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※『COUNT TEN.』様のお題『大切な貴方へ10の言葉』を使用しています。


1.ほんと、バカなんだから

 右を向いても左を見ても、木ばっかりの山の中。僕と奥さんと娘ちゃんはそんな山小屋で暮らしている。獣を狩って、木の実を獲って、余った分を麓の町へ売りに行って、そうやって僕らはのんびり暮らしている。
 今だって、ほら、玄関に置いた椅子に腰掛ける僕の目の前で、可愛い奥さんと可愛い娘ちゃんが楽しそうに赤い果実を集めている。集めて煮詰めてジャムにして、保存食にするんだ。
 ゆるやかな時間、穏やかな風景。僕はにっこり笑って二人を見守る。
「どうしたの、ルイス。あたしの顔に何かついてる?」
 長い髪をかきあげて可愛い奥さんはそう尋ねた。
「何でもないよ。シェリーさんが綺麗なもんだから見とれてたんだ」
「もう。そんなことばっかり言って」
 くすくすと笑いながら、シェリーさんは娘ちゃんの持っていた果実を自分のカゴに入れ、手を洗うように言いつける。けれど、母親の言うことを聞かずに彼女はこっちに突進してきた。「ドーン!」
「うわぁ。まいったまいった」
 可愛い娘の体を抱きとめてポンポンと頭を撫でる。小さくて暖かい彼女に体はいつ抱きしめても気持ちがいい。
 真っ赤に色付いた小さな手で触るものだから、僕の服に赤い果汁が滲んでいく。それを見て、シェリーさんが柳眉を逆立てる。
「レイラ!」
「まあまあ、そんなに怒らないで。さ、手を洗いに行きましょうか。僕の大事なお姫様」
 そう言って抱き上げるとレイラは楽しそうに笑った。シェリーさんはため息をつく。
「ほんと、バカなんだから」
「ええ? 僕、頭はいいつもりだけどなあ」
「親バカってことよ」
「それは光栄」
 レイラを抱っこしたままシェリーさんの頬に軽くキスをする。
「でも、奥さんバカっていうのも付け加えて欲しいな」
「もう」
 呆れた顔でシェリーさんは、染みになる前に服を着替えてね、と言った。はーいと返事をして、僕はレイラを抱き上げたまま洗い場へ向かう。
 町のみんなには言われるんだ。娘さんが小さいんだから町で暮らせばいいのにって。だけど僕らには山での暮らしが性に合ってる。こんな自然の中で、家族三人何の気兼ねもなく暮らせる。それって最高じゃないか。
 僕たちがこの山に来たのは二年前。レイラが二歳の時だ。
 僕としては最初からこんな生活が送りたかった。だけど、流石に生まれたばかりの赤ちゃんを山に連れてくる自信はなかった。僕もシェリーさんも田舎で暮らしたことはほとんどなかったからね。
 ここはいい所だ。麓の町の人もみんないい人ばかりだし、何より僕らのことを知らないから余計な雑音は聞こえてこない。
 僕たちはただ、家族三人で平和に暮らしていればそれでいい。だってそれが一番幸せなことだもんね。
 小さな手に水をかけて優しくこすってやる。赤い果実の汁は徐々に落ちていき、レイラはくすぐったそうに笑う。それを見て僕も笑った。
 タオルを持ってきてくれたシェリーさんがその様子を見てため息をついた。「ほんとバカねえ」と笑う彼女に今度はウインクをしてあげた。


