人生に、たまには毒を。
やらなきゃいけないことをやるために、わざわざこの寒い日に雨の中傘までさして外に出たのに、結局こうやってまた文章を書いていたりする。
なんとかこうにか生きたいあの子と、本当は死にたいあの人と。私の周りには生きることと死ぬことを背中に従えた人たちがいて。彼らの空気を私はいつも感じている。
そういう私は、もう死にたいも生きたいも特にないのかもしれない。私の中で生と死は相反するものでも、飛び越えるものでもなく、ただ滑らかに、とても滑らかに繋がってしまっている。
死ぬか、生きるか。
死んで、生きるか。
生きて、死ぬのか。
心配しないで、あなたにも平等に朝は来るから。
なんて、そんな言葉は死んでしまえ。
アールグレイの香りのするムースと、チョコレートの甘ったるいスポンジ。赤いストロベリーソースが毒々しい。食べられるものは食べられるときに食べたほうがいいよって誰かが言っていた、そういえば。
「かなこはできるよ」そんななんの根拠もない言葉の、その浮かんでいってしまいそうなほどの軽さに救われて、「俺が側にいるよ」そういう確かな重力に支えられた言葉の目の前で立ちすくむ。
絶望ですか。それは簡単でいいですね。
怒りですか。湧いてくるなら本望です。
笑顔ですか。それなら無料でお配りできます。
涙ですか。そんなものに意味があるとは思えません。
海の底に落ちて気づいたことは、やっぱり自分で登らないといけないってことで、そんなこと落ちる前から分かっていた。でも本当はわかっていなかったのかもしれないね。それは悔しくて、そして少し寂しいです。
「だって、強くなければ生きていけないじゃない、強くなければ、生きていたってしょうがないんだよ」
いつだったか、そう叫んだ幼い私は一体何をそんなに張り詰めていたんだろうか。強くなくたって、そして生きていてもしょうがなくたって、私は死ねないことに今では気づいてしまった。ごめんね、あの日の私。
私は死にません。
そしてどこにもいけません。
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