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ZUZU, AND YOUNG

二年程前からズズとヤングの作品を発表していますが、作り始めた成り行きを書きのこそうと思います。


まず、私は三年程前まではなんとなく相聞歌(恋愛的な内容の短歌)で言う「君」とは頭の中の理想のような存在のことだと思っていましたが、
あるとき散歩中にその正体について考えていたらそれは自分自身なのだと思い至りました。


こういうモチーフの作品等色々ありますし、いまさら言葉にするのも野暮という感じですが、、思い至ったそのときは新鮮で何かひらけたような感じがして嬉しかったです。


そして同じ頃にヘッセの『デミアン』を読みました。
文章を読めない・書けないという時期が半年程続いていて、一日20ページくらいずつ、トレーニングのような感じで読んだのがそれでした。


そうしたら頭の中の人とは自分自身のことだという、そのことが書いてありました。


街で一目惚れした人の絵を描いたけど全然似なくて、何枚も描いたら自分に影響を与える友であるデミアンの顔になった。
その絵をよくわからなくなるぐらい眺めていたら、それはデミアンというより自分自身だという気がしてきた。
もっと言うと自分自身の運命の顔だった、と。


手元に本がなく正確な引用ができなくて本当にすみませんが、こんなような内容と記憶しています。
新潮文庫の旧字体のふるい本でした。


読んだとき、なんで自分の思っていたことが書いてあるんだ?と、ちょっと恥ずかしいですが文学青年のように感動しました。
ひとりだけで思っていたことが書いてあったことにとても力づけられ、やっぱりこういうのがあるんだ、こういうのを表現したいと思いました。


そこへまた変化が重なりました。
それまで私は映画などのストーリーを読み取る能力がほぼ無く、センスのようなところにしか興味を向けられなかったのですが
成長して少し人のことを想像できるようになったからなのかストーリーがわかるようになりました!


みんなこれのことを良いって言っていたのか!と、嬉しくなりいろいろなストーリーを摂取しました。
そして以前から持っていたボーイズラブの漫画作品を読み返しました。


前よりもどこをおもしろがればいいのかわかるというか、手応えがあって、読むのがすごく楽しかったです。
新しい作品も追加して読みました。


その頃の私が持っていた先入観というか解釈として、ボーイズラブとは自分を二つに分けてもう一度くっつけ直すものというのがありました。
(あくまでも私の個人的な思い込みであり、発明のように発表するわけではないので、よろしくお願いいたします)


・現実の自分と『デミアン』に出てきたような運命の自分
・何も考えずに読んだり書いたりできた頃の自分とできなくなってからの自分


キャラクターにこのように二つに分けた自分自身を投影しながら読むと、結ばれたときにものすごく癒されました。


私もストーリーを作ってみたいなー
自分を二人に分けてオリジナルのボーイズラブを描いたらきっと治療のような効果があるんだろうなー


そんなことをふわふわ思っていたのが、散歩中に「ズズとヤング」の名前を思い付き、形を持って、二人の存在がうまれました。

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