2. ハナシタクナイ

 今日のレイラは朝から元気一杯だった。その反動から、お昼ご飯の後こっくりこっくりと船をこぎ始め、いまや完全に熟睡である。
 お姫様を抱き上げベッドに寝かせて毛布をかけ、僕はそっと彼女の髪を撫でた。
「レイラ、寝ちゃったの?」
「うん。疲れたみたい」
「そう」
 寝返りを打った拍子にレイラの顔に前髪がかかる。それをそっと払ってやってから、僕はシェリーさんのいる居間へ向かった。
 シェリーさんは髪を梳かしていた。手にしている朱塗りの櫛は、僕の愛しい妻の一番の宝物。「この櫛を見ているとなんだか幸せな気持ちになるの」と言ってとても大切にしている。どうしてだか理由はわからないけれど、とても大切な櫛なのだ、と。
 そんな大切な櫛で彼女が髪を梳かしている。麓の町へ出かけるから少しおめかしをしているのだ。
「これから町へ行くの?」
「そのつもりだったけど、レイラが寝たのなら明日にするわ。ルイスも一緒に来てね。パン屋の奥さんが娘さんのお古を分けてくださるそうだから」
 元気いっぱいのレイラちゃんはすぐに服を汚してしまう、破いてしまう。だから、うちの奥さんはいつでも小さい女の子の服を探している。
 シェリーさんは朱塗りの櫛を大切そうに片付けた。
「つまりは荷物持ちってこと?」
 それを見ながら僕はいった。若干、言葉に棘があるのは荷物持ちが嫌だからじゃない。
 僕は櫛に嫉妬をしているんだ。そう、シェリーさんの宝物にね。だけど、「その櫛がそんなに大切?」なんてことは言いたくない。
 だから僕はシェリーさんを抱きしめた。櫛を壊す代わりに、僕はシェリーさんを後ろからそっと抱きしめた。
「もう……放して」
「放したくない」
 甘い香りのするシェリーさんの髪に顔を埋める。シェリーさんは僕の頭を優しくポンポンと撫でてくれた。
「ねえ、シェリーさん」
「んー?」
「もう少しこうしててもいい?」
「……仕方ないわねえ」
 レイラが起きたら離れてね、とシェリーさんはお母さんの口調で言った。そんな彼女の髪を一筋すくって唇を落とし、芝居がかった口調で言う。
「親愛なる女神さま。僕の全てであなたをお守りいたします」
「もう、嘘ばっかり」
「嘘じゃないよ。大切なシェリーさんに嘘なんかつかない」
「はいはい。じゃあ本気ね。ありがとう」
 シェリーさんは呆れたように笑った。僕も笑い、それで満足することにした。
 寝室から、むずがるレイラの声が聞こえてきた。


3. 誰にも言わないから

 パン屋の奥さんからもらった服は、どれも可愛らしかった。大喜びのレイラはそのうちの一枚を着て、外へ遊びに行く、と言い出した。日が暮れるには、まだ多少時間がある。夕食の準備があるシェリーさんに留守番をしてもらって、僕とレイラは散歩に出かけた。
 ま、散歩と言っても、うちのお転婆なレイラ姫が大人しく歩いてくれるわけないんだよね。
 べそをかくレイラを見て僕は苦笑した。はしゃいで茂みの中に入るから、服を引っ掛けてしまったのだ。全く、誰に似たのやら。
「怪我はない?」
 コクリ、とレイラは頷く。目にいっぱい涙を溜めて僕を見上げる。
「お母さん、おこる?」
「うーん、そうだねえ」
 家庭的に見えるシェリーさんだけど、実は、レイラが生まれるまでろくに家事をしたことがない人だった。料理や掃除は毎日のようにやるから、なかなかの腕前になったけど、実は裁縫が苦手だったりする。
 僕の答えに不安になったのか、レイラがすがるように僕を見上げる。僕はお姫様の涙を人差し指で拭ってさしあげた。
「大丈夫。お父さんが直してあげるから」
「ほんとう?」
 レイラがホッとしたように笑った。僕もにっこりと笑いかける。
 こう見えて、とっても器用な僕は家事を一通りなんでもこなす。もちろん、裁縫だってできるんだ。レイラが服を破くであろうことを予想していた僕は、しっかり携帯用のソーイングセットを持参していた。ね、頭いいだろ。
 引っ掛けた上着を脱がせ、代わりに僕の上着を羽織らせる。日が翳ってくると山は寒くなるから。
 そんなに大きな穴じゃないから、すぐに穴は目立たなくなった。元のままとはいかないけれど、こんなところだろう。
「ありがとう!」
 喜んだレイラに抱きつかれる。僕は頭を撫でて、彼女にできあがった服を着せてやった。
「あのねお父さん、あのね」
 少しためらってからレイラは言う。
「お母さんにはないしょにしてね」
 真剣な顔で言うレイラが可愛くて、僕は笑う。もちろん、お姫様の忠実な家来である僕の答えはYESだ。
「大丈夫。誰にも言わないから」
「うん」
 日が暮れてきたので、僕とレイラは手を繋いで帰った。家ではシェリーさんが夕飯を作って待っている。


