スカイマン217

 区役所という場所はとかく眠くなりやすい場所だ。手続きの書類は面倒くさいし、説明の文章は読むのがダルい。長い待ち時間の末ようやく順番が回ってきても、お役所仕事の職員が別の窓口へたらい回す。そうしてまた長い待ち時間が始まる。
 加えて昼下がりのこの時間帯。ロビーはポカポカと暖かい。だから思わず、うつら、うつらとしてしまうのも無理はない。
 けれど。
「おばあちゃん、こんなところで寝たら風邪ひきますよ」
 楠田隆は優しくそう言って老婆の肩に手を置いた。ハッとした様子で顔を上げた老婆は照れたように笑う。
「ごめんなさいね」
「何のご用事ですか?」
「書類をね、確認してくれているのを待っているの」
 老婆がそう言い終わらないうちに「木下さん、お待たせしました」と女子職員がやってきた。老婆はこちらに軽く会釈をしてから女子職員についていく。
 にっこり笑ってそれを見送り、隆は方向転換して職員用出口の方へ向かった。昼休憩直前にかかってきた電話の対応に追われ、昼ごはんを食いっぱぐれていたのだ。戸籍係の彼とは直接関係なかったが、担当者が別件で外に出ていたのだから仕方ない。
 外へ出ると冷たい風が頬に当たり軽く身を震わせる。見上げると空は冬の色をしていた。秋だとばかり思っていたら、季節は確実に冬へと向かっているらしい。
「寒いはずだ」
 白い息を吐きながら、隆は足早に行きつけの食堂へ向かった。田んぼと畑の真ん中に建ってるようなこの区役所だ。周りで食事のできる場所といったら、畑を抜けたところにある三好食堂しかない。
「区役所の兄ちゃんじゃないか。これから飯かい?」
「はい。ご精が出ますね」
 畑の中から声をかけられた。二言三言の会話をして、以前、抱えきれないほどの野菜をくれたお礼を言って別れた。寒さからさらに足早になって、三好食堂へたどり着く。年季の入った引き戸を引くと、いらっしゃい、と声がかかった。
「おや、今日は来ないから休みかと思ってたよ」
「悪いタイミングで仕事が入っちゃって。あーもうペコペコですよ」
 食堂のおばちゃんが温かいお茶を入れてくれた。焼き魚定食を頼んで、隆は定位置であるテレビの見える席に座り、お茶を飲んで一息つく。
「今入ったニュースです」
 湯飲みを持ったまま視線を上げた。テレビの中の女性キャスターは神妙な面持ちで続ける。
『第20地区に出没したアンノウンを完全に殲滅したとのことです。住民の皆さま御安心下さい。尚、この戦闘により、20地区のスカイマンが殉職したとの情報もあります。詳しくは情報が入り次第お伝えします』
「二桁地区は物騒だね」
 隆はテレビ画面から食堂のおばちゃんへ目を向ける。
「ですね」
「うちの地区なんかごらんよ。アンノウンなんか出たためしがない。まあ、それだけ田舎ってことだけどさ」
「それを言っちゃあ駄目ですよ。平和が一番。平和なのはいいことです」
「そうだね」
 あははは、と豪快に笑うおばちゃんに同調して隆も笑う。

 三十年ほど前、地球の近くで宇宙船と隕石の衝突事故があった。そして、宇宙船に乗っていた宇宙人たちは地球に不時着した。
 宇宙人は地球の自然、生命を生み出し育てる地球の自然を欲した。そして、それに反する人工物を破壊し始め、都市部を中心に物理的な攻撃を加えた。
 地球人は、それを侵略行為とみなした。それらの宇宙人を『アンノウン』と呼び、彼らに対抗できるスーツを開発した。陸海空、それぞれの環境に適応できるよう作られたそれらスーツのコード-ネームは、ランドマン、マリンマン、スカイマン。それを身に付けアンノウンと戦う人間もその名で呼ばれている。
 日本では、アンノウンと戦うにあたり都道府県の概念を廃止、全国を240の地区に分け各地区にランドマンたちをそれぞれ一人ずつ配置した。地区の番号は攻撃の対象となりやすい順に、都市部から1、2、3となっている。つまり、数字が小さくなるに従ってクライシスの危険度が増すのだ。
 豊かな自然に囲まれたこの地区は第217地区。危険度はかなり低い。ゆえに、この地区の住人はまだまだ呑気な生活を送っている。
「ごちそうさまでした」
 焼き魚定食を食べ終えた隆は食堂を後にする。午後の仕事に戻らなくてはならない。隆は左手の時計で時間を確認した。今日は昼が遅かったので、定時まであと三時間ほどだ。

 定時きっかりに仕事を終え、隆は区役所を後にした。畑を抜けて駅へと続く道に、人通りはほとんどなかった。向こうから若い女性が一人やってくるぐらい。
 ピルルルル。ピルルルル。
 時計が鳴った。隆は足を止める。時計をかざし、音が大きくなる方向へ歩みを進める。
 ピルルルル。ピルルルル。ピルルルルルルルルル。
 隆の目の前にいたのは向かいから歩いてきた若い女性。
「何か?」
 女性は首を傾げる。隆は時計の音を切った。
「失礼、お名前は?」
「え?」
「アンノウンさんでよろしかったですか?」
 女性の手があり得ない長さに伸びたのが返事の代わり。襲いかかってくるそれを後ろに飛んで避ける。と同時に、隆の姿が一瞬にして変わった。
 地球人が開発した対アンノウン用戦闘スーツ。それを身にまとったスカイマンの姿に。
 ごぉぉぉぉ!
 雄叫びをあげて飛びかかってくる女性の背中から複数の手が飛び出した。関節がありえない方向へ曲がっている。
「人間への擬態止めたんだ。やりやすくて助かるよ」
 呟きながら、隆は腰のリボルバーを引き抜き立て続けに撃った。全弾命中。アンノウンは地面に転がる。
 エネルギーチャージ。
 発射準備完了。
 アンノウンを一気に消し去るだけのエネルギーを充填したリボルバーを、地面を這うように逃げようとするそれに向ける。
「じゃあな」

 楠田隆は217地区のスカイマンである。
 クライシスには攻撃型と侵食型の二種類いる。二桁地区で街を破壊し暴れているのは攻撃型で、侵食型は人を食らって入れ替わる。人を文字通り食べてその人間の記憶や知識を取り込んで擬態し、本人と入れ替わるのだ。
 この侵食型の件は一般には知られていない。知られればパニックになることは必至であるからだ。
 攻撃型がやってこない田舎でも侵食型は現れる。この地区でのスカイマンの任務は、人知れず侵食型のクライシスから人々を守ること。
 変身を解いた隆はクライシスが消滅した跡を一瞥し、帰路についた。
 失踪者がまた一人増えるな。戸籍係の職業柄そんなことを考えながら。

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