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私がポケモンと

母校の中学校に教育実習のために行った時に自己紹介でこういった。

「カービィよりも歳下で、ピカチュウよりも歳上です」

そんな世代の人間は、もうほとんどポケモンと一緒に大きくなったようなものだ。

物心ついたときから、ポケモンはすぐ身近にあった。幼稚園の送迎バスの中もポケモンの話題でいっぱいだった。

姉は誕生日にピチュー1/1ぬいぐるみをもらった。ろうそくの火で耳が焦げた。4歳で引っ越すとき、友達にもらったのはポケモンカードだった(わるいブースター ひあそび)

毎週ポケモンのアニメを見るのが楽しみだった。とはいえ、あまり記憶には残っていない。覚えているのは、ビデオテープに録画して何度も繰り返し見た回くらいだ。

だましうちするヒメグマの回、ニャースが人の言葉を覚える回、ポケモントレーナーではなく、ポケモンカメラマンのトオルが登場する回(随分と後になって彼が『ポケモンスナップ』の主人公であることを知った)、ポケモン検定試験の回(『上から見たプリン』はもはや伝説だ)、そして、ポリゴンショックで中止されていた放送が再開された『ピカチュウの森』。

けれど、ゲームは禁止だった。私たちは代わりになるものを求めた。ポケットピカチュウは私のもので、ポケットピカチュウカラーは姉のものだ。まぁ、わりと飽きっぽいたちだったから、ピカチュウとの仲はあまり進展しなかった。

転機が訪れたのは、それからどれくらい後だったか。母が弟に『ポケットモンスター ピカチュウ』を買ってきた。ゲームボーイアドバンスともう1本、『遊戯王 三聖戦神降臨(スリーホーリーゴッドアドバント)』と一緒に。未就学児で家でひとり留守番する弟が、寂しさから当時保険代理店に勤めていた母に勤務時間中に電話をかけたのがきっかけだった。

弟が買ってもらったのだが、私がやらないわけがなかった。時代遅れとはいえ憧れのポケモンだ。通信機能は使えなかったから図鑑が埋まりはしなかったが、それ以外は全部やった。

いくらか後に、父が買ってくれたのがエメラルドだ。これは兄弟3人のものだった。だから、主人公の名前は3人の名前をとって「りゅうま」になった。殿堂入りまでは姉が可愛いと言ったポケモンを、キノガッサとマイナンを使った。あとはラグラージ、マリルリ、チルタリス。それから誰だったろう。ハリテヤマあたりだったのではなかろうか。

あまり多くはないが、友人と集まって通信をしたこともある。レコードを混ぜて友人の秘密基地を招いた。ちゃおに書いてあった「ラティオスとラティアスは卵を産む」という裏技を試すために借りたラティアスは、借りっぱなしになっている。ルカリオの映画のときに、4匹のミュウを引き換えたのもこのエメラルドだ。

DSのロンチにはポケモンダッシュを買ってもらった。父に。ピカチュウを主人公にした、スクラッチするだけピカチュウが走るという一風変わったレースゲームだ。画面が傷だらけになるまでやった。

それから不思議のダンジョン青の救助隊。コロコロコミックの懸賞で、ゲームボーイミクロと赤の救助隊が当たる銀剥がしがあったのでそれに応募したのだけれど、結局ハズレてお小遣いで買ったのだっけ。

次の世代はダイヤモンド・パールなのだけれど、私は買いそびれてしまった。ちょうど小学校高学年、視力検査の結果もごまかし切れなくなっていた。私は眼鏡をかけたくなかった。ダイヤモンド・パール用に貯めていた私の貯金は、母が買ってきたよくわからないブルーベリーのサプリに消えた。ちなみにその後視力は順調に落ちて、今では立派に眼鏡である。

懲りずに自力で買い続け、ソウルシルバーにホワイト。ちょうどホワイトの時期には、高校で通信対戦が流行した。同時期に遊戯王も流行っていたり。私もガチとは到底言えないものの、タイプ統一パーティを作って対戦したりしていた。

そんなタイミングで母から弟にげきりんが。中学校に入ってから、夏休みも冬休みも宿題を提出しなかった咎で、ゲーム一式全てを両親の寝室に没収された。いや、なぜ俺まで巻き添えに?連帯責任。

3月、もう今を逃せばクラスで対戦をするようなことはないだろうと、土下座する勢いで頼み込み、私にゲームを返してもらうことになった。けれど、寝室のクローゼットにはDSiはなかった。弟のバッグから出てきた。1月に配布されたダークライがいた。

その後、BWで対戦したかは定かではない。3月の一ヶ月でいいから返してくれと言ったためか、それ以降ゲームへの関心は落ちていった。

XYは弟がX、私がYを買った。シナリオクリアまではプレイした。

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オメガルビーは弟が買った。私は買わなかった。伝説のポケモンを厳選するためのとくせい:シンクロのポケモンを用意している弟を見て、それだけで食傷だったのかもしれない。

以降、ポケモン本編は買っていない。ポケモン不思議のダンジョンは、超と救助隊DXを買ったけどね。

たぶん離れた後もポケモンは私の人生の大切な部分にあるのだろうと思いながら、私は父のゲームの終わりを少しだけ思い出している。



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