4. そばにいて

 数日後に、麓の町の教会で催し物があるのだそうだ。それを聞いたレイラは浮かれている。併設してバザーも開かれるから、僕たちが作ったジャムなんかを売ることもできる。それでシェリーさんも浮かれている。そんな二人を見ていて僕も浮かれていた。
「これ着るの」
 レイラが準備しているのは、この前、僕が直した服だった。ちゃんとしたのがあるのにそれでいいの? とこっそり聞いてみると、『お父さんが直してくれた服』がいいのだそうだ。嬉しくなって僕はレイラをギュッと抱きしめた。可愛いお姫様のために、僕はいつでも仕立て屋さんになる準備はできている。
 バザーに向けて売り物にするジャムや特製の焼き菓子を、シェリーさんは一生懸命作っていた。僕もそれに手を貸す。当日ももちろんお手伝いだ。だって、シェリーさんは売り手としてだけじゃなく買い手としても参加する気満々だからね。その間の店番が必要ってわけ。
 バザーの二日前、打ち合わせに行ってきたシェリーさんは、三枚の紙をもらって帰ってきた。みんなの願い事をその髪に書いて燃やすらしい。
「燃やせば煙は空に上っていくでしょ。そうして、願い事を天に届けるのだそうよ」
 シェリーさんはレイラの願い事を聞いた。そして、まだ字が上手く書けないレイラのために、『ウサギさんになりたい』という願い事を代筆した。
「あたしは何を書こうかしら」
 シェリーさんが少し遠い目になった。まずい、と思った次の瞬間、彼女は頭を押さえて机に伏した。
「大丈夫?」
 幸い、レイラは一人遊びに夢中でこちらには気づいていない。シェリーさんの顔を覗き込むと、彼女は青い顔で頷いた。
「いつもの頭痛よ。最近、なかったのにね」
 力なく笑う彼女を僕は抱きしめる。
「願い事、代わりに書いてあげるよ。『お裁縫が上手くなりますように』ってね」
「ひどい」
 冗談めかして言った僕の手を彼女はつねる。
「それなら、『みんなが健康でいられますように』って書いておいてよ」
「大丈夫。その願い事は僕の分に書いておくから」
 顔色が戻ってきた彼女をそっと放し、僕はお茶を入れるためにキッチンへ向かった。
 いつもの頭痛。天へ届ける願い事だと聞いて、彼のことを思い出しかけたのだろう。僕は少し乱暴にお湯を注いだ。熱い飛沫が手にかかる。
「願い事か」
 もしも叶うのならば、ずっと傍にいて欲しい。けれど紙に書くことはできない。それは、彼のいる天に届けるわけにはいかない願い事だ。


5. しょうがない人ね

 バザーは盛況だった。シェリーさんの作った美味しいジャムは飛ぶように売れて、美味しい焼き菓子は大人気だった。午後過ぎには完売御礼。店をたたんで、シェリーさんは機嫌よくあちこちを見て回り、レイラは町の子供たちと楽しそうに遊んでいる。
「さあさあ、いらっしゃい、いらっしゃい。珍しい生き物が芸をするよ。見なきゃ損!」
 近くに来ていた旅の見世物小屋がこの小さな催し物に便乗して、会場の近くで商売を始めた。盛り上がるから、と教会側も許可を出したのだそうだ。
 呼び声につられて人垣ができる。僕も後ろからひょいと覗いた。檻から出てきたのは角の生えた小さな生き物。明らかに動物ではないそれに、小さなどよめきが起こる。
「あれは……」
 僕は内心で舌打ちした。あれは魔獣だ。異世界から召還された魔物。
 ここでは見たことがない人も多いのだろうが、もっと辺境に行けばこの手の魔獣はゴロゴロいる。自身の名声のため、または、他国を侵略するため、狂った魔道師が異世界から異形の獣を召還するのだ。そのままこちらの世界に住み着いて、野生化してしまったものもかなりの数にのぼる。
 小さい魔獣は鎖につながれたまま大人しくしている。僕は何気ない振りを装って、近くの小石を拾い集めた。
「さあて、お立会い。こいつが芸をするよ。まずは一回転だ」
 小屋主がバシリと短い鞭で地面を叩くと、魔獣は飛び上がってくるりと一回転した。わぁぁ! と歓声が起こる。
「さあて、お次は」
 パシリ。地面を叩いた鞭が跳ね返って魔獣に当たった。その瞬間。
 きぃぃぃぃぃぃ!
 甲高い叫び声を上げて、魔獣が鎖を引きちぎった。その勢いのまま最前列にいた女性に飛び掛る。
「きゃ!」
「危ない!」
 しかし、牙を女性に振り下ろす寸前で、魔獣は地面に仰向けに転がった。額には大きなたんこぶ。
 僕が指ではじいた小石があいつの額にジャストミートしたんだ。万が一のために、小石を拾っておいてよかったよね。
 小屋主が慌てて鎖に繋ぎ、警備の人たちがやってきた。誰もこちらに気づいていないのを確認して僕はくるりと踵を返す。
「しょうがない人ね」
 レイラの手を引いたシェリーさんが僕の顔を見てそういった。僕はそれに答えずレイラを抱き上げる。
「騒がしくなってきたし、帰ろうか」
「ええ」
 近くにいた知り合いたちに挨拶をして、僕たち三人は並んで家路についた。


