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世界の(未)公開映画

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東欧映画、ロシア映画以外の未公開映画についてまとめています。最近は公開された作品も掲載しています。全ての記事をどこかに帰属させてあげたいという親心です。見逃してください。
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2022年4月の記事一覧

アンナ・カリーナ『Vivre ensemble』共に生きるということ

アンナ・カリーナの長編デビュー作。既婚の堅物歴史教師アランが自由奔放な若い女ジュリーと出会って、二人でヒッピーみたいな生活を始める…みたいな話。アンナ・カリーナの生涯にも出演作品にも詳しいわけじゃないが、初期ゴダール作品や(参考になるかは果てしなく微妙だが)ゴダール時代の裏話的な『グッバイ・ゴダール!』を観る限り、カリーナは右も左も分からないまま映画界に入って、"アイドル"或いは"ミューズ"などの役を押し付けられてきた感があり、本作品の等身大で傷付きやすいジュリーの存在はアン

フレッド・ケレメン『Fate』現実と地獄との距離はあまりにも短い

主に近年のタル・ベーラ作品における撮影監督として有名なフレッド・ケレメンの監督二作目で、『Frost』『Nightfall』へと連なる三部作の第一章。夜の街を歩くロシア人移民アコーディオン弾きの人生最悪の日と題せばいいのか、地獄のような画質の悪い映像の中で、台詞少なに転落していく男とそれに巻き込まれた女の姿をねっとりと克明に描写している。タル・ベーラに比べると暴力やセックスといったむき出しの過激描写が先鋭化しており、1994年のドイツという土地の、様々な背景を持つ人々が醸造す

シャンタル・アケルマン『私、あなた、彼、彼女』私とあなた、彼と彼女

大傑作。シャンタル・アケルマンの初長編。監督本人が演じる主人公が、恋人と別れた日から綴った日記のような一作。別れて間もない頃は狭い部屋の模様替えとしてマットレスを部屋の様々な場所に置いて寝転がる→手紙を何度も書いて床に並べる→遂には服も着ずに食事は砂糖をそのままスプーンで口に突っ込むだけという生活まで削られていく。この"スプーンで砂糖を掬って口に運び続ける"長回しは『A GHOST STORY』のパイ食い長回しの元ネタだろう。第二幕以降は家の外へ飛び出し、"彼"に相当するトラ

ラヴ・ディアス『Naked Under the Moon』月光は破滅をもたらす

ラヴ・ディアス長編三作目。ピトピト方式で製作された最後の作品。事業に失敗した元神父の一家が田舎にある実家に戻ってくる冒頭は、ラヴ・ディアスらしからぬ青空と砂道のコントラストが良い。元神父の父親ラウロは実家に帰っても仕事が不安定で、地元の金持ちの知り合いに助けられているが、この男は実は妻クララの不倫相手でもあった。また、長女レルマは夢遊病が再発してしまう(英題"月下の裸体"とは全裸で深夜の森を夢遊病で徘徊する彼女のことを指している)。久々に会った幼馴染とレルマの関係は発展してい

ラヴ・ディアス『Burger Boy's』銀行強盗のカオスすぎるその後

ラヴ・ディアス長編二作目(本当は一作目→後述)。フィリピンには"ピトピト"方式という、200万ペソという低予算、7日間という短期間でポストプロダクションまで終えて映画を完成させるという映画製作メソッドがある。少なくとも70年代には存在していたようで、監督としてはエディ・ロメロが、プロデューサーとしては"ピトピト映画の女王"とも呼ばれるリリー・モンテヴェルデが数多くの作品を世に放ち続けたことで、80年代に死にかけたフィリピン映画界を救ったのだった(今ではまた別の方式となる所謂イ

ラヴ・ディアス『Serafin Geronimo: The Criminal of Barrio Concepcion』全てはここから始まった

ラヴ・ディアスの長編デビュー作。エンジェルという名のジャーナリストが暗殺された。彼女の後輩で親友だったエルヴィラは、ジャーナリスト暗殺事件のほとんどが未解決のまま放置されていることについて、葬儀場に来た国会議員を問い詰めるが、大きな成果は得られない。そこで何か物言いたげなセラフィンという男と出会う。彼はエンジェルが死の直前まで担当していた未解決の誘拐事件について、情報提供をしようと田舎からマニラまでやって来たのだ。エルヴィラはエンジェルの後を引き継いで、関係者全員死亡で幕を下

アドルフォ・アリエッタ『炎』幻想の消防士に恋して

人生ベスト。少女バルバラは真夜中に窓辺に立つ消防士の男を幻視する。時が経ってもその幻想は彼女を捉えて離さない。バルバラは学校にも行かずに部屋にこもり、コラージュと称して消防士の"王子様"を夢想する。本作品の特徴はまず背景の奥行きがないことだろう。窓は開いていても奥は真っ暗で何も見えず、鏡ですら手前の人物しか映さず、角に置かれた椅子と壁紙のせいで直行した壁すら平坦に見えてくる。まるで、そこが世界の端であるかのような不穏さ。家の外にも一応出るが、庭と消防署前も周囲だけでマップが終

ニナ・メンケス『The Great Sadness of Zohara』孤独なゾハラの精神旅行

『Magdalena Viraga』『Queen of Diamonds』『The Bloody Child』へと続く緩い四部作の第一篇。本作品はエルサレムの正統派ユダヤ人コミュニティから疎外されている若い女性ゾハラを描く中編である。映画は『Queen of Diamonds』のように彼女の何気ない日常を追いかけるが、彼女の存在は奇妙にも無視されたように漂い続けている。ナレーションはゾハラの思考を導くように、彼女の声と同じセリフを吐き、遂には思考も奪い取る。ヨーロッパ系ユダヤ