有名人および映画やドラマ等を取り巻くオタク文化(nmmn・hnnm)についてのあれこれ

0.はじめに

昨今、色々話題になりがちなnmmn/hnnmを巡る問題について個人的見解をつらつらと纏めてみました。尚、記事を纏めるにあたり各所の意見や記述を参考にさせて頂いている部分もあります。

※諸注意

あくまで個人の意見のひとつです。各個人の言動を強制する意図も効力もなく、特定の誰かを批判・糾弾するための内容ではないことを念頭にお読みください。

1.nmmn、hnnmという言葉について

そもそも言葉の意味を知らない層もいらっしゃると思うので、この記事における言葉の定義付けを先に行わせて頂きます。

nmmn(ナマモノ)
実在する人物を題材に妄想や二次創作をすること、またそれを表現した作品の総称

実在する人物にはメディアで見かける各種著名人(役者、歌手、声優、タレント、芸人、You Tuber、ネットアイドルなど)があげられます。主に恋愛に関連した妄想・二次創作の内容を指すことが多いですが、それに限らず実在する人物の私生活に関連した妄想・二次創作全般を含みます。また、妄想・二次創作の内容には異性愛、同性愛関係なく全ての性的嗜好が含まれます。
個人的な考えとして生(きてる人間を題材に妄想している)物として語源を認識しております。

hnnm(半ナマ)
実写のドラマや映画、舞台、特撮などといった視覚媒体作品を通して役者が演じるキャラクターを題材に妄想や二次創作をすること、またそれを表現した作品の総称。

nmmnはご本人、hnnmはご本人が演じているキャラクターとして認識して頂くのが一番分かりやすいと思います。
こちらも主に恋愛に関連した妄想・二次創作の内容を指すことが多いですが、それに限らずキャラクターに関する妄想・二次創作全般を含みます。また、妄想・二次創作の内容には異性愛、同性愛関係なく全ての性的嗜好が含まれます。
個人的な考えとして半(分は架空のキャラだが、)生(きてる人間が演じた役を題材に妄想している物) として語源を認識しております。

上記を、当記事における定義付けとし話を進めていきます。

2.隠れるのはマナーかルールか

nmmn・hnnmを扱う界隈において、「nmmn、hnnmは隠すもの」という意見を見かけます。ですが、nmnn・hnnmという言葉を知っている人の中でもその認識にはバラ付きがある現状や、そもそもnmnn・hnnm界隈にあまり詳しくない層との認識の差異によって、「隠れるべきか否か。そもそも隠れる基準はどこなのか。」という議題については今日までに度々物議を醸し出してきました。何故隠れなければいけないのか。その理由をお話する前に皆さんはマナーとルールの違いをどの様に認識していますか?ルールは守らないと罰がある、マナーは気遣い。人によって認識は違うと思いますが、一般的には多くの人がこの様に答えると思います。私はここにもう一つモラルという言葉を追加して、違いに触れさせて頂きますね。

モラルとは「常識」
つまり「他人を含めた”社会”に配慮する気持ち」だと考えます。モラルを持つことによって、色々なルールが生まれてきます。

ルールとは「規則」
つまり「個人的、あるいは一般的な常識を守ろうとするために決めた取り決め」のこと。

マナーとは「礼節」
つまり「モラルとルールを踏まえ、自発的に他人に配慮する”気遣いの程度”」を示していると考えます。

上記を踏まえ、nmnn・hnnmは隠すものという認識はnmnn・hnnmを扱う界隈に身を置く人にとっては必要不可欠なマナーになっていると私は考えます。

3.マナーの必要性

前項でnmnn・hnnmは隠すのがマナーだと私は説明させて頂きました。それは何故か。マナーを守らないことで嫌な思い、不快な思いをする方々が出てくる可能性があるからです。一般的な漫画やアニメ、ゲームの二次創作とは違い、nmnn・hnnmは本人と役柄という違いはありますが、どちらも生身の人間が介在する内容になっています。そもそも本来、二次創作という文化自体が著作権法に触れるグレーゾーンの娯楽であり、公式からお目溢しを貰って活動を黙認してもらっているものです。加えて、生身の人間には必ず感情が存在します。それは創作している側だけでなくnmnn・hnnmの対象となる本人にも言えることです。故にnmnn・hnnmは二次創作の中でも特にデリケートに扱わなければいけないジャンルだと私は認識しています。

