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離れ離れの金曜日

また、僕は1人電車に揺られている。
昨日の夜の事が頭から離れないでいる。
今日の僕は昨日の僕から記憶も受け継いだらしい。

久しぶりに日中離れ離れで過ごす。今までこれが普通だったのに、何だかとても新鮮な気がする。駅まで僕を運んでくれたタクシーの運転手さんは、彼女の小さな夢が叶った日に僕らを駅まで運んだタクシーと同じ人だった。

"おはよ。今日彼女は?"

覚えていてくれたらしい。駅までの道すがら今日オープンらしいトンカツ屋を通り過ぎた。

"今日オープンらしいね。彼女と行けば?"

『んー。行きたいのは山々だし、彼女も嫌いでは無いんですけどね。脂っこいもんちょっと苦手みたいで。』

"そうなんだ。彼女料理とかしてくれるの?"

『あ、はい。昨日もリゾットを。彼女の料理、美味しいんですよ!』

"いいじゃんお洒落。お休みは一緒?"

『んーん。バラバラなんです。仕事のスケジュール的に僕が家で待つ事の方が多いんですけどね。』

"えー!じゃあ作ってあげなよ!"

『キッチンは…不可侵領域なんです。彼女、私がやるからって僕には滅多に作らせてくれない。』

"ヤダ。なにそれめちゃくちゃ可愛いじゃない!"

そんな会話をしながら駅に着いた。気を付けて行っておいでねと母親の様に車から手を振ってくれる運転手さんに僕はほっこりしながらお礼を伝えてホームへ向かった。

車掌チラリズム

定刻通りについた電車は僕を飲み込んで都市部へとその車輪を滑らせる。彼女の影響で車掌さんをチラチラ見てしまう。今日の人も爽やかでいい声だ。

そう言えばこんな事に目を向けられるのも平和で幸せでありがたい事だ。彼女に新しい世界を見せているつもりが、その最中僕の方が見せられていたりする。彼女って偉大だ。本当に。

彼女と過ごすと平和で幸せな瞬間に高確率で遭遇する。くだらない物で言えば例えばピンセットで鼻毛を抜かれている時とか眉毛を整えられている時なんかがそうなんだけれど、僕のだらし無さが露呈されている気がするのでこの辺にしておく。

無神論者の有心論

殊更分解大好き人間の僕はこの世界の出来事を分解しまくって神を信じる事を辞めたと言うより、諦めたに近い感覚を持っているのだが、彼女信仰ボクラとしては神ではなく彼女を信仰しているので信仰心が無いわけではない事をここに説明しておく。

昨夜眠る前にふと感情の具現化について分解作業をした。彼女への想いを僕はどうやって表現しているだろう?と。それは言葉であり文字であり、サプライズでありプレゼントであり、息遣いや体温や心臓の鼓動である。ただ僕はどうもある種の唯物論的な思想を持ち合わせているらしく、"カタチアルモノ"についつい頼ってしまう。

これで良いのかも分からないし、かと言って間違っているとも思わないがなんとも釈然としないこの一人問答に痺れを切らして彼女へ素直に話した。

"間違ってないんじゃない?正解とか無いでしょ"

少し眠たそうな声で超弩級の正論をぶちかまされて何の弊害もなく納得してしまった。何にしてもそれに込めた心が伝わるかどうかが重要なのであって、手段など大した意味は無いのかもしれない。そもそも正解なんて有りもしないのだから分解も間違い探しも意味がない。それで安心した僕は吸い込まれる様に彼女を腕に抱いたまま眠りに落ちた。

今日も雲は白いし空は青い

何も変わら無いような佇まいで世界はいつでもそこにあって、だからこそ変わらない様な日々に思えている事も少しずつその姿形を変えて存在を維持している。同じ雲はないし、同じ青もない。少しずつ違っていて、それでも同じような知らん顔をして今日が訪れる。

今朝彼女を急かしたカーテンの隙間から漏れた朝日も、少し肌寒くて胸の奥が狭くなる様な夜も毎日訪れるが彼等だって一度も同じじゃ無い。

そんな少しずつの変化にも平和や幸せを彼女と見つけられたら良いと思う。欲を言えばその1日の終わりに鼻を擦り合わせてため息混じりのハグをさせて欲しい。


今日はここまで!
またいつか与太話を。
んじゃ、また!!

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