11.僕の母

いつもの不動産投資会社の社員とは違っていたようだ。

その男は着慣れないスーツを着た大学生のような若い新入社員のようだった。面倒な仕事を押しつけられたのかもしれない。玄関先の門に陣取り必死に話を続けようとする。

僕の母は新聞・宗教の勧誘・訪問販売に対して身も蓋もなくキッパリと断る。その日もきっとキッパリと断ったのだろう。話に進展はなかった。

約束の時間に遅れそうになり頭に血が上った母はほとんど怒っていた。無理もない。朝からさんざん聞かされた同じ内容を繰り返されているのだ。しかも門の向こうで新入社員がほとんど通せんぼ。それでも約束があるので話を切り上げ急いで出かけた。

イタッ、ザザッ 大丈夫ですか。

みんなの視線が集まる。近くの数人が心配そうに立ち止まった。母は急いだあまり駅の階段を踏み外したのだ。数段滑り落ち一人で転んだ。

駅の階段を転がり落ちながらも、手すりに手をかけることが出来た。でもそれがいけなかった。手首をねんざしてしまった。幸い足の骨折は免れた。遅刻しながらも約束を果たし、病院へ行った母の手には包帯が巻かれていた。

あれから何年も経った。今でも母にとって、あのときの怪我は朝から営業に来た新入社員のせいだと言う。会社組織は楽なところがある。新入社員が常識を逸した行動をとっても個人のせいにして解雇すれば済む。会社ぐるみの指示だったと外部から証明するのは困難だ。

僕は母が何を言われたのか正確には知らない。ただ怪我の後の母は弱気になった。