二次創作を見たり、二次創作を行う楽しみは同じオタクとしてとてもよく分かります。作り手であれば自分の作品を同じ趣味の人に見てもらいたい。あるいは誰かにこの楽しさを共感してもらいたい。そういった気持ちが出てくるのは自然のものでしょう。本来、個人の思考や表現を規制する権限は誰も持ち合わせていません。ですが、「好きにしてもいい」と「何をしてもいい」では言葉のニュアンスが変わってきますよね。
「好きにしてもいい」とは、決められたルールの中で、自分の常識内で思うようにやること。つまりは秩序の元の「自由」です。
「何をしてもいい」とは、ルールも常識もなく、自分のやりたいようにやること、つまりは「無法」です。
自由と無法は紙一重であり、それを左右するのは個々の他人に配慮する気持ちだと私は思っています。その配慮する気持ちが形になったものをマナーと呼ぶのではないでしょうか。

4.hnnmの範囲(2.5次元やVtuberにも適用すべきか)

nmmn・hnnmを巡る議論の中で、とりわけhnnmに関しては色々な意見が散見している様に感じています。hnnmで一番悩ましいのは小説や漫画、ゲームなどを原作とするメディアミックス展開に伴う実写や舞台化の場合だと考えています。この場合、架空のキャラクターを元にしてるため、一般的な二次元の二次創作と同じ感覚の方々も少なくはありません。それ故にメディアミックスのhnnmに関しては人によって2次元として考えるか、3次元として考えるかが大きく異なってきます。最近であれば舞台に関しては2.5次元という言葉をよく耳にしますよね。2.5次元をhnnmとしてカウントするか否か、これも個人によって捉え方が異なってきます。
私個人の意見としては、3次元の役者つまり生身の人間が介入している以上2.5次元もhnnmの中に含まれると認識しております。そして2.5次元を含むhnnmもnmmnと同様に隠れて行うのが望ましいものだと考えています。その最大の理由に動くキャラクターとしての認識には役者自身のビジュアルが大きく影響することがあげられます。架空のキャラクターに命を吹き込むのは、役者の演技であり演技をしている間の役者の姿はキャラクターの顔でもあります。容姿と演技、その2つが合わさった結果個性を持ったキャラクターの役柄が出来上がります。アニメ等と異なるのは、ドラマや映画、舞台においてキャラクターの容姿の大元になっているのは役者自身であるという所だと思います。
また、役者がキャラクターになりきる段階で、大なり小なり必ず役者自身の解釈が演技に反映されると考えております。これらの解釈は例え同じAというキャラクターを演じたとしても、役者Bと役者Cでは差異が生じてくるものであり、役者ごとのカラーや個別性が出てきます。生身の人間が演じた時点で、そのキャラクターは原作とはまた違った個性を持つ存在に変わるのです。なので、その役者の演技や容姿に基づいて妄想や二次創作を行ったのなら、それは2次元ではなくhnnmという扱いになるのだと思います。
そしてもし、役者が映像や舞台から離れたとしても、役者本人がキャラクターについて言及した内容(ファンイベントやインタビュー、SNS等での発言全般)を参考に妄想・二次創作をする場合もhnnmに当てはまってくると思います。
また、最近はVRの普及によりVtuberなる存在も増えてきましたね。Vtuberをnmmnとして考えるか否かについても個人差がある様に感じております。何故ならVのキャラクター自体は現実に実在しない=漫画やゲームなどの二次創作と同じ感覚でいいと思っている方も存在するからです。私個人としては実在している人物が演じているという時点でnmmn・hnnmに適用されるのでは?と考えています。それを言えば声優だって同じと思われる方もいらっしゃると思いますが、声優の方々はあくまでよそ様(原作者等)から預かったキャラクターにお仕事として声を吹き込まれていますよね。Vtuberの場合は自分で一から考え出したいわば写し身の様な存在を演じ、動かしているという点において、思い入れや感覚も違うと思うので、人格の結びつきが声優よりも強く出やすい=nmmn・hnnmルールを適用しておく方が安全なのではないかと個人的には考えます。

