった苦しさというのを溜め込んでいたのだと思います。
夢は今も持ち続けています。そして言うこともできます。発信することで新たに声をかけてくれる方がいることを知りました。確かに、皆が良い顔するわけじゃありません、あきれた笑いに心が傷ついたりイライラすることもあります。それでも、いいんです。私は、夢を追いかける人のほうを信じているからです。ともに頑張ろうと思えるからです。
最近は、あきれもせず感動もせず人に嫌われないような言い方で「すごいね!」という人が増えました。正直、私はこの言葉が好きではありません。「そうだったんだ、実は私もさ…」と夢を語ってくれる人に出会いたい、そう思っています。
私は夢信者です。夢を持っている人が好きです。追いかけている姿は何よりもかっこいいです。私もずっと夢を持ち続けていたい。たとえ形が変わっても、年齢を重ねても。
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