6. 裏切ってもいいよ

「じゃあ、行ってくるわね」
 勇ましく槍を担いでシェリーさんは出かけていった。僕とレイラは手を振って見送る。
 今日は狩りの日だ。山へ獣を狩りに行く。その役目をするのは実はシェリーさんだ。シェリーさんは槍が大得意で僕よりもかなり強い。
 レイラを連れて行くのは危ないので僕とお留守番だ。その間に二人で家の掃除と御飯の支度をした。レイラは僕と二人で御飯を作るのが珍しかったようで始終機嫌よく笑っていた。だから僕もとっても楽しかった。
 もうすぐ夕方。そろそろシェリーさんが帰ってくる。はしゃぎ疲れたレイラはお昼寝をしている。僕は今のうちに薪を割っておこうと外に出た。
 ガサリ。木の葉を踏む音と人の気配。早かったね、と振り返って僕の心臓は確実に止まった。
 そこにいたのはシェリーさんではなく大柄な男。僕がよく知っている男だった。
「暁の勇者……」
 そう呼ばれた人。ここにいるはずがない。彼がこんなところにいるはずがない。だって彼は、だって彼は……。
「ルイス」
 彼は僕がよく知っている声でそう言った。本物だ。僕は戦慄する。
「ここで一緒に暮らしているらしいな」
 じりっと僕は一歩後ろに下がる。口の中がカラカラに乾いて返事ができない。
「ずいぶん手ひどい裏切りだな。あの時、これからは俺に従う、とお前は言ったよな」
 じりじりと下がった分だけ、いやそれ以上に距離が詰まっていく。頭の中で警鐘が鳴り響く。
「裏切ってもいいと誰が言った?」
 言葉と同時に彼は大剣を抜いた。最初の一太刀をかわせたのは昔の訓練の賜物だ。無様に地面に転がった僕は、そのまま転がって距離をあける。家の中にはレイラがいる。とっさにそう思って、家とは逆の方向に転がった。
「アーチャー!」
 そうして彼の名を呼ぶ。アーチャーは凄みのある笑みを浮かべた。
「俺が生きていて残念だったなあ、ルイス」
 剣を片手にゆっくりとこちらに近づいてくる彼。その右頬に昔はなかった大きな傷が走っている。いや、顔だけじゃない。鎧の間から見える彼の肉体には無数の傷が走っていた。
「シェリーはどこだ? シェリーを出せ」
 アーチャーは僕に剣を突きつけ吼えた。
「お前が奪ったシェリーを出せ!」
 僕はギュッと拳を握った。そして悟った。

 家族ごっこはもう終わりだ。


7. 欲しいものは一つだけ

 物心ついた頃、僕は親に売り飛ばされた。上にも下にも兄弟がいて、家はとても貧乏だった。頭も顔もそこそこよかった僕は、小さな村から首都に売られて軍属になった。特殊な施設で訓練されて、十歳の頃から他国に潜入して仕事をしていた。要するに、スパイ活動をしていたのだ。
 僕の口から飛び出す言葉は全て嘘だったし、僕と周りの関係も全て嘘だった。信じられるものは最初に叩き込まれた国への愛国心だけ。自国のためにと、得た情報を巧みに操って小さな国を一つ滅ぼしたことさえあった。
 それなのに、優秀すぎた僕は十八歳になった年、二重スパイの疑いをかけられた。監禁されて長い時間取調べを受けた僕は、信じていたものがガラガラと崩れていくのを感じた。結果的に疑いは晴れたが、僕の中にはもう何も残ってはいなかった。
 そんな時、僕の前に現れたのがアーチャーだった。仕事を拒否して腐っていた僕に、「うちの師団に来ないか?」と言ってくれた。
 アーチャーは有名な人間だった。兵士としての教育を受けた後、軍属として辺境に配置されるやいなや、その地区の魔獣を全て大剣一本で倒した。その後も、配属された土地々々でその力を振るい、いつの頃からか『暁の勇者』と敬われ恐れられた。
 二十歳になった彼がついに自分の師団を持つ、という話は聞いたことがあった。けれど、何故僕を誘ったのかはわからなかった。確かに昔一度だけ仕事をしたが、ほとんど会話もなく顔見知り程度の間柄だったからだ。
 だから、信じることができなくて僕は反発した。
「嘘つき者の僕を引き入れるって? 正気?」
 彼は凄みのある顔で笑った。
「お前は必要のない嘘はつかないだろ。そういう奴だ」
 僕は三日間、彼の言葉の意味を考えた。そして、僕は彼の部下になることを申し出た。