5.結局何が問題になるのか

正直な感想として、nmmn・hnnmを扱う界隈の一部では隠れろという風潮や警告のみが一人歩きし、問題の本質が分からないままの人、隠れてはいるけど何となく周りにならえの人も少なくないと思います。知っている人からすれば、どうして分からないのかと思ってしまいがちですが、この認識差が双方の温度差となり、度々騒動の一因を担ってしまっている様な気がしたため、次は問題点についてお話していきたいと思います。そもそも、nmmn・hnnmで隠れないこと=おおやけに公開していることの利点ってなんでしょうか。まず大前提としてそこにはたくさんの人の目に触れる、という点があげられます。感想がもらいやすい。共通の嗜好の人と繋がりやすい。一見喜ばしいことの様に思えますが、人目に触れるということはnmmn・hnnm界隈においては同時に大きなリスクを伴います。どんなリスクがあるのか、それを今から説明していきますね。このリスクがnmmn・hnnmでの問題に繋がっているとお考え下さい。

①nmmn・hnnmの対象であるご本人の目に触れてしまう。
一個人の空想上の産物である以上、妄想・二次創作した内容が本人の普段の言動や生活からかけ離れた内容である可能性は極めて高いです。事実でないことを作り上げる=捏造です。つまりnmmn・hnnmの大半は本人や本人の顔が元であるキャラクターの言動や関係性を捏造し、勝手にこちらの娯楽に使用している状況なのです。たかが妄想。有名税だから許容して欲しい。自分が楽しんでるだけで、迷惑はかけてない。そういう意見の方もいらっしゃるかもしれません。ですが、一度立場を置き換えて考えてみて下さい。不特定多数の知らない誰かの妄想や二次創作にあなたの顔が使われたら、どう感じますか?恐らく微妙な気持ちになる方がほとんどで、素直に嬉しいと喜べる方は非常に稀だと思います。そして多くの人が微妙な気持ちになるということは、ご本人もそういう気持ちになる可能性が高いということです。恐らくnmmn・hnnmで妄想・二次創作される方々は、本人なりキャラクターなりが好きだからこそされている方が大半だと思います。ですが、その妄想・二次創作は推しを不快にさせるリスクを背負ってまでしなければいけない内容でしょうか?推しの気持ちより自分の楽しみが大事でしょうか?実際にご本人がどう感じるかはその本人にしか分かりません。直接本人が嫌とは言ってない。そういう意見もあるでしょう。ですが、相手は生身の人間です。人間だから当然本音と建前を使い分けることもできます。嫌と感じていても嫌と言えない状況だって考えられるのです。ですから、たった僅かでもご本人を不快にさせる可能性がある以上、nmmn・hnnmはご本人の目に触れさせるべき内容ではありません。更に極端な話をすれば、こちらにそんな意図はなくてもご本人への侮辱に繋がり、事実と異なる内容を広めたとしてご本人は nmmn・hnnmの作者を名誉毀損として訴えることだって出来てしまいます。

②ご本人の関係者の目に触れてしまう
繰り返す様で恐縮ですが、ご本人は生身の人間なので当然色々な交友関係が発生致します。ご家族やご友人、事務所の方やスタッフ、仕事関係者など他にも様々な形でご本人と関わられている方々がたくさんいらっしゃるでしょう。
それらの方の目にもnmmn・hnnmは触れさせるべきではありません。知人が不特定多数の妄想に使われているという事実はやはりいい気持ちがしないと思いますし、関係者の方からご本人に向ける印象に偏見をもたせてしまったり関係者の方を通じてご本人に内容が知られてしまうといった事態が起こり得るからです。また、ご本人像と食い違う妄想・二次創作がご本人の仕事関係者の目に止まってしまった場合、ご本人の活動や仕事に影響を及ぼす可能性も十分に考えられます。①の様に極端な例では営業妨害で訴えられてしまう可能性もあるのです。

③ご本人や作品のファンの目に触れてしまう
ご本人や作品のファンにも色々な方がいらっしゃると思います、その中にはnmmn・hnnmを知らない、あるいは知っていても好きではないファンの方もいらっしゃるでしょう。
その様に純粋にご本人、作品を応援していらっしゃるファンの方が、nmmn・hnnmの話題を見てしまった場合どの様な気持ちになられるでしょうか。ご本人のプライベートやイメージ、物語を妄想で捏造され、不快に思われないでしょうか。見てしまったファンの方がご本人や作品へ抱いているイメージとそぐわない妄想に憤りを感じたり、ショックを受けられる方々は少なからずいらっしゃると思います。

