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商業BLの初連載を終えて

こんにちは、国原です。
商業BLにおける初めての連載作「ストリッパーの淫らな悪戯」が、3/27㈮から配信されている13話をもって無事終わりを迎えました。ここまで描かせていただけたのは、ひとえに担当編集さま、読んでくださった皆さま始め、支えてくださった全ての皆さまのお陰です。心から感謝を申し上げます。
「ストリッパーの…」を通して、自分の生み出したキャラクターを受け入れ愛してくださる方が自分以外にも居てくれる心強さ・嬉しさというのを、改めて強く実感しました。お心を寄せてくださった皆さま、最後まで見届けてくださった皆さま、本当にありがとうございます。

最終話を描き終えてからというもの、少し心に穴が空いたような心もとない気持ちで日々を過ごしていました。無事配信を迎えたいま、改めて寂しさを噛みしめています。後半はTLのコミカライズ作業とも重なってほぼ隔月配信となっていましたが、2018年11月から2020年3月までの1年4か月(作業開始から数えると1年半以上)、「ストリッパーの淫らな悪戯」に関われた時間は、とても大変だった記憶も多いながら、色々な経験をさせてくれた大切な時間となりました。
だからこそ、寂しい。めちゃくちゃ寂しいです。過去こんなにお話を描いたオリジナルキャラクターはいなかったので、真志と薫にはこれまでのオリキャラに比べてもかなり愛着があります。細かいことをちょこちょこと振り返っては感慨にふけったりして。明日嫁ぐ娘の幼いころの写真を見返しながら縁側で少し涙ぐむ親の気分です(秋桜)
お話は紡ぎ終わっても、どこかで2人は幸せに暮らしている。そんな風に思っていただけたら、わたしにとってこれ以上の幸いはありません。
2人や周囲のキャラクターの小ネタがぼんやりと存在しているので、時間と気力体力が許す範囲で、同人誌とかでいつか描けたらいいなと思っています。(元々の気力体力が少なめなのでアレですが)

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さて、昨年9月ちるちるさんのインタビューの最後のほうで述べさせていただいているように、わたしが漫画を生業にしていることが不思議で、ましてやコミカライズでも原作付きでもなくオリジナルで連載させてもらえたなんて、今でも信じがたい気持ちでいます(多分一生言い続ける)
オリジナルでの初めての連載が無事終わったということで、これまでのことをなんとなくnoteに記してみます。他愛もない自分語りです。昔のことも回想しています。文章構成とかよく分かっておらず基本的に面白みもありませんが、もしお気が向かれましたらお付き合いいただければ幸いです。

TLのコミカライズも合わせるとある程度の量の漫画を描いているはずなのに、自分が漫画を仕事にしていることが未だに信じられない理由。大小ありますが、大きなものとしては二つ。一つ目は「話を考える力が圧倒的に不足していること」、その次が「それが原因で一度筆を折っており、漫画に対して苦手意識が強いこと」です。

一つ目の理由について。
実はわたしには「こんな漫画が、こんな話が描きたい」という強い欲求があまりありません。一つ一つのジャンルやカテゴリに関して好みや興味はあるものの、具体的な内容になると何一つ出てこず、描き始めるに至りません。
例えば「この崖を登ってみたいな」と思っても、自分では手や足を掛けられるようなところを見つけることができず、ただ「いい崖だなー」と見上げるだけ。登っている人を見て「なんであんな風に登れるんだろう」と憧れは抱くものの、実際に手をかけられそうな場所が見つからない。「あ、かけられそう」と思っても力を込めた瞬間に崩れたり、手をかけたはいいものの次の足場が見つからなかったり、自力ではほとんど地面から離れられません。インストラクター(担当編集さん)から「この出っ張りが掴めそうですよ」「こっちを経由してあの窪みに足をかけるのはどうでしょう」といった助言を頂いてはじめて登れるようになる。
しかし、助言を頂きながら登り進めているうちに自分で進みたい方向が出てくることも往々にしてあり、助言に対して「そっちじゃなくて、こっちから行きたいです」と言い出したりすることも。助言を必要とする割に誘導に従わないこともあるという、編集さんにとってはかなり面倒くさい描き手だと思います。だからこそ、お付き合いいただけている編集さんには感謝しかありません。ありがとうございます!!(五体投地クソデカ声)
(コミカライズは「原作」という乗り物に乗せてもらって崖を上がっているイメージで、そちらはそちらでオリジナルとは違う苦労があります)

