やさしさの違い(今と過去)

 小さい頃は人と距離を置くための優しさだった。小学校でよく言われた言葉は「〇〇ちゃんって優しいね」だった。そりゃそうだ、優しく接しているんだもん。オブラートに包んだ透明な壁。人と深く関わりたくなかったから、遠ざけるためだった。だから「優しい」の言葉が大っ嫌いだった。他人(ひと)にも距離を置かれてるような気分になったから。自分からはじめたことなのに。バカだな。この優しさはダメだってわかっていたのに。

 中学生のとき、親しかった友達に優しいについて話した日があった。優しいが嫌いな理由。なぜ優しいには人と憂が合わさっているのか。そのときに出た結論は "他人(ひと)から言われた「優しいね」を素直にポジティブに受け取ってみたら違うんじゃない?" だった。たしかにそうだ。わたしが人と距離を置くためにはじめたことだったから、受け取り方を変えればよかったんだ。そんな簡単なことに気づけなくなっていたんだな。気づかせてくれてありがとう、と思った。

 今は「やさしいね」と言われたらうれしい。愛を持ったやさしさに変わったからかな。やさしいはきっと柔らかい光のようなもので出来ていて、愛そのものなんだよ。曖昧だけどきっとそこに佇んでいる。それに気づいてから、わたしを大切にしてくれる人を大切にしようと思った。それは当然のことであって、伝わらなくたっていいから愛をもって接していたい。

 そして今日(2022/05/14)この言葉に出会った。感動したあまり泣いてしまった。そっか、人の哀しみに寄り添うことこそが "優しい" ということなんだ。なんて素敵な意味。やっと出会えた。生きてきてずっと抱えていた苦しみがスッと楽になった。出会えてよかった言葉。やっと出会えた言葉。これから先、わたしはこの言葉を大事に抱えて生きていくであろう。人に教えていくであろう。優しいとは素晴らしい言葉なんだよと伝えていくであろう。

自分で何言ってるかわからなくなってきた。文章苦手。

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