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#17 罠2

(ようやく……ようやくだわ)

 秘書と言う立場を利用して秘密裏にデータベースにアクセスし、セキュリティをかいくぐって入手した弊社の最後の機密情報フォルダ。
 それをコピーし、送信先のアドレスを「めくらましの為に設立したペーパーカンパニー」に指定しエンターキーを「タンッ」と勢いよく叩いた私は、自分のオフィスを見渡して背を伸ばした。
 A社の社員であることを隠して秘書として弊社に潜入すること数年、嫌味な秘書室長をやり過ごしながら人目の少ない離島勤務という地の利を生かし、古巣であるA社に機密情報を流し続けた。
 危険な立場に気の抜けない生活は苦労が多かったが、東京に帰ればA社創業以来の女性重役として迎えられることになっている。
 数年間過ごした高級ホテルのスイートルーム以上に設備の整ったこのオフィスとさよならするのが名残惜しくて、上等な白革のソファの背を撫でる。

「この部屋とお別れなんてさみしいけど、もっとゴージャスな執務室を用意してあの女狐と馬鹿社長を呼びつけてやるからいいわ」

 私がA社の重役として颯爽と登場し、馬鹿面を隠せない二人に優雅に促してやるのだ。

「『どうぞ、お掛けになったら?』 なーんてね」

 想像しながら演じてみて、近い未来で実現するだろうワンシーンにワクワクした。

「―――そろそろ時間ね」

 最後の情報を受信したら、A社のスタッフが私をこの離島から東京に連れ帰ってくれることになっている。
 時間を確認し、情報端末に送られてきた合流地点に向かうために席を立ち部屋を出る。
 ドアを開けたその瞬間、私の視界が「あっ」と言う間もなく暗転した。
 何がどうなったのかわからない、何か布のようなものに覆われ天地が逆転し、掛けられる怒号と恐怖と混乱の極致の最中、放り出されたのはどこかの床の上だった。

「ここは……?」

 投げ出された体の痛みをこらえながら床を這い顔を上げると、どこか牢獄じみた暗い室内で、私の正面で高々と足を組みながらこちらを見下しているのはあの女狐だった。

「し、しつちょう?! これは一体っ……」

 いつものニヤニヤ顔ではない、氷よりも温度のない冷たい表情の秘書室長に悪寒を感じながらいつもの部下としての顔を取り繕う。
 私を見下す女は優雅に腰掛けながら高々と足を振り上げ、傍らの丸椅子を私へ「ガンッ」と蹴りつけた。

「―――どうぞ、お掛けになったら?」

 目の前の床を転がる丸椅子に、ニタリと悪魔のように笑う女。

 ―――近い未来で実現するだろうワンシーン。
 
「私のオフィスが盗聴されていた可能性」に気づき、ゾッとしながら、私はなんとか言葉を振り絞った。

「これはどういう事ですか? こんな目に合う理由がわかりませんっ!」

 悪魔のような笑顔の女は私の言葉を一顧だにせず、書類を投げつけてきた。
 その書類たちは見るまでもなく、私がアクセスし続けていた機密情報だ。

「あなたが送っていた情報は一つもA社に届いていなかったって言ったら、信じる?」
「は……?」
「あなたがやり取りしていたのは、A社の担当者を偽装したうちの情報部員だったのよ」

 女が何を言っているか私にはわからなかった。

「あなたが入社を志望してきた時点で、あなたが『A社のスパイ』だなんてわかっていたの。あなたは私たちに泳がされていたってわけ」
「ぇ……なんで?」

 はっきり言って「他社のスパイ」を抱えるメリットはない。
 理解できない状況に動揺する私に、女はふっとあらぬ方を向いて笑い、口ずさんだ。

「『彼女は実力のある人だ。弊社の魅力を実感できたら、あちらを辞めてうちの子になってくれるかもしれないじゃないか』ですって……」

 その口癖には憶えがある。
 腕をとって引っ張りまわした、馬鹿みたいに人のいい社長の衒いのない笑顔や後姿を思い出し、なぜか目が潤んだ。

「あの人の期待に背いたあなたを、私は、一生、許さない」

 溢れ出る涙をそのままにして見上げた女の顔は、怒りに深く歪んでいた。

「大小を問わず企業を名乗る世界中のすべてのカンパニーに対し、弊社秘書室長である私の名前であなたを懲戒解雇に付したと警告文を発します。常識ある組織の人事担当ならそれが意味するところを理解して、あなたを雇用することはないでしょう。もちろん、A社もね」

 唇をかみしめ怨嗟を吐くがごとく一言一言投げつけられる。

「あなたが今生きていられるのは、あなたの言う「お馬鹿さん」のおかげよ。感謝なさい」

 女は腹立たし気にヒールを鳴らして牢獄を後にした。
 残された私には立ち上がる気力もなかった。