④一般の方の目に触れてしまう
③ではご本人や作品のファンと致しましたが、④はファンでないにしろご本人や作品の存在は知ってる人、そもそもご本人を知らない人そのどちらの場合も含みます。②でも本人に向ける印象に偏見を持たせてしまうと述べましたが、ご本人について詳しく知らない人からすれば見てしまったnmmn・hnnmの話題がご本人や作品を知るきっかけになってもおかしくありません。そして、そこで受けた印象が直接ご本人や作品の第一印象に繋がってしまうことも考えられるでしょう。つまり、ご本人や作品に対して本来であればなかった筈の先入観を一般の方に植え付けてしまう可能性があるのです。

⑤アンチの目に触れてしまう
ご本人のアンチ、ご本人が出演してる作品のアンチ。どんな人物や作品でも、アンチという存在は必ず存在します。
アンチは気に食わない作品やご本人についての粗を探すことに余念がありません。目につく材料があれば、nmmn・hnnmの話題を使ってご本人や作品を叩く可能性は十分に考えられます。また、アンチの一環としてより多数の人間や直接本人にnmmn・hnnmを晒す人もいます。

⑥意図せぬ晒し行為に被害にあう可能性
世の中には一定数、人が嫌がることを好んで行う人種というのが存在します。そんな人達にとって晒すという行為は歪んだ楽しみの一つとも言えるでしょう。その様に悪意で晒しを行う人もいれば、当人にとっては善意のつもりで晒す人もいます。後者の場合は作品が素敵だと思ったから。作品に登場するご本人やキャラが好きだから。理由は色々あるでしょうが、残念なことにそういう方々にはほとんど晒しをしているという自覚がありません。隠れずにnmmn・hnnmの話題をするということはそんな色んな理由の晒しを受ける可能性が高まるということです。

⑦nmmn・hnnmに対する誤った認識の流布
nmmn・hnnmに興味を持ってる人は、nmmn・hnnmに興味を持ってる分、上記①〜⑥の場合よりも見よう見つけようという意思を持ってnmmn・hnnmを探してきます。そして、そういう方々の多くはnmmn・hnnmについて十分に理解をしていない可能性が高いです。そう言った方々が見ている側から作り手側に回る時、おおっぴらに公開されているnmmn・hnnmや一般的な二次創作を基準として行動してしまう可能性も否定しきれません。

これらのリスクはあくまで一例です。可能性の話なのに考えすぎ気にしすぎという声もあるかもしれません。ですが、近頃は各種SNSの普及により私達は勿論、ご本人や関係者、ファンの方々も容易に情報を得ることが出来る時代です。そして、その情報は必ずしも良い情報ばかりとは限りません。中にはご本人の名前や作品名を積極的に検索されるご本人やファンの方もいらっしゃいます。可能性が0とは言い切れない以上、nmmn・hnnmは共通の趣味を持つ仲間以外の目には触れさせないに越したことはありません。暗黙の了解ともされている隠れるというマナーはご本人や関係者、ファンの方に不快な思いをさせないためであり、アンチや晒しによる被害を防ぐためでもあり、そしてnmmn・hnnmの妄想・二次創作をしている方々自身を守るために広がったものだと考えています。加えて、個人的な意見として妄想や二次創作は個人の嗜好や性癖が大いに影響してくるものだと考えています。本来、性癖というものは誰彼構わず見せつけるものではなく、理解してくれる身内との間だけで共有するものではないでしょうか。楽しむなと言っているのではありません。自分が楽しんでる内容が自分以外の人にも受け入れられるとは限らない。その認識を忘れないで頂きたいのです。nmmn・hnnmを楽しんでいる方々自身がご本人や関係者に向かって話題を持ち出すなんてことはもっての外としか言い様がありません。3.において自由と無法の違いについて触れましたが、いくら娯楽の範囲であっても他人への配慮を忘れた言動はご本人や関係者を含む他の人にとっては嫌がらせと捉えられる可能性だってあるのです。

