小判鮫論-最終回

冷静に振り返るととても恥ずかしく壮絶な時間だった

私自身のことは、
きっと取り返すことができないのだと思う。
手続きの時間や労力、
そして弁護士に依頼するとしてもその費用
色々と考えると、力も湧いてこないし、諦めるしかない。

自分が大馬鹿だったと、
これからの余生の中で猛省し、
生きていくしかない。
そしてなんとかもう一度自分を取り戻したい。

自己中心的な共同生活

それにしても今思えば壮絶な共同生活だった。

私の交通事故の後、
私一人での生活が覚束なかったことで、
彼女の家に居候することとなった。
そのことは本当に感謝している。

別に申し込みをしている大きな物件に入居するまでの間
とは言え、

彼女の家は、母、息子2名、本人の4人家族。
古い2SSLDKのお家にひしめき合う様に4人が住んでいた。

そこに私が参入したわけだから
私の居場所は、当然ない。
寝るのも床またはソファ。
気は使われているようではあるが、
何も具体的な改善を誰も促さない。

彼女の心の中は、最後までわからないままであったが、
一つ言えることは、
過去からずーっと、
「お金に追われた生活」を続けてきていたんだ。

お金と心に余裕がないのだから
実質的に家計を支えている私に対して、
リスペクトがないことは必然的な流れである。
この段階で、目を覚まして行動をとるべきだった。

どう生きるか

世の中には素晴らしい人もたくさんいる。
しかし、全ての人が正しく優しく
自分のことを考えてくれていると思って
生きて行ってはいけない。

そういう意味では、
少し寂しくもあるが、
人を疑ってかからないといけない。
適度な距離をとって適度な接し方で、
可もなく不可もなく、
良いところだけで接していられる関係作りが良い。

私はもう一度ゼロからやり直すけれど、
必ず復活して見せる。





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