読書『幼年期の終わり』アーサー・C・クラーク著

読みたくて読めずにいた、クラークの『幼年期の終わり』(原題:CHILDHOOD'S END)。

ある日、圧倒的科学力を誇る宇宙人(=オーバーロード)が、地球を訪れ、「地球を管理する」と宣言。反抗を試みる者もいたが、技術的にも精神的にも相手が何枚も上手で、諦め、その支配を受け入れた。

一方、それからわずか100年余りでヒトの子供達に変化が訪れる。その進化は単なる「進化」ではなく「断絶」であった。要するに、親たち(=ホモ・サピエンス)は、子供たちの言葉や思考を共有することができなかったのだ。例えば、子供たちは空を自由に飛び回り、その気になれば月を回したり、地球を壊したりすることさえもできた。そして、その進化は、ヒトを統治した宇宙人(=オーバーロード)さえも遥かに凌駕する力だった。

その事象について、宇宙人はこう言った。

「人類は私たちを"主人"と見なしてきたことでしょう。しかし、それは間違いです。私たちは単なる保護者にすぎません。上から与えられた職務を実行しているだけなのです。困難なお産に立ち会う助産婦のようなものです。私たちは新しくて素晴らしいものの出産を手伝っている。ただ、私たち自身は子を産むことができない。」

つまり、ヒトより何枚も上手だった宇宙人は進化の袋小路に陥り、ヒトには真の「進化」の可能性があったので、そのお手伝い(助産)をしていたと。ここが、この物語の悲哀さが際立つ場面だ。最強の技術を有しながらも、途方もない将来性に恵まれたヒトの若者には、ただただお手伝いをするだけで、嫉妬することしかできないことを。子供を成長させる親の立場という見方もできるかもしれない。

ただ、その宇宙人も、なぜそんなに苦しいことをやり続けるのかという問いに対して、こう言った。

最後の最後まで諦めることはしない。絶望することなく、定められた運命を待つ。この先もオーバーマインドに仕え続けることだろう。それしか生き延びる術べはないのだから。だが、たとえ隷属の身であっても、己の魂を失うことだけは決してない。

これは、いまを生きる人類にもそのまま突き刺さる強力なメッセージではないか。生物は、この世にも生まれた瞬間から死へのカウントダウンがスタートする。そして、年をとればとるほど、運命に対して、抗うことなく見逃することが多くなってしまう。

でも、クラークはそんな態度を許さない。「老害」のような存在であっても、運命に抗い、自分自身は気高く命を燃やし続けながら、更なる進化を試みる若い種に対しては、嫉妬するのではなく、その才能のを殺すのではなく、暖かく手を差し伸べる度量を持つことを。

ヒトの本質、進化とは何ぞや、を教えてくれる、そんな一冊。