6.配慮すべき対象は人格

nmmn・hnnm界隈の中では隠れるのは性的な内容あるいは同性愛のみでいい。なんて意見も存在致します。1.の定義付けにおいてnmmnにもhnnmにも全ての性的嗜好が含まれるとしました。私の個人の考えとしては男女でも(夢も含む)男同士であっても女同士であっても、本人やキャラクターの本来の状態や設定から乖離する内容の妄想・二次創作は隠すに越したことはないと考えています。配慮の基準は性的マイノリティ等ではなく、それを見た人がどう感じるかという部分に重きをおくべきだと考えるからです。重ねて言いますが、nmmn・hnnmの妄想・二次創作は「捏造」が大半です。生身の人間を勝手に娯楽に使用している。あるいは生身の人間が演じたキャラクターで妄想することを娯楽としている。それが一番の問題なのです。誰かが嫌がりそうことは避ける。それは妄想・二次創作に限らず、人として必要なマナーではないのでしょうか。

7.SNSにおける取り扱い

皆さんは気になったドラマや映画の作品名、または役者や登場人物の名前でSNSを検索されたことがありますか?TwitterやPixiv等といったSNSの普及により、ファンアートや感想は昔よりもずっと探しやすくなりました。逆に言えばそれは、探そうと思えばいつだって誰だって情報を探せる状態にあると言うことです。その状態で情報を隠すには、隠す側が隠そうという明確な意識を持っていないと成り立ちません。
また、4.においてhnnmの範囲について触れましたが、ここではhnnmの具体的な内容についてもう少し掘り下げたいと思います。一言でhnnmと言っても、単に映画や舞台、ドラマそのものについてや役者個人についての感想を言うだけであればそれはhnnmには該当しないでしょう。作品で表現された場面や公式で語られた裏設定に基づいた感想は、普通のファンの方の中でも見られるものです。ではどこからがhnnmに触れてくるのか。私はこれを映像および舞台等の作品内において提示された設定、場面を越えて作者独自の展開や背景、関係性を妄想したり表現すること、またはその内容として考えております。色々な例はありますが、よくあるもので言えばパロディネタ、作中では語られていないキャラクターの過去話、if展開、エンディングの改竄、エンディング後の話、本来作中で出てこなかった関係性の人物を創作してキャラクターに当てがう、恋愛関係と明言されていないキャラクター同士のカップリング等が該当してくると思います。作品の内容・設定から逸脱したキャラクター性やストーリーの捏造、関係性の変化を妄想・二次創作した時点でそれらはhnnmと呼ばれるものだと私は考えています。
最初の方でnmmn・hnnmという言葉を知っている人のなかでも認識に差があるとお話致しましたが、これは個人のモラルや考え方により、良し悪しの基準となるポイントが異なってくるためここからは駄目!という明確な境界線が定まっていないことが原因だと考えられます。なので、皆さんの意識を同じラインで統一するというのがとても難しく、まずは皆さんそれぞれが自分の中のボーダーラインをしっかり決めておく必要があるのではないかと考えます。これは普通の二次創作でも同様だと思います。
一般的に人間の心理としてしつこくルールを強要されたり、あれは駄目これも駄目と言われると息苦しくなる感じもよく分かります。私は決して皆さんの創作意欲を削いだり、楽しみを奪いたいわけではありません。最初に言った様に、あくまで個人の意見の一つであり私の言葉に強制力はないのです。可能性の話までしだしたらキリがない。そう思われる方もいるでしょう。
昨今はオタク文化に寛容だったりドラマ等でそういう設定を取り扱ったりしていたりもしますが、あくまで黙認されているだけであり問題が生じれば権利者から直接禁止を言い渡されたり、訴えられる可能性だって0ではありません。その可能性は全てのジャンルで共通することです。映像や舞台の作品であれば、その権利者の対象は作者のみならず役者ご本人や事務所、製作会社、配給会社、スポンサーなど様々な範囲に広がります。もしもの場合が起きた時、困るのはあなた自身だけではありません。あなた以外を含むそのジャンルで活動している人全体を巻き込む可能性だってあるのです。その多方面から責任を求められた時、あなたは全てに対応できますか?たかが妄想や二次創作、そう片付けてしまうのは簡単です。ですが、やはり私個人としてはただの感想、純粋なファンアート・ファンノベルの一環を越えてくる妄想・二次創作に関しては本来であればどんな作品においてもおおっぴらにしないことが無難なのだと思います。ですが、二次創作の流行によって賑わいを見せているジャンルが数多くあるのも事実です。なので、二次創作によってその作品が盛り上がる、界隈が活性化するという意見が存在するのもわかります。ただ、nmmn・hnnmは二次創作全般における一般的な著作権の問題以外にも生身の人間が関わっている=人格の尊重という点において、アニメや漫画等の二次創作以上に取り扱いに注意する必要があるデリケートな界隈だと私個人は認識しております。そのnmmnやhnnmの妄想・二次創作した内容を不特定多数の目に触れるオープンな状態でネット上にあげる、または話題にすることは5.で触れたリスクが多かれ少なかれ付き纏います。
そのため、人目に触れる機会を少なくするという観点から
・不特定多数が見る場所でCP名を出さない
・伏字等による検索避けを徹底する
・作品名および役者名、キャラクター名タグを併用しない
・作品名が分かる様な固有名詞、公式画像を使ったり、それらを使用したタグやコメントをつけない
・nmmn・hnnmに触れるアカウントで公式関係者をフォローしない
・鍵をかけたり身内限定の場で公開する