二つ目の理由について。
大学生の頃、軽い気持ちで描いた漫画が運よく賞を頂いたことから、セミプロのような感じで漫画の仕事をしていたことがあります。しかし、楽しかったのは受賞後の数作まで。考えれば考えるほど話が出てこなくなり、「描きたくないのに描かなければならない」という状況が続く中で自分で自分を追い詰め、その結果「描くこと」自体が嫌になってしまいました。漫画家を目指していたはずなのに、色々と考えも甘かったんですよね( ˘ω˘ )スン…
「わたしには『描きたい話』も『話を考える力』も無いのに、ただ『絵を描くことが好き』というだけで漠然と『漫画家になりたい』と思っていただけなんだ」と強く自覚したのはその時です。それからしばらくは筆記用具を見るのも嫌で、描くことからは完全に離れて過ごしました。
そうして過ごすうちにふと「また絵が描きたい」と思えたので、そこから少しずつ「描きたい時に描きたいものだけを描く」ことを始めました。そして「好きなことを仕事にするのは難しい」「一生趣味で楽しく描いていけたらそれでいい」と実感し、納得していきました。

どうしてまた「描くことを仕事に」と考えられるようになったのか。
のんびりと「描くこと」を楽しんでいたとき、わたしが挿絵や表紙を描かせてもらった友人の二次同人誌を読んだある人から、「自分のイメージと違うことが多いので挿絵のある小説は苦手だけど、あなたの挿絵は文章との違和感が無いので良い」というようなことを言ってもらえたことがありました。その方にとっては何気ない一言だったかもしれません。わたしにとっては今でも思い出すほど嬉しい言葉であり、のちに商業での挿絵のお仕事依頼を引き受ける後押しにもなった言葉です。挿絵の作業は趣味でも仕事でもとても楽しくて、「仕事で描いてるのに辛くない」「わたしは漫画よりも挿絵のほうが向いているのかもしれない」と思えました。このとき感じた心の晴れやかさは、今でも初心に返るたびに思い出す大事な気持ちです。挿絵の仕事をさせていただきながら「漫画家でなくても、絵を生かす道はあるんだ」と、僅かずつ「描くことを仕事にすること」に対する自信をつけさせていただきました。(まだまだ全体的に未熟な部分は多いですが、それはまた別の課題として)
今でも、挿絵の作業は大好きです。文章を読んで、汲み取ったイメージを紙に起こす。その作業がとても刺激的でとても楽しい。イメージ通りに起こせないこともあったり、文章の魅力を表現しきれないこともよくあるので苦心も多いですが、それすらも楽しいと思えます。

話を少し戻して。挿絵のお仕事を持ってきてくださった編集さんとの相性が良かった(とわたしは思っている)のも幸運でした。あくまでわたし個人の考えですが、どんな職でも、「仕事を頑張れるかどうか」は「仕事の内容」以上に「一緒に仕事をする人」が鍵ではないかと思っています。相性が悪ければどんなに簡単な仕事でも効率が悪くなったりモチベーションが保てなかったりし易くなるのに対し、相性が良ければどんなに大変な仕事でも前向きにやり切ろうと思える。
「執筆条件がよければ他は気にならない」「このレーベルで描きたい」等、どこにモチベーションを置くかは人それぞれです。もちろん人として生きていくために「執筆条件」ってものすごく大事なので、それは第一に考えたいところですが、同じような執筆条件が並んだときにどちらを選ぶかとなったら、わたしは「担当編集さんとの相性」を考えます。(一言で「相性」と言っても判断要因は大小様々で、直感的なところもあったりします)
前述の編集さんとは今でもお付き合いさせていただいていますが、様々なご対応に関してとても信頼させていただいています。「この方となら頑張れる」、そう思える方です。

そんなこんなで(雑)、各社の担当編集さんのご助力のもとで「コミカライズなら描けるかも…」「読み切りなら描けるかも…」と少しずつ漫画にも携わらせていただき、様々なご縁を経てcaramel編集部の担当編集さんとのご縁も繋がり、「ストリッパーの…」を世に送り出すことができました。「オリジナル作品の連載と完結」を経験させていただいたことで、いま初めて「大きな崖を登り切ることができた」と感じています。

これだけ描き手が溢れる中で、わたしと仕事をしてくださる編集さんたちのありがたさ。これだけ作品が溢れる中で、わたしが描いたものを選んでくださる方のありがたさ。このことを忘れず、望んでいただける限り、「描きたい」と思える限り、これからも色々な崖に挑戦していきたいと思っています。こう思えるのも、信頼できる編集さんたちが居てくださるからこそ。応援してくださる方が居てくださるからこそ。

心から、ありがとうございます。
お心に触れるものが描けたときには、またお気にかけていただけたら幸いです。

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