「これからは君に従うよ、アーチャー。僕の命を君に預けよう」

 当時、彼の師団はまだ出来立てのほやほやだった。複雑な軍組織とは一線を画す機動性に優れた一団、という触れ込みだが、作られたばかりのこの団にいたのは、とんでもなく強い女性の槍遣い、シェリーさんだけだった。
「初めまして」
 爽やかに挨拶した僕をさらりと無視して、彼女はアーチャーに抗議した。
「こんな軟弱そうな男を入れるんですか?」
「ルイスの情報戦術は大したもんだぞ。他の所に引っ張られる前に確保しとかないと」
「情報戦術なんかより、もっと戦力を増強すべきです」
「戦力?」
 アーチャーは首をかしげて言う。
「そんなの俺とお前がいれば十分だろ」
 シェリーさんは耳まで真っ赤になった。それで僕は気づいたんだ。ああこの人はアーチャーのことが好きなんだなって。
 それから三人で、少しずつ実績を積み重ねていった。戦うのはもっぱら二人で、僕は常に後方支援。何せあの二人の戦闘能力といったらとんでもなかったからね。
 仲間も徐々に増えていった。女医のミッシェル、弓使いのギラン、火薬に詳しいレーン……。
 うちの団の人数が徐々に増えていっても、アーチャーは変わらなかった。常に戦闘の最前線に立って『暁の勇者』の力を遺憾なく発揮していた。主要な面子はアーチャーにスカウトされて集まったけれど、国から与えられた雑兵たちはアーチャーのカリスマ性だけでは統率できない。そんな組織を実質的に動かしていたのは副団長のシェリーさんだった。彼女はアーチャーとは違ったカリスマで皆をまとめ、引っ張っていたのだ。
「大変ですよね、シェリーさんは」
 本来ならば団長がやるべきことを文句一つ言うことなく片付ける。そんな彼女は団の全員から慕われ愛されていた。
「ルイスも手伝ってくれているじゃない」
 時に深夜まで続く雑務を彼女一人に任せるわけにいかなくて、僕もよく手伝っていた。こまごまとした作業はお手の物だ。
「最初ルイスに会った時は、どうしてこんな人を連れてきたんだろう、って思ったんだけど、団長のなさることは正しかったわね」
「雑用係ってことですか? 団長にもやらせればいいのに」
 そう言うといつもシェリーさんは笑って答えるのだ。
「団長が戦いやすいように組織を整えるのが、副団長であるわたしの仕事よ」
「ノロケですか」
「そうかも」
 実際、団長と副団長の仲は上手くいっていた。それは組織上のことだけでなく、私生活もだ。
 二人の一番の部下として、また、友人として、互いのノロケは何度か聞かされていた。だからこそ僕は自分の中にある感情をポーカーフェイスで押し殺し続けていた。
「手伝ってくれてありがとう、ルイス」
 仕事を終えて別れる時、僕にだけ向けられるその笑顔。
 あの時の僕にとって、欲しいものはこの一つだけだったのに。
 その頃、僕らは魔獣の討伐で北の辺境にいた。森の手前に即席の司令部を作って、森に巣食う魔獣たちを探している最中だった。


