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世界の(未)公開映画

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東欧映画、ロシア映画以外の未公開映画についてまとめています。最近は公開された作品も掲載しています。全ての記事をどこかに帰属させてあげたいという親心です。見逃してください。
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2020年3月の記事一覧

ルイス・ガルシア・ベルランガ『死刑執行人』葬儀屋も処刑人はお嫌い

物語は処刑場の朝から始まる。不味そうな朝ご飯をだだっ広い車庫のような待合室で食べる看守、棺を持ち込む葬儀屋。すると、奥の扉から背広の男たちが出てきて、最後に小柄な老人が登場する。彼こそが題名となっている"処刑人"なのだ。葬儀屋の青年はこの処刑人について"とてもそうは見えない"としつつ、不気味な職業の老人に関わるのには否定的だった。彼の魅力的な娘と出会うまでは。"3B1S"と呼ばれ戦後スペインを代表する監督の一人であるルイス・ガルシア・ベルランガの作品群の中で本作品は、クライテ

ガイ・マディン『世界で一番悲しい音楽』悲しみは幸せの裏側に過ぎない

マシュー・ランキンも恐らくアンビバレントな感情を抱いているであろうカナダの偉大なる実験作家ガイ・マディン御大の長編六作目。キャリア唯一のミュージカル長編である本作品は、彼の作品の中では一番ポップで、一番豪華で、一番露骨な作品と言えるだろう。主演はその後の映画でも何度か起用することになるイザベラ・ロッセリーニであり、その父ロベルト・ロッセリーニの作品を参考にしながらマディンと二人で映画を作っていった。そして、マディンと共同脚本家ジョージ・トールズは、基本的なプロットをカズオ・イ

マニ・カウル『The Cloud Door』オウムが繋ぐ一つの悲恋

1995年1月、ムンバイで開催されたインド国際映画祭の会場は騒然としていた。マニ・カウル初の官能作品が出品されたからだ。インドには文学や絵画など多くの官能芸術の歴史があるものの、やはり裸体が上映されるとなって警察が出動するほどの騒ぎになったようだ。上映も一度しか許可されなかった。そもそもの企画はドイツ人プロデューサーのレジーナ・ツィーグラーが持ち込んだ"Erotic Tales"なる短編集の企画であり、スーザン・シーデルマン『マリッジブルーの愉しみ (The Dutch Ma

ガイ・マディン『ドラキュラ 乙女の日記より』最も奇天烈な企画をアヴァンギャルドに昇華

ガイ・マディンが怪奇映画を作った。しかも、ロイヤル・ウィニペグ・バレエ団の上演を記録してほしいというテレビ局の依頼で。マディンの生涯のうち現時点で最も奇天烈な企画であり、勿論彼は本気で向き合った。その結果生まれたのが本作品である。サイレント映画のサンプリングは、そもそも原典があるという特異な状況に直面して変質し、トッド・ブラウニング誰それ美味しいのとでも言いたげな、しかしながら尊敬の念を感じる不思議な作品が爆誕したのだ。   物語をバレエ用にアレンジするなんてことをマディン

マニ・カウル『ある日のロティ(Our Daily Bread)』このパンを届けるために

ネオリアリズモに端を発するインドのニューウェーブ"パラレル・シネマ"はヌーヴェルバーグよりも先に起源があるらしく、サタジット・レイを筆頭にリトウィク・ガタク、ビマル・ロイ、ムリナル・セン、グル・ダットなど多くの監督を世に送り出した。同時に、インド映画は黄金時代を迎え、40年代後半から60年代の前半までに掛けて世界中の映画祭で上映される作品を次々と放っていった。1970年代に入ると運動は西ベンガル地域から西部まで拡大していく。リトウィク・ガタクの教え子だったマニ・カウルはここに

ジョナサン・カプラン『大阪殴り込み作戦』トーキョー脱走作戦

ここまで距離感がぶっ飛んだ映画も珍しい。東京・大阪・ロサンゼルスが山手線の内側にあるくらいの感覚で、東京にいた男が次のカットでカリフォルニアにいたり、東京と大阪を一夜で往来したりするのだから。しかも、真顔で(そりゃそうか)。物語としては、歌手に応募したつもりでウキウキで日本に行ったアメリカ人女性が、実はヤクザの売春ビジネスに巻き込まれていたという、ロシアの結婚ビジネス的な作品。『初体験/リッジモント・ハイ』の翌年にジェニファー・ジェイソン・リーがはち切れんばかりの笑顔を見せる