等といった対策が推奨されているのだと考えます。あくまでこれらの対策は一例です。それぞれのやり方には個人差があることをご理解ください。

8.おわりに

私個人はnmmn・hnnmに関しては総じて隠れて行うものと認識していますが、ここまで触れてきた様にそれぞれの認識には個人差があると考えています。隠れない人、隠れている人それぞれにきっと言い分があるでしょう。隠れている人の中でも隠れる程度は検索避けの人、鍵をかけてる人、全て行なっている人とそれぞれあると思います。私はそれらの考え方、やり方の違いを全て否定することは致しません。ですが、個人的にはどれだけ魅力的な二次創作をしていたとしてもおおっぴらにnmmn・hnnmを取り扱う層とは積極的に関わろうとも関わりたいとも思えません。もしも自分が隠れている立場であった場合、不用意に巻き込まれる可能性や不快になる可能性が容易に想像できるからです。好き好んで面倒ごとに関わりたい人間はほとんどいないと思います。かといって、隠れていない層に対して第三者が注意を超えて必要以上に隠れろと強要することも少し違うのではないかと感じています。本来、隠れる隠れないの最終決定、そしてその程度は各個人がモラルに沿って自発的に判断する内容だと認識しているからです。故にnmmn・hnnmに関する注意喚起というのは非常に難しい立ち位置にあるものだと思います。何故なら良し悪しを考える基準の個人差が大きいこと、注意喚起によってnmmn・hnnm自体を知らない層にまで存在を知らせてしまう危険性を孕んでいることが主な理由と考えます。なので、私のこの記事も賛否両論、様々な意見が発生して然るべき内容だと考えています。
そもそも今回、既に色々な方がnmmn・hnnmについて何度も言及されている中で、私が改めてこの記事を作成しようと思った理由は先日とあるnmmn界隈で起きた騒動が発端でした。私自身はその界隈の者ではありませんが、私の友人がご本人のファンであり騒動によって心を痛めている姿を間近で見て思うことが多々ありました。
本来、娯楽や趣味は楽しく行うものです。ですがやはり、楽しいなら何をしてもいいという訳ではないとも思います。何事にも節度はあります。節度とマナーを守ることが周囲を守り、回り回って不要な批判を避けあなたの楽しみや界隈全体の平和を守ることにも繋がるのだと思います。全ての言い分を理解しろ、納得しろというのは大変難しいでしょう。ですが、どうしたってnmmn・hnnmは生身の人間が絡んできます。二次創作や妄想の作り手だけではなく、ご本人や関係者、ファンの方、皆それぞれに感情を持ち合わせているのです。ご本人や関係者への配慮は最優先ですが、ご本人や作品のファンの方、同じジャンルで活動されてる方への配慮も忘れずにしていけることが理想的な形なのではないかと思いました。この記事でnmmn・hnnmに関わる人が、今一度nmmn・hnnmについて考え、理解を深める機会になれば幸いです。nmmn・hnnmで悲しい思い、嫌な思いをする方が一人でも少なくなりますように。心の底からそう願いながら、まとめとさせて頂きます。長々とお付き合い下さり、ありがとうございました。



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