8. おしまいにできない

 そして、運命の日がやってくる。
 その日は朝からシェリーさんの様子がおかしかった。声をかけるでもなく、うろうろとアーチャーの近くをうろついていた。ついに意を決した様子で、アーチャーに声をかけたのは昼前になってからだ。
「団長、お話があります」
「ん? 何だ?」
「わたし……」
 その時、魔獣が見つかったと連絡が入った。司令部内が途端に慌しくなる。
「シェリー、話は帰ってから聞く。ルイス、留守を頼んだぞ」
「はい」
 その日の任務にシェリーさんは同行しなかった。女医のミッシェルがドクターストップをかけたのだ。
 物憂げな表情のシェリーさんをミッシェルがなぐさめている。それを横目に僕は戻ってくる伝令から様子を伝え聞き、また伝令を放って実行部隊と連絡を取り合っていた。
 息せき切った伝令が血まみれで戻ってきたのは、アーチャーたちが司令部を出発してから一時間後。
「魔獣と遭遇! 実行部隊が……壊滅しました」
 僕はシェリーさんを見た。シェリーさんの目は大きく見開かれ、体がわなわなと震えていた。
「団長は……」
「アーチャー団長も、魔獣に殺されました」
 その知らせを聞いた途端、シェリーさんは倒れた。僕は彼女を別の団員に任せて現場へ駆けつけた。
 凄惨な光景が広がっていた。辺りに漂うのは仲間の血の臭い。アーチャーの姿を探したが、地に倒れ伏すその中に彼はいなかった。
 調査で把握していたよりも、魔獣の数が多かったのだそうだ。団長は魔物に食われた、と生き残った仲間が教えてくれた。
 魔獣はそのまま森の奥へ帰っていったそうだ。おそらくそちらに巣があり、さらに多くの魔獣がいる。
 僕は、怪我人だらけになってしまった実行部隊を取りまとめ、司令部へ戻った。それからが大変だった。アーチャーがいなくなり、シェリーさんも倒れ、僕が実質的にアーチャー師団の責任者になってしまったのだ。動揺する皆を必死で宥めるも、古参というだけで副団長でも何でもない僕の指示に従うことを良しとしない連中は大勢いた。
 頼みの綱のシェリーさんが意識を取り戻したのは三日後だった。本部から「責任者をこちらへよこせ」と言われて頭を抱えていた頃だ。僕はホッとしてシェリーさんの寝ている部屋へ向かった。部屋の前ではミッシェルが怖い顔をして立っていた。
「シェリーは記憶を失っているわ」
 何のことかわからずに僕は聞き返した。ミッシェルは深刻な顔で首を横に振った。
「私たちのことは覚えているようだけど、アーチャーのことを完全に忘れてる。多分、アーチャーがいないことに耐えられないのね。そして、悪いことに、シェリーのお腹にはアーチャーの子供がいる」
 ひゅっと僕の喉が鳴った。目の前がクラリとした。
「このことは、私とシェリーしか知らない。アーチャーですら知らなかったはずよ」
「シェリーさんの様子がおかしかったのは、それで?」
「ええ。そして、シェリーはそのことも忘れてる」
 ミッシェルはため息をついた。
「今、アーチャーのことを無理に思い出させたら、シェリーは壊れしまうかもね。私の権限でここから強制的に隔離して、アーチャーを忘れたままでいさせることは可能だけど、お腹の子をどうするか……」
 とりあえず彼女に会わせてくれ、と混乱した頭のまま僕は部屋に入った。ベットの上で横になっていたシェリーさんはこちらを見て笑う。
「ルイス。ごめんね、心配かけて」
 ああ、と僕は思った。本当に彼女はアーチャーのことを忘れてしまったのか。シェリーさんはアーチャーを失って笑えるはずがないのだ。あんなに好き合っていた相手だったのだから。
 僕は目まぐるしく頭を回転させた。そして結論を出した。
 シンプルな結論だ。このまま、全てをおしまいにはできない。
「具合はどう? シェリーさん」
 普段よりも気安い喋り方。僕は気づかれないよう唾を飲み込んだ。柄にもなく緊張していた。落ち着け、と胸の内で自分を叱咤する。
「たまに頭痛がするけれど大丈夫よ。それよりも、その言葉遣い、副団長に向かって……」
 副団長。自らが発した言葉を驚いたように復唱してシェリーさんは首をかしげる。
「あたしが、副団長……? じゃあ団長は……」
 彼女の顔がみるみる青くなり、痛い、と呟いて頭を押さえる。僕はシェリーさんの手をとって頭を優しく撫でた。
「ミッシェルは何て?」
「頭を打って混乱してるって。ねえ、ルイス。あたし、何か大切なことを忘れている気がするの」
「うん、シェリーさんは大事なことを忘れてるみたいだね」
「何を? あたしは何を忘れてるの?」
 すがるような視線を受け止め、僕は彼女に笑いかけた。

