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嫌な過去は折り畳み傘と一緒

時に、「あっ折り畳み傘持ってて良かったな」と思うことがある。

雨が降っている時や降ると分かっている時は、普通の傘を持ち歩くのは当然。予想もしない急な雨に折り畳み傘は、役立つのだ。

かといって、私は折り畳み傘を意識して常備しているタイプではない。にもかかわらずウチには3本の折り畳み傘がある。普通の傘は5本もある。ただあることを忘れて買ってしまうから増える一方だ。

気まぐれに折り畳み傘をかばんに入れて持ち歩く。そして、急な雨が降った時折り畳み傘を持っていることにふと気付く。降らなければ気づかないままずっとかばんに入れっぱなしだ。必要が無い時はむしろ邪魔でもある。

その感覚がなんだか嫌な過去を思い出す時の感覚と似ているなと思う。私にとっての嫌な記憶や経験はいくつかある。それをたまに思い出したり、物事の引き合いに出したりする。

それは、自分では意図的ではないことがほとんどだか、折り畳み傘があったことを思い出すようにそこにあることにふと気付く。

ある人は、嫌なことなんて思い出さないほうがいいと言う。だけど、私には到底できないことだと感じる。でもそれは絶望ではない。

折り畳み傘が知らず知らずのうちに増えているように、邪魔だなと思いながらもかばんに入っているように、嫌な過去も「あっ折り畳み傘持ってて(こんな経験もあって)良かったな」と思えることが増えたからだ。

だから、私にとってその時々で嫌な過去を思い出すことは必要な作業になっている。そこにあることに気付くことで物事の見方に深みが増すように感じる。向き合っている時間も苦痛ではないと思えるようになったのだ。

でもやっぱり必要のない折り畳み傘が増えなければいいのになとも思いながら、傘を開いては閉じてを繰り返している。

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