見出し画像

東京を過信していた話

ひぐらしの鳴き声が思い出せなくなってしまった。

私の地元は何もない田舎町で、バスは1時間に1本しか来ない。車がないと生活できない。
隣の街まで行かないと本屋もない。漫画やCDは発売日より1日遅れて店頭に並ぶので、フライングゲットなんて夢のまた夢だった。

東京にずっと憧れていた。

東京に行けばなんでもある。
地元では放送されない番組が観れるし、好きなバンドのライブだって見に行ける。
テレビで見た流行りの食べ物もお店も東京に行けばある。

東京に行けば、きっとドラマや漫画で読んだようなお洒落で素敵な大人になれる。
当時高校生の私はそう信じて疑わず、東京の大学に進学するために必死で勉強した。

大学合格を機に上京する夢を叶え、もう5年半になる。
CDは発売日前日に買えるし、バンドのライブにもたくさん行ける。大学時代は楽しくてしょうがなかった。

でも、今、思い描いていた大人になんて全然なれていない。テレビや雑誌で見たお洒落なキャリアウーマンとは程遠いし、背が高くて優しい素敵な彼氏と同棲もしていない。私は何にもなれなかった。
東京に行きさえすれば何もかも上手くいくなんて、そんな都合のいい話あるわけがないのだ。東京は魔法の国ではない。

会社ではそれなりにうまくやっていて、両親は喜んでくれている。周囲の人にも恵まれている。東京に来てよかったと思っている。
それでも偶に、なぜここにいるのかわからなくなる時がある。
何者にもなれなかった私は、東京にいる意味があるのか。温かい愛情をくれる家族に恵まれているのに、何故一人で生きていこうとしているのか。

実家の周りは灯りがないから、星空も良く見える。雪が積もっている真冬の午前2時に、ベランダからふたご座流星群を眺めたことがある。空気が澄んでいて、頭上には一面の星空が浮かんでいた。30分で20個も流星を見ることができた。ひどく感動したことを覚えている。
しかし、そんな一面の星空も、朧げにしか思い浮かべられなくなった。

夏は窓を開けて扇風機を回せば耐えられる暑さだった。窓から見える夕日と、どこからか聞こえるひぐらしの鳴き声が大好きだった。
今でも、夏の夕暮れ、少し気温の下がった時間になると、その空気を思い出す。
しかし、その声を脳内で再生することはできなくなってしまった。
ひぐらしはカナカナと鳴く。それはわかるのに。

あんなに出たいと思っていた地元も、離れてみると美しい。
憧れが当たり前に変わってしまった結果、輝いていた私の気持ちは失われてしまった。

それでも、私が東京に来たことを自己満足で終わらせることは許されないように思う。
両親は借金を背負ってまで大学に送り出してくれた。
ここにいることに意味を見出せるよう、
胸を張れるような何かをここで見つけられるよう、もう少し頑張ってみようと思う。

#エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?