「僕たちが恋人同士だってことだよ」


9. "許して"なんて言えないけど

 アーチャー師団は解散した。僕とシェリーさんは軍を辞めて結婚し、生まれた子供に『レイラ』と名づけた。そして、この山へやってきたのだ。
 あれから四年。
 地面に転がった僕はアーチャーを見上げた。どん底だった僕に手を差し伸べてくれた彼。しかし、同じ手が今は剣を握り、切っ先は僕の目の前にある。
「俺は、シェリーがあの時何を言おうとしていたのか、それを聞くために戻ってきた」
 アーチャーは顔をゆがめて続けた。
「あの魔獣の腹をかっ捌き、巣の中を這いずって帰ってきたんだ。そしたら、どうだ。俺の師団はなくなり、シェリーは……」
 魔獣の巣に何年もいたのか。僕はゾッとする。明日の命も保障されないそんな場所で、アーチャーはシェリーさんに会うことだけ願って、それに耐えて帰還した。
 けれど。
「シェリーさんは記憶を失ってる」
「黙れ」
 剣先が喉の皮を薄く斬り、痛みが走る。アーチャーは軽蔑した目で僕を見下ろしていた。
「シェリーが記憶を失ったことはミッシェルから聞いた。あいつは『そってしておけ』と言ってたよ。だが、シェリーが忘れたのは俺のことだ。俺に会えば思い出す。シェリーは、俺に会えばきっと全てを思い出す」
 そうかもしれない。シェリーさんはアーチャーのいない世界に耐えられず記憶を閉ざした。アーチャーが帰ってくれば記憶を閉ざす理由はない。
「思い出して、裏切り者のお前に愛想を尽かす。俺と同じようにな」
 斬られるよりも痛い。僕はそう思った。彼にだけは言って欲しくなかった。僕は、彼にだけは『裏切り者』なんて言って欲しくなかった。シェリーさんも好きだったけど、僕を信じてくれたアーチャーのことも本当に尊敬していたのだ。
 斬れよ、と思った。一思いに斬って欲しかった。彼に裏切り者と罵られ、軽蔑されるぐらいなら。
「お父さん!」
 甲高い声が響く。僕はビクリと震え声の方を見た。レイラがいた。レイラが家から外に出ている。そしてアーチャーを睨みつけている。
「お父さんをいじめないで!」
 アーチャーの大剣の先が僕から外れた。
「お父さん?」
 彼は乾いた声で言った。
「お前とシェリーの子供、か?」
 暗い声だった。暗く暗く殺気をはらんでいた。僕はハッとして立ち上がる。アーチャーが地を蹴りレイラに向かって斬りかかる。同時に、僕も跳んだ。レイラとアーチャーの剣の間に割って入った。
 レイラの悲鳴。彼女を抱え込むようにして転がった。痛みは後からやってくる。背中が熱い。僕が呻くと怯えきったレイラの目から涙が溢れ出した。大丈夫だよ、と僕はささやく。ごめんね、怖い思いをさせちゃったね。だけど絶対に大丈夫だからね、と。
 腕の中にレイラを庇ったまま、僕はアーチャーを見上げた。血がベットリ付いた大剣を手にした彼の瞳の中には純粋な殺気があった。殺られると思った。
 彼はレイラが僕とシェリーさんとの子供だと思っている。だから本当のことを知らせればレイラは助かる。僕は八つ裂きにされてもレイラは助かる。
「聞いてくれアーチャー。この子は……」
 ギュッと腕の中でレイラが僕の服を掴んだ。お父さん、と震える声で呟く。
 途端に僕は何も言えなくなってしまった。レイラを抱いたまま、何も言えなくなってしまったのだ。
 この子は、誰の子だ?
「言いたいことはそれだけか?」
 アーチャーの言葉に我に返るがもう遅い。剣が振り下ろされるのが見えて僕はレイラを守るように強く抱きしめた。
 次の瞬間、飛んできた石がアーチャーの手に当たって切っ先がブレた。僕の体のギリギリ真横の地面に剣がつき刺さる。
 アーチャーは石の飛んできた方向に目を向けた。僕は怯えきったレイラを抱えたまま、彼から少しでも距離をあけようと地を這う。
「シェリー……」
 掠れたアーチャーの声。僕もアーチャーと同じところを見た。槍を手にしたシェリーさんが立っていた。彼女はゆっくりとこちらに近づいてくる。
 記憶は戻ったのだろうか。僕はボンヤリとそんなことを思った。きっと戻っただろう。アーチャーに会ったのだから。アーチャーが迎えに来たのだから。そして、レイラも含めた三人で幸せに暮らすんだ。それが正しいことなのだ。
 シェリーさんが傍にやってきて僕を見下ろした。許してなんて言えない。だから、僕はただ彼女を見上げて思う。

