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20231016 / Uchronie


1.

あとがきが終わり、次のまえがきへと連なる空白の根底にひそみ、沈み込んだ意識が放棄した僕の肉体は、停車中の列車の中で横たわり、無関心な喪失を静かに語り出した。

空っぽな意識の中で宙吊りになった僕自身は感覚というこの空間との交差において、頑なにこの肉体と手を繋ぎ、決して離れる様相を見せないでいる。

やがて動き出した列車は、住宅裏に連なった先で、多数の吊り革を従えて流動し、後方車両へ押し込まれた情熱は、息絶え絶えと呼気を鳴らしている。

流れる時間に囚われた僕は、少しずつそこから離れようと、僕をこの世界へ繋ぎ止める事物を壊していく。イヤホンから流れる望郷の歌、硬い座席、線路の繋ぎ目を渡る揺れのリズム。それはすなわち、自分を制約するあらゆる規範に対する抵抗であって、そして、僕自身による緩やかな自殺だ。


2.

ある意味、言葉にするべきかどうかという問題は、それを人に伝えるということに関する意志の問題に帰結する。

制約を憎み、制約に縋る。無限を望み、有限に縋る。何者にもならずに、誰にも見えないところに居たいと言いながら享受するものだけ享受する浅ましさに辟易しないか。

道徳だとか、神様とか、正義だとか、愛だとか、そう言うものは全部嘘だと言って、したり顔で、否定するのは簡単だったはずだ、そう言う儚い価値でさえ、創造した人達の苦しみも悲しみも、君は想像することは出来ないのだから。


3.

青くて暗く、柔い光が差し込んで、水槽にいるみたいだ。右目で見れば、ぼくは靄のかかった森の中にいて、左目で見れば、僕は雨の降る東京のビル群の足元にいる。そして両目を閉じれば、僕は自室の重くのしかかる空気を憂いて、それが水槽の様だと宣いながら。

夕暮れ、朝焼け、赤と青を行き来して、ゴミ箱の原稿用紙、放課後の薄暗い廊下、誕生日にだけ鳴らせる中庭の鐘、父親の怒鳴り声と母親の助けを呼ぶ声が反芻し、覗き込んだ水たまりの向こう側、誰もいない僕だけの世界と、屋上から見えるゴミ処理場の煙。

逃げ込む先はいつも過去で、それが悲惨なものであったとしても、未来は空白だ。過去はいつだって拠り所で、過去を作るために未来を生きて、また過去から持ち帰る。言葉という切符を携えて。

なけなしの記憶と言葉を置いて、それを見てくれる人がいることを願うよ、きっと既に、そこに僕はいないけれど。