4.僕と大家さんの犬

門を開ける。それが夜であったなら玄関前の明かりが自動的に灯る。たとえ夜中の3時であっても灯る。すると2匹の犬をかたどった銅細工にスポットライトが当る。

僕の部屋は2階にある。門を抜けて階段を上がる。夜、晴れていれば月が見えるかもしれない。カバンの中に洗濯物が入っていても夜に洗濯するのは気が引ける。水を張ってつけて置く。

翌朝、洗濯の続きをする。5分おきに通過する電車の音を遠くに聞きながら主にするのは濯ぎだ。水を勢いよく流す。電車の音がかき消える。

じゃぁー ワン じゃぁー ワワン じゃぁー ワワンワン

1階で犬が吠える。外で見かけても吠えるのを聴いたことはない。水を止める。鳴き止む。排水が終わると2度目の濯ぎをする。水を流す。

じゃぁー ワワン じゃぁー ワゥウォーン

引越当初は、まさか水音に反応しているとは気がつかなかった。犬が鳴いてるなペット不可だけど大家さんだからOKだよな。その程度だった。わかってみると楽しい犬との対話だ。水音に限らず大家さんに注意されたことは一度もない。静かに寝ているのにうるさいぞ、しょうがない奴だな。犬は大家さんの代弁をしていたのかもしれない。

最後まで犬の名前を聞けなかった。引越直後に聞くタイミングを逸すると犬は何年経っても犬のままだ。引越したとしても死んだとしても洗濯中に会話が出来なくなったことに変わりはない。

いつしか洗濯をしても犬が鳴かなくなった。どれくらい前からだろう。散歩にも出会わなくなった。そういえば犬は1匹なのに玄関前の銅細工は2匹なのはなぜだろう。家族がなくなったのか。

犬が鳴かなくなって程なく僕の大家さんは留守をした。