 嘘をついてごめんね。

 ゆっくりとシェリーさんはアーチャーを見た。そして言った。
「わたしの家族に何をするの?」
 僕は言葉の意味がわからなかった。それはアーチャーも同じだった。
「シェリー?」
 動揺したアーチャーの声。名を呼ばれた返事の代わりにシェリーさんは槍を向けた。
「俺は……俺が誰だかわからないのか?」
「わたしの家族を傷つける人は誰であろうと許さないわ」
 アーチャーは目を見張った。更に何かを言い募ろうとしたが言葉にならなかった。シェリーさんを見て、僕を見て、そしてシェリーさんを見た。
「俺はただお前に会いたくて、そのためだけに戻ってきたというのに」
 ギリリと歯を鳴らし、アーチャーは地に刺さった大剣を力任せに引き抜き、シェリーさんに飛びかかる。シェリーさんは落ち着いた様子でそれを受け流す。二度、三度、四度。鋭い金属音がして、シェリーさんの槍が跳ね飛んだ。
 シェリーさんは動かない。後ろに僕らがいるからだ。アーチャーも動かない。彼女の得物はもうないというのに。
「……俺は」
 一つ大きく息を吐き、アーチャーはゆっくりと構えを解いた。
「お前を傷つけることだけはしたくない。たとえ、お前が俺のことを忘れていても」
 大剣を腰に納め、アーチャーは踵を返した。一度も振り返らず、ゆっくりと歩みを進め去っていく。やがて彼の姿が見えなくなり、シェリーさんの体から力が抜けた。そして、さっきまでの落ち着き振りから一転して、慌てた様子で僕の隣に膝をつく。
「ルイス! ルイス! 大丈夫?」
「僕は平気。だから、レイラを……」
 そう言いながら僕の意識は遠くなっていく。霞が濃くなるその向こう側でシェリーさんとレイラが僕を呼んでいた。


10. 愛してる

 情けないことに僕は高熱を出して寝込んでしまった。麓の町から来てくれたお医者さんによると、かなり危険な状態だったそうだ。だから麓まで運ぶことができず、僕は家で寝込んでいた。
 意識が戻って最初にレイラの無事を確認したら、お医者さんは呆れたように笑った。
「傷一つついていないよ。それよりも、自分の体を心配しなされ」
 山賊まがいの強盗に襲われたことになっていた。シェリーさんはずっと看病してくれた。レイラも僕がいなくなるんじゃないかと、すごく心配してずっと傍にいてくれた。
 シェリーさんの記憶は戻らなかったのだろう。だから、今も僕のそばにいてくれる。だから言えない。彼が誰であるのか言えない。僕は卑怯だ。熱に浮かされまどろみの中で自己嫌悪に陥る。とてもとても卑怯だ。
 それから何日か過ぎて、僕は何とか一人で立ち上がれるようになった。夜中に水が飲みたくなって台所へ向かう。けれどまだフラフラしているもんだから、ゴミ箱を蹴飛ばし倒してしまった。ため息をついて傷に響かないようゆっくりと膝をつく。
 散らばったゴミを拾い集める。その手がふと止まった。ゴミの中に割れた朱塗りの櫛を見つけたからだ。
 その櫛はシェリーさんの宝物だった。とても大切なもののような気がする、とずっとずっと大事にしていたものだ。それもそのはず、この櫛はアーチャーがシェリーさんにプレゼントしたものだ。アーチャー師団が東の国へ遠征した時、彼がシェリーさんに贈ったものだ。
 アーチャーがシェリーさんに渡した唯一のプレゼント。それが真っ二つに割られてゴミの中に転がっている。
 記憶をなくしても、アーチャーのことを忘れても、シェリーさんはこの櫛が大切だということは覚えていた。誤って割ってしまうわけがなく、また落とした程度で割れる品物でもない。誰かが故意に割ったのだ。
「もしかして……」
 シェリーさんは思い出したのか? アーチャーを見て思い出したのか? 思い出してそれでも、僕のことを家族だと言ってくれたのか?
「どうしたの? あら大変」
 物音に気づいたのか、起きてきたシェリーさんが膝をついてゴミを拾い集めゴミ箱へ入れていく。そして最後に僕の手の中にある櫛を取り上げて同じように入れた。
「割っちゃったの」
 シェリーさんはこともなげに言う。
「あんなに大切にしてたのに?」
「うん。でも、もういらないからいいの」
 ね、とシェリーさんは僕の顔を見て笑う。僕はシェリーさんを抱きしめた。強く強く抱きしめた。
「愛してる」
 彼女の耳元でそうささやく。背中の傷に触らないように彼女もそっと抱きしめてくれた。
「わたしもよ」

 右を向いても左を見ても、木ばっかりの山の中。僕と奥さんと娘ちゃんはそんな山小屋で暮らしている。
 獣を狩って、木の実を獲って、余った分を麓の町へ売りに行って、そうやって僕らはのんびり暮らしているのだ。


初出:2009/11/16-25(